「親日派のための弁明」金完燮(キム・ワンソプ)著、荒木 和博・ 荒木 信子共訳、草思社、各2002年7月発売、¥1,500(+税)


著者は1963年、韓国生まれの作家・評論家。本書は、若き著者が韓国人のために韓国語で書き、韓国で出版した著作である(ただし、原著は韓国内で「青少年有害図書指定」を受け、事実上書店で売れなくなってしまった)。元左翼で日本嫌いであった著者は、2年近くを外国(オーストラリア)に滞在し海外旅行ができたことにより、韓国内の一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出すことができたという。その結果、朝鮮の開国期と日本統治(日韓併合)を史実に基づいて評価したのが本書である。「歴史再検証 日韓併合」の著者、崔基鎬氏は成人するまで日本人であったから日本語資料を活用するのに特に不自由はなかったと思うが、本書の著者は日本語が読めないというのだから驚嘆する外はない。
「日本と合併することだけが、朝鮮の文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道であった点については、当時朝鮮の志ある改革勢力のあいだに暗黙の合意があったと思われる。この大韓帝国内部の強力な世論にしたがい、日本が合法的な手続きを経て統治権を接収した」、「みずから韓日保護協約締結を主導し、朝鮮の初代統監となった伊藤博文は、政治的、財政的に日本に負担になる朝鮮合併を望んでいなかった。合併は一進会など朝鮮の革命勢力が要請したことであった。安重根の伊藤統監暗殺により日本の世論は急速に合併に傾いていった」、「日本人は朝鮮と台湾を統治するにあたって、おおむね本土の人間とおなじ待遇を与えた。とくに朝鮮にたいしては、大陸への入口という地政学上の重要性のために、むしろ本土以上の投資をおこない、産業施設を誘致するなど破格のあつかいをしたと考えられる」、「日本の統治により朝鮮は多大な発展をとげた。三〇年余りのあいだに・・人口がニ五〇〇万にふえ、平均寿命は二四歳から四五歳にのび、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した」、「二〇世紀初め、外国の勢力による改革、それも日本統治による徹底した清算がなかったなら、こんにちの朝鮮半島は世界でもっとも遅れた地域のひとつにとどまっていただろう」、「敗戦によって日本帝国は五つの地域に分割・占領された・・・韓国、北朝鮮、台湾、サハリン、日本の五つに分離し、それぞれ占領した・・・これは明らかに強制的な分断といえよう」、「日本が・・アメリカに占領されるという事態がなかったとすれば、朝鮮半島と台湾はまだ日本とひとつの国家を形成していたのである。そうだったなら、日本、韓国、台湾のためにたいへん望ましいことだった。爆撃で日本列島が灰燼に帰することなく、人口二億の日本帝国は日に日に富み栄え、アメリカと対等の国力をもっていただろう。さらに満州国まで合わせたら、三億の人口と広大な領土を支配して、文字どおり大東亜連邦体として存続できたのだ」、「ところが、日本が戦争に敗れ、米軍とソ連軍が進駐してくると世の中が変わりました。総督府時代にはたんなる犯罪者にすぎなかった人びとが、自分は秘密組織で活動していた独立運動家だと名乗り、日本人と親しくしていた人びとが日本に敵対的な態度をとるようになりました」(序文と本文より)。「解放後の腹立たしいこと、醜いざまは一つや二つではないが・・・この開放を盗もうとするやつらの多いことだ。・・・この国の志士・思想家・宗教家・教育者・知識人・文人に、また海外流浪何十年と格好はよいが、その実・・ハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使いをしながら勢力争いをし、重慶・南京ではとうもろこし粥をもらって食いながら地位あらそいをしていた人たちが、なにをあらかじめわかっていたというのか」(訳者解説中の「苦難の韓国民衆史」より)
もし日本が日米戦争を戦わずに済んでいたら、あるいは、戦っていても途中で停戦・和睦がなっていたら、その後のさまざまな悲劇はなかったかもしれない。しかし、戦後60年以上を経過しても国防のための憲法改正すらできない日本国民に、はたして時代の変化に対応して真の立憲君主制度にふさわしい形に明治憲法を改正していくことができただろうか。欧米の植民地であったアジアや有色人種の解放は実現しただろうか。日本国内の民主主義の発展やいくつかの社会改革は実現しただろうか。疑問は尽きないが、恐らくこれは戦後の多くの日本国民がいだいている問い掛けではないか。国際法を無視してアメリカが日本国民に行った大虐殺(都市への無差別爆撃、原爆投下など)やソ連の蛮行などは決して許されるものではないが、当時の日本の制度自体もすでに時代の限界に来ていたのだと思われる。後に明らかになるように、国際共産主義運動の拡大により共産主義勢力に席巻されていた当時のシナとアメリカを中心とした連合国による包囲網を敷かれた日本にとって、日米戦争は避けることのできないものであり、それが戦争指導層の数々の失敗により敗戦に終ったのも、当時の日本の運命であったとしか言いようがない。人類史的に見れば、日米戦争(大東亜戦争)は全人類が一段高い段階に至る為の一過程であったと考えることができる。もし歴史の教訓を今日に活かすとすれば、まず歴史的事実を正面から見つめ、戦後、韓国・朝鮮や中国共産党政府が行っているようなウソ(捏造)の歴史を創作しないことが何よりも重要なことだと思われる。その上で、社会制度を絶えず時代の変化に適応できるよう改善していくことが、現在の日本には求められているのではないか。
「開化期、日本は朝鮮の近代化に協力した。日本が存亡を賭けて戦った日露戦争には朝鮮の開化派の人びとが協力した。日韓併合ののちには多くの人びとが日本のアジア開放の理念に賛同し、大東亜戦争では特攻隊に志願するなど自らの命を捧げた人も少なくなかった。私たちはそれを忘れてはならない」、「韓国の中で日本のことを評価する人は少なくない。そもそも日本が本当に嫌いだったら年間百万人以上の人が日本をおとずれるわけがないのである。韓国の反日はきわめて観念的なもので、誤解を恐れずに言えば実態と乖離したものである。しかし、逆に観念の世界、つまり学者やジャーナリストの世界では観念的であるがゆえに反日は絶対となる」(訳者解説より)。註: 本書は2004年11月、扶桑社から文庫版で出版されている。

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