「大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義-」三田村武夫著、自由社、1987年1月復刊、古書有り

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初版は1950年春「戦争と共産主義」のタイトルで出版されたが、すぐ占領軍最高司令部(GHQ)民政局の共産主義者により発禁処分にされた書。しかし、そのことが内容の真実性を傍証している。
著者は1899年、岐阜県生まれ。1928年から1935年まで、内務省警保局と拓務省管理局に勤務。1936年から衆議院議員。1943年には言論、出版、集会、結社等臨時取締法違反容疑で警視庁に逮捕されている。
第二次世界大戦に至るまでの期間にシナやアメリカ政府が共産主義者の浸透を受け、ソ連政府の支配下にあったコミンテルンの世界革命戦略に沿って動かされてきた事実は現在では良く知られるようになってきたが、当時の日本でも同様の事態が進展しており、日本が日支事変から大東亜戦争へと引きずり込まれていった事実を、政府機関勤務や国会議員の経験があるとはいえ、一個人が収集できただけの資料に基づき、戦争終結後わずか5年の1950年に出版できた見識には敬意を表する価値がある。ただし、日本側の事情についてだけ書かれた書であり、アメリカ政府もそれ以上に共産主義者による支配を受けており、早くから対日戦争の準備を整え、戦争行為を開始していたことなどについては「ヒス事件」の疑惑以外、この時点での著者は情報を得ていない。
復刊本に「序」文を寄せている岸信介は、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀實であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。・・・支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」と書いている。
内容は本書の以下の目次からおおよそ読み取ることができると思う。
序 説 コムミニストの立場から
第一篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて
一 裏がへした軍閥戦争
二 コミンテルンの究極目的と敗戦革命
三 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想-尾崎秀實の首記より-
第二篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について
一 三・一五事件から満州事変へ
二 満州事変から日華事変へ
第三篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主義者の秘密謀略活動について
一 敗戦革命への謀略配置
二 日華事変より太平洋戦争へ
三 太平洋戦争より敗戦革命へ
資料篇 一 「コミンテルン秘密機関」-尾崎秀實手記抜粋-
二 日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張
三 企画院事件の記録
四 対満政治機構改革問題に関する資料
ソ連政府の支配下にあったコミンテルン(国際共産主義組織)は、1935年になって第七回大会でそれまでの非合法闘争方針を転換し、人民戦線戦術で各国の特殊性を認め、1929年にアメリカで発生し全世界を不況のどん底に叩き込んだ世界大恐慌後の状況に合せて、強大な帝国同士を戦わせ、疲弊させて、敗戦から共産主義革命に至る世界革命の戦術を考え出した。その戦術に沿ってアメリカ政府へもスパイや共産主義者を送り込み、シナ大陸では西安事件で蒋介石を脅迫して対日戦争を画策させ、それらと同調するように日本国内では軍部、政治家、学者、文化人などに影響を与えて軍部独裁、戦時体制へと巧妙に誘導していった。日本でその中心にいたのが尾崎秀實を中心とした隠れ共産主義者たちであった。アジアではまず日本と蒋介石軍を戦わせ、さらに蒋介石を支援していたアメリカと日本を戦わせることにより、世界共産主義革命への道が開けるとの戦術である。こうした戦術の多くが成功裏に進行していったのは、大恐慌によりアメリカでも資本主義への信頼が揺らぎ、日本では陸軍の中心の大部分が貧農や勤労階級の子弟によって構成されていて、社会主義思想への共感が得やすい土壌があったという背景がある。こうした困難を克服していく方法は社会福祉政策と自由貿易であったのだろうが、世界的にまだその機が熟していなかった。先述の岸信介の「序」文の続きには、「共産主義が如何に右翼・軍部を自家薬籠中のものにしたか・・・本来この両者(右翼と左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法->生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している」と書かれている。
共産主義者、尾崎秀實は、当時のいわゆる「天皇制」について次のように書いている。「日本の現支配体制を「天皇制」と規定することは実際と合はないのではないか・・・日本に於ける「天皇制」が歴史的に見て直接民衆の抑圧者でもなかったし、現在に於いて、如何に皇室自身が財産家であるとしても直接搾取者であるとの感じを民衆に与へては居ないと云ふ事実によって明瞭であらうと考へます。・・・その意味では「天皇制」を直接打倒の対象とすることは適当でないと思はれます。問題は日本の真実なる支配階級たる軍部資本家的勢力が天皇の名に於て行動する如き仕組に対してこれにどう対処するかの問題であります。・・・世界的共産主義大同社会が出来た時に於て・・所謂天皇制が制度として否定され解体されることは当然であります。しかしながら日本民族のうちに最も古き家としての天皇家が何等かの形をもって残ることを否定せんとするものではありません」(「コミンテルン秘密機関」尾崎秀實手記抜粋より)。

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