著者は1931年、神奈川県生まれ。石油会社勤務時、テキサス大学を卒業(修士)。
著者は本書で、アメリカはヨーロッパとアジアの両方で戦争をしていたのだから、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に負けたのは工業力の差ではなく、国家の経営力の差であったということを、航空戦力の詳細な分析などを通して主張している(ただし、あまり読みやすい本ではない)。
具体的には、①空軍省の設立、②航空燃料の自給自足(人造石油の開発)、③(軍用機の)少品種多量生産の社会化、④航空技術力の集中活用法、⑤少年操縦員と科学技官の優遇人事、⑥最高指導層の特別教育(国民満足の再教育)などの欠落を敗戦の要因として挙げている。それらすべてに実現の可能性がなかったわけではないが(実際は日本は日米戦争を想定しておらず、当時の統治システムでは実現が困難であった)、物的証拠により論理的・科学的に物事を進めていくという方法(著者は、帰納法的思考のルールと表現している。数学的・理科的思考方法のこと)がマスコミを始め国家の指導層に欠けていた(いわゆる文系支配)のが原因だと分析している。同じ傾向は戦後の日本の国家組織や政治的指導者、マスコミなどにも共通して存在しており、日本の政治的指導層の体質は戦後もほとんど改善されていない。そのことを端的に示しているのが最近の原子力(放射線)をめぐる政策の混乱である。放射性物質の崩壊過程に伴って放出される極微粒子(Heの原子核、電子、中性子、陽子)の高速な流れや電磁波(広い意味でのエネルギー)が放射線であるにも関わらず、放射線を何かフグやハブなどの猛毒のような、あるいは砒素や青酸カリのような猛毒物質と同じような扱いをして、わずかな放射性物質の除染などに貴重な血税を浪費している(福島県の飯館村でも1000ベクレル弱=0.02マイクロシーベルト程度の放射性物質量)。物質的エネルギーには良いも悪いも無く、ただ波長(周波数)の違いや強弱(量)の差があるだけで、たとえば、同じ熱でも厳冬に白金カイロは有難いが猛火は人の命を奪うようなものである。一定限度までの放射線(エネルギー)は人間の健康増進や病気治療に有用であることはすでに数多くの科学的研究により立証されている(“「医師がすすめる低放射線ホルミシス-驚異のラドン浴療法」川嶋朗監修、ローカス、2008年7月発行、¥1,143+税”、“「医師がすすめる低放射線ホルミシス2-ラドン浴の実践」川嶋朗監修、インフォレスト、2009年11月発行、¥1,400(税込み)”、“「放射能を怖がるな!ラッキー博士の日本への贈り物」T.D.ラッキー著、茂木弘道訳・解説、日新報道、2011年8月発行、¥1,000+税”、“「「放射能は怖い」のウソ」服部禎男著、武田ランダムハウスジャパン、2011年8月発行、¥980+税”、“「明るい未来への道筋 原発興国論!」渡部昇一著、月刊Will2012年4月号掲載、ワック出版”[後に、「原発は、明るい未来の道筋をつくる!」としてワックより出版(2012年4月発行、¥476+税)]など参照)。具体的には、危険量の閾値(上限)は急性被爆で100ミリシーベルト程度、慢性被爆で年間1万ミリシーベルト(1日毎時平均約1.14ミリシーベルト)。下限は年間2~3ミリシーベルト(自然環境)。健康に最適の値は年間100ミリシーベルト(1日毎時平均約11.4マイクロシーベルト)で、毎時10ミリシーベルトまでは人間の遺伝子(DNA)は修復能力を持っていることが科学的に証明されている(1996年)。これだけの科学的データがあるにもかかわらず、日本政府が非常識な規制値にこだわるのは、日本政府が国際放射線防護委員会(ICRP、民間組織)の勧告を批准しているからです。ICRPの勧告は80年も前の研究データによる仮説に基づいて作成されており、ここ30年余りの数多くの研究結果をまったく反映していない。ICRPはガリレオ・ガリレイの地動説を異端としたローマ教皇庁の現代版である(ちなみに、ローマ教皇庁がコペルニクス説禁止の布告を出してから地動説を正式に承認するまで、376年かかっている)。科学に政治が介入すると、考えられないような愚行を続ける典型的な例と言ってよい。日本政府は一日も早くICRPから抜けて、多くの科学的データに沿った原子力政策に変更すべきです。
原子核反応により放出される主な放射性物質(核種)は、セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131、プルトニウム239なのだが、これらの物質が体内に取り込まれた場合の化学毒性については、特に有害だとの報告は無い。ただ、ヨウ素131だけは甲状腺に集積されるので注意を要するが、物理半減期が8日間と短く(生物半減期は80日)、大量の摂取でない限り、日常、通常のヨウ素127の含まれるコンブなどの海藻類を摂取していれば特に心配する必要は無い。原発を持つ国では通常、大量の被爆に備えてヨード剤を備えるようにしているようだが、ヨード剤は妊婦にはリスクがあったり、ヨードの過剰摂取の問題などもあり、ほんとうに大量摂取の危険のある時は避難するのが最善である。[なお、セシウム137は筋肉や全身に、ストロンチウム90は骨や歯に、プルトニウム239は骨、肝臓、肺に集積される(“世界の放射線被爆地調査”高田純著、講談社、2011年4月、¥980+税“参照)。]
古来「薬石効無く」という言葉があるが、食物でもない石(鉱物)が病気治療に役立つというのは、石が出すエネルギーが効く以外には考えられない。薬石というのは放射性物質のことだと筆者は理解している。原子力が大量殺戮兵器という形で広く世に知らされてしまったため、そのことに目がくらみ、科学的真実を見ようとしない問答無用の人たちがこの国を動かしている。広島・長崎の原子爆弾による被害にしても、放射線による被害は異常に大量の放射線を一度に浴びた爆心地における急性放射線障害や高濃度の放射性降下物があった一部の地域のみで、原子爆弾による被害の大半は高熱と爆風によるものである。いわば、残虐な米軍得意の巨大な火炎放射器で焼き尽くされたというのが実態でしょう。福島第一原子力発電所の事故の場合、核反応は自動停止しており、原子力運転員の急性放射線障害も無く、発電所施設外へ放出された放射性物質も危険なほどの量ではなかった(“「「放射能は怖い」のウソ」服部禎男著、武田ランダムハウスジャパン、2011年8月発行、¥980+税”、“世界の放射線被爆地調査”高田純著、講談社、2011年4月、¥980+税“参照)。しかもあれだけの地震と津波にも関わらず、福島からいくらも離れていない東北電力の女川原子力発電所は深刻な事故を起こしていない。これは原子力発電所の建設に際して、東京電力の方が東北電力より”文系支配“(文官官僚支配傾向)が強く、意思決定においてほんものの専門家(技術者)を廃した度合いが強かったからだと推測できる。つまり問題は統治システムにあるのであって、今回の事故がただちに原子力発電所が危険だということを意味しない。正義感ぶってさまざまな邪悪な意図を隠し、科学的態度や事実認識とは関わりなく自説を押し通そうとする無知で悪意に満ちたマスコミや似非学者と、正常な判断力の欠如した政府が扇動して国民の大多数を狂乱状態に陥れたときのこの国の状態は、正に夢遊病者そのものである。これは日本人の、というよりも人間集団の持つ本質的な狂気なのかも知れない。中世ヨーロッパにおける魔女狩り、地動説に有罪判決を下したローマ教皇庁(天動説)、共産主義とルーズベルト・トルーマン政権の狂気など、人類史において類似の実例には事欠かない。
薩長を中心とする勢力による武力革命であった明治維新後の一時期(明治時代)を過ぎ、国家の制度が整うにつれ、外国との戦いを想定しなくて済んだ平和な江戸時代の門地(家柄)による身分が学歴による身分に変わっただけで、日本の指導組織は目的遂行型の機能的組織ではなく、身分維持型(利権保持型)の人事制度になってしまい、大東亜戦争のような非常時に強力に目的を遂行することのできない組織となっていた。その背景に、明治憲法が持っていた制度的欠陥に加えて、高等文官試験の合格者による支配層の独占や軍部における兵学校での年次・成績主義などがあり、戦前の日本の指導組織が文系(官僚)支配で、科学的・合理的・合目的的に行動できなかった原因があると著者は主張しているのである。そしてそのことは、戦後の日本においてもあまり改善されていないように見える。日本はアメリカとの戦争において、兵隊の質、兵器の性能、アメリカの物量に敗れたわけではない。日本自身の統治システムの欠陥から来る国家・戦争指導層の致命的な失敗の積み重ねにより敗れたのである。指導層の人事制度を身分制度にし、本物の専門家を排して素人の文系官僚群が重大な意思決定を行うという利権システムを変更しない限り、今後も類似の失敗や国家的な事故を繰り返すことになるのは目に見えている。
まともな法的根拠のない、戦勝国によるリンチのような東京裁判史観が日本独立後も日本人から容易に払拭されないのは、多くの国民が徴兵により強制的に戦地へ送られながら、戦争指導層の数々の失敗により悲惨な敗戦に至った責任を、結果的に東京裁判が戦争指導層だと思われていた人達に取らせたことを、国民の多くが暗黙のうちに認めているからではないか。そういう意味で、「宣戦布告なき戦争」を始めていたのはアメリカであった(フーバー大統領回顧録など参照)としても、真珠湾攻撃前の対米宣戦布告を怠り、そのことをルーズベルト政権にさんざん利用されて国益を損ねた、当時の外務省関係者が責任を取らされていないのは不条理というしかない。
航空兵器の分析から太平洋戦争(大東亜戦争)を分析した類似の著書に、“「零式艦上戦闘機」清水政彦著、新潮社、2009年8月発行、¥1,400+税”がある。著者は1979年生まれ(東京大学経済学部卒、弁護士)と年は若いが、分析は詳細で正鵠を射ており、文章も読みやすい。同書で著者は結論として、「筆者には、零戦と米軍機の勝敗を分けた最大の要因の一つが、日米両軍の「総力戦」に対する覚悟の差と、その差から派生する戦術・空中指揮に対する工夫の差であったように思われる」(“おわりに”より)と述べている。これは前記の著書同様、戦争指導層の戦争遂行能力の差、つまりは国家レベルでのソフトの差ということを意味している。