書評 日米開戦以降の日本外交の研究(杉原誠四郎著) ジャーナリスト  伊達国重 『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房)(1997年)(定価2800円) “BETWEEN INCOMPTENCE AND CULPABILITY: Assessing the Diplomacy of Japan’s Foreign Ministry from Pearl Harbor to Potsdam” by Seishiro Sugihara (University Press of America, Inc.) (1997)  日米両国が太平洋を舞台に激突した大東亜戦争(太平洋戦争)については、戦後長らく 日本=悪玉、米国=善玉という単純な歴史観(東京裁判史槻)が流布されてきた。今でも 複雑な国際政治についてこうした子供のような勧善懲悪歴史観を信じこんでいる日本人は 知識人層にも多い。戦後、日本人に刷り込まれたGHQによる宣伝の効果は絶大だったの だ。  米国においては、日米戦争に限定せず、第二次世界大戦という枠組みで捉えるため、圧 倒的多数の米国人が「民主主義陣営の連合国」対「ファシズム陣営の枢軸国」の戦いとい う図式で理解していると言って過言ではないだろう。連合国を率いた米国は正義の戦争を 遂行し、邪悪な日本軍国主義、ドイツナチズム、イタリアファシズムをやっつけたという 素朴な理解だ。だからこの戦勝国に都合の良い歴史観は一種のステレオタイプとしての通 説の地位を確立しており、反論や異論を許そうとしない。  しかし、第二次世界大戦前後の国際関係、各国の実情をつぶさに検証すると、かなり違 った真相が垣間見えてくる。米国で信じられている「連合国」=「民主主義陣営」という 図式に対しては、「それでは共産主義のソ連、軍閥政権の蒋介石国民党政権は果たして民主 主義陣営なのですか」との反論は誰しも思いつく。  第二次大戦を仕掛けたのがヒトラードイツであることは間違いない。では「民主主義陣 営のソ連」が、どうしてヒトラードイツと独ソ不可侵条約を結び、その附属の秘密議定書 でポーランド分割で合意し、ポーランドに侵攻したのか。カチンの森事件はソ連の仕業で はないのか。あるいはブインランドに戦争を仕掛けて当時の国際連盟を除名されたのはソ 連ではなかったか。入念な戦争準備をして戦争を仕掛けた(支那事変)のは日本ではなく、 蒋介石政権ではなかったか。  「連合国」=「民主主義陣営」=「善玉」という単純な戦勝国史観の虚構が早くも崩れてくる。  ではさらに一歩踏み込んで、連合国の中軸だった米国は本当に「善玉」なのだろうか。  日米戦争の発端が日本海軍機動部隊による真珠湾奇襲敦撃だったことからして、日米戦 争の口火を切った、即ち最初の一撃を放ったのは日本側であることは間違いない。だから  「日本=悪玉、米国=善玉」という構図がわかりやすいし、実際にそういう歴史観が通 説として流布している。  しかし、真珠湾奇襲攻撃は米国が当初、内外に宣伝したように果たして日本の意図的な 「騙し討ち」だったかというと、必ずしもそうは言えないことが、戦後すぐに明らかにな った。明確な宣戦通告でこそないものの、日米交渉の打ち切り通告は、事実上戦争を意味 するものであり、それが真珠湾攻撃の開始時刻から遅れたのは、在ワシントン日本大使館 員の外務官僚の任務懈怠によるものだということが調査で判明した。  戦後すぐの極東軍事裁判(東京裁判)で、米国は当初、日本の騙し討ちを迫及する意図 を持っていたというが、追及をあっさり止めた。米国情報機関が日本外務省の外交暗号を 解読して、ルーズヴェルト政権は日本の戦争意図を知っていたのに、なぜみすみす真珠湾 奇襲を許してしまい、米国兵二千数百名を死なせてしまったのかという深刻で厄介な国内 問題が浮上するのを避けたかったからだろう。  次の論点は、日米のどちらがより戦争突人を避けようと努力したのかということになる。 東京裁判の判決では、A級戦犯とされる日本の政治家と高級軍人が「共同謀議」でアジア 侵略の野望を企て、戦争計画を立てて、戦争に突人したというのが、極東軍事裁判の検察 側の主張であり、裁判官の多数意見判決だ。要するに、戦争を企て、実行に移したナチス ドイツからの陳腐な連想で日本も同じだったろうと想像しただけだ。  しかし、当時の日本の政治家や軍部の実際の動きを調べるまでもなく、この判決は噴飯 ものだ。アジア侵略の「共同謀議」など端から存在しない。その証拠に、当時の日本の政 治家や高級軍人は政争、内紛に明け暮れていたし、「共同謀議」を企てたとする政治家、高 級軍人は相互に面識も無い者も多かった。日米対立が先鋭化し、戦争勃発の危機が迫って くるにつれ、当時の政府、軍首脳は焦慮の念を深め、主戦論を唱える一部の属僚過激分子 は例外として何とか日米交渉妥結による避戦の道はないかと真剣に模索した。  では、米国、ルーズベルト政権はどう動いたか。真剣に避戦を模索したのか。  これが箸者、杉原誠四郎が本書「日米開戦以降の日本外交の研究」で内外の様々な資料 を渉猟し、丹念に深く読み込んで解き明かそうとしたテーマだ。このテーマは歴史学者杉 原の生涯の研究課題でもある。  杉原が到達した結論は「ルーズベルトの日米開戦回避の努力は見せかけのジェスチャー に過ぎず、戦争を真に欲していたのはルーズベルトだった」というものだ。  杉原の資料の読み込みは深い。残された公文書や私信などの行間を読み、米国人歴史学 者の著作も縦横に引用、時系列を考えながら米政府の行動と丹念に突き合わせていく。す ると隠蔽されていた歴史の真相が次第にあぶりだされてくるというものだ。さながら謎が 隠された現代史の探偵小説を読むような知的醍醐味に満ち溢れている。  日本海軍のハワイ奇襲攻撃の兆候を知りながら意図的に放置していたルーズベルト。在 米日本大使館員の任務懈怠により交渉打ち切り通告が遅れたことを最大限に利用して「騙 し討ち」、「リメンバーパールハーバー」と米国民の敵愾心を煽り、戦意高揚につなげた 狡知。  杉原は広島の出身である。歴史に「IF」はないが、もし交渉打ち切り通告が遅れなか ったら、必要以上に米国の報復感情を煽ることにはならず、その結果、戦争末期の広島市 民、長崎市民への原爆攻撃という国際法違反の悲惨な事態は起きなかったのではないかと いう痛憤の情に本書は満ちている。  しかも、戦後、交渉打ち切り通告の遅れの責任がある外務官僚2名の責任を隠蔽し、不 問に付した外務省の体質。そしてあろうことかその2名を官僚最高のポストの外務次官に 起用した外務省OBの吉田茂首相兼外相。戦後復興の立役者として吉田茂は大政治家の評 価が高いが、泉下の吉田は杉原の弾劾になんと答えるだろうか。  本書は、日本の外務省では「読むべからず」の禁書扱いされているそうだ。外務省に代 表される日本の官僚制度の無責任性という深い病巣を抉り出せたのは、杉原が外務省とは 何の関係もない、教育畑出身の歴史家であるからであろう。杉原は、教育基本法 [Fundamental Law of Education] (1947年に制定された戦後日本の教育の基本を定めた 法律で、2006年に全面改正された)の研究者として著名で、教育基本法の研究から、戦後 占領下の教育改革の歴史を研究し、そこから日米戦争に関心を当て、日米開戦や外務省 の研究に至ったとされる。  真の歴史を知りたい人には「必読の書」である。 1