著者は1941年、熊本県生まれ。九州大学法学部卒。NHKでプロデューサーとして歴史物を担当。退職後は大学教授などをへて著述業。
本書は満州国皇帝・溥儀と、満州国を支えた関東軍など日本側の要人との会見録(「厳秘会見録」)を基に書かれたものである。記録は一九三二年十一月から一九三八年四月までに渡り、記録者は林出賢次郎。当時の外務省職員で、満州国の「宮内府行走」として溥儀の通訳官を勤めた人物である。本会見録は、現地での関東軍の行動を監視しようとする外務省幹部が、溥儀と関東軍要人との会見録を密かに作成させて本省上層部へ送らせた記録である。本書において会見録そのものを引用している箇所のみが満州へ帰った後の溥儀を知る上で非常に興味深いし有用であるが、本書そのものは著者がNHK出身者だけあって、満州国は日本(関東軍)が中国を侵略して作った傀儡国家だとの視点に貫かれて書かれており、満州国成立以前に日本が満州に得ていた利権に対する不法なシナ人や共産主義者による侵害や破壊工作などの、満州事変の背景などについては一切述べられていない。歴史年表のような駄作である。本書の功績は、「厳秘会見録」を発掘して世に出した部分だけである。
大清国がシナ本土のみならず、満洲、蒙古、ウイグル、チベットなどを版図に加えていたのは、東夷(満洲人)がシナ本土を征服してできた王朝だったからであり、シナ人が満洲人を追放して中華民国(後に中華人民共和国)を建国した以上、それらの地域を中国の版図として主張するのは無理がある。その証拠に、(外)蒙古など清朝末期に帝政ロシアの経済力・軍事力を背景にして早々と清国から独立したではないか。
著者は満州国を傀儡国家だというが、そのような国家は古今東西、至る所に存在したし、第二次世界大戦後においてすら、米ソ両大国など世界中で類似の行動を取ってきている。何も当時の日本だけが特別だったわけではない。それよりも、そのようにして出来た国家が、多くの国民に取ってよい国家であったかどうかの方がより重要なのではないか。「私たちは、清朝復ヘキ(註:ヘキは壁の上部)のために関東軍を利用し、関東軍もまた私たちを政治目的のために利用しただけです。そのための仕組みが私たちにとっての『満州国』でした」(溥儀の弟、溥傑のことば。第十二章)。つまり、満洲王朝を復活させて再度シナを支配しようとする満洲人の勢力と、治安の良い満州国を建国しようとする日本(関東軍)の勢力とがお互いを利用し合ったということで、大きな利害が一致していたわけであり、傀儡国家というのは当らない。