「日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景」 (シリーズ日本人の誇り) 楊 素秋著、桜の花出版、2003年12月発行、¥1,365(税込み)


著者は1932年、台湾・台南市生まれ(日本名:広山喜美子)。長榮女学校卒業。貿易、通訳、日本語教師など、多方面で活躍している。
昭和20年(1945年)の春、台南第一高等女学校の入学試験を受けるため、著者が疎開先の大社村から台南に汽車で戻っていた途中の出来事でした。大東亜戦争も末期で、台湾も度重なる米軍の空襲に見舞われており、その日も汽車が遅れ、ようやく乗れた汽車は膨らんだ多数の乗客でデッキのステップまで人が溢れていました。著者は何とかデッキのステップに立ち、鉄棒につかまった状態で列車が発車しましたが、そのうち、腕に捧げていた荷物の重みに耐え切れなくなり、列車が鉄橋の上を通過していたときに片方の足をステップから踏み外し、意識を失ってしまいました。しばらくして気がつくと、同乗していた日本軍の将校さんに助けられていたことが分かりました。
大東亜戦争で日本が敗戦国となったため、戦後、日本軍や日本の海外統治に対する悪意あるウソが反日勢力により世界に広められていますが、本書はそうした作り話とは無縁の、実際に当時を生きた台湾人による回想です。著者は古き良き日本時代を懐かしみ、戦後、中国人がやってきた後の台湾の悲劇を嘆いています。全体の内容が推察できるよう、以下に目次を掲載しておきます。
第一章 命の恩人は日本人
第二章 日本統治時代
第三章 素晴らしかった日本教育
第四章 優しい日本の兵隊さん
第五章 戦後、中国人がやって来た
第六章 日本人よ、しっかりしてください
第七章 想い出は永遠に・・・
日本は台湾でも、朝鮮でも、満洲でも、良いことだけをした。その実態の一端がうかがい知れる内容です。これらの国々や地域に日本がほんとうに謝らなければならないとしたら、それは戦前の日本が情報戦を軽視して、当時のアメリカで多数を占めていた反戦勢力に直接、訴えることをせず、大東亜戦争に至ってしまったことと、日本海軍の上層部がとんでもない戦い方をして戦争に負けてしまったことでしょう。
前記のように著者は命がけで入学試験を受けに行ったのですが、受験当日、空襲に遭い、結局、台南第一高等女学校へは行けなくなり、戦後、ミッションスクールであった台南市の長榮女学校へ行くことになった。
著者は本書で、あのとき命を救ってくれて、名前を告げずに去った日本兵に対して、「紫色の風呂敷包みを持っていた将校さん、今どこにいらっしゃいますか?どうかこの言葉が届きますように!私はいつも台湾から「ありがとうございました」と心に念じております!」と書いている(pp.41)。さらに、「私の心の中には、いつもとても綺麗な日の丸の旗が翩翻とはためいています」とも書いています(pp.272)。
なお、本書はコラムを読めば、明治時代(特に日清戦争)以降の日本内地と台湾との関わりの大要が分かるようになっている。
本書は「桜の花出版」“日本の誇りシリーズ”の第一巻目であり、以下の書籍が続いて出版されている。
・「帰らざる日本人‐台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います」、蔡敏三著、桜の花出版、二〇〇四
・「母国は日本、祖国は台湾‐或る日本語族台湾人の告白」、柯徳三著、桜の花出版、二〇〇五
・「素晴らしかった日本の先生とその教育」、楊應吟著、桜の花出版、二〇〇六
・「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実‐大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇〇六
・「フィリピン少年が見たカミカゼ‐幼い心に刻まれた優しい日本人たち」、ダニエル・H・ディゾン著、桜の花出版、二〇〇七
・「アジアが今あるのは日本のお陰です‐スリランカの人々が語る歴史に於ける日本の役割」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇〇九
・「少年の日の覚悟‐かつて日本人だった台湾少年たちの回想録」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇一〇

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