「日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち」板谷敏彦著、新潮社、2012年2月発行、¥1,785(税込み)

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著者は1955年西宮市生まれ。関西学院大学経済学部卒業。製造業界を経て証券業界へ。現在、投資顧問会社社長。
本書は、「証券価格を通じて当時の外債募集談を再現し、金融市場の側面から日露戦争全体を見直そうと試みるものである」(序文)。当時の日本銀行副総裁高橋是清(1854~1936)と同秘書役の深井英五(1871~1945)の一九〇四年からの三年間にわたる資金調達の旅は、「明治維新を経た日本人が初めて本格的に国際金融市場に足を踏み入れた物語」(序文)であった。
「日本では、松方正義の奔走により、明治三〇年(一八九七年)に貨幣法を施行し(註:日清戦争の賠償金を元手に)金本位制を採用した。また同じ年にロシアも金本位制を採用している。・・・高橋是清が海外で外債募集に苦労している間、政府や日銀は外貨決済のためと金本位制度を維持するために、日本に残った金準備である正貨の残存量と戦っていたのである。・・・金本位制を採用していない国は為替が不安定なために外国からの資金調達は困難であった。金本位制度の採用は、国際金融市場における戦時公債発行のための最低条件のひとつとも言えたのである。当時日本にとってロシアと戦争をするためには金本位制は欠かせない条件だったのだ。このことはロシアにとっても同じことであり・・・」、「高橋是清が公債発行のために欧米に赴いた一九〇四年頃のロンドンでは、マーチャント・バンクが圧倒的な力を持って国際金融市場における要の地位を占めていた。・・・当時のロンドン市場の主力金融機関は、ほとんどすべてがユダヤ資本である。・・国際資本市場であるロンドン市場にアクセスするということは、ユダヤ資本にアクセスするのと同じことなのである。」、「(クーン・ローブ商会のヤコブ・)シフが財務面でサポートし、(鉄道王エドワード・ヘンリー・)ハリマンがハンド・インで鉄道を経営した。・・・(アメリカで)二大グループは・・モルガンとヒル連合対シフとハリマン連合である。・・モルガンは大西洋に目を向け・・ハリマンとシフは、太平洋航路に目を向けた。」、「日露戦争のこの時代は、シティのマーチヤント・バンクがその絶頂を迎え、ウォール街のインベストメント・バンクが巨大な力を持ち始めていたのである」(第二章)。
明治以降の日本の半島・大陸への進出を単純に侵略と見るアメリカ人が今でも多いのは、後背地を持たない島国である小国、日本にとって、中華思想や大国ロシアの南下政策がいかに恐ろしいものであるかを、大陸国家であるアメリカ人は皮膚感覚として理解できないからである(それでも1960年代初め、アメリカはソ連によるキューバへの核ミサイルの持込に狂乱した)。日本人にとっては古代に白村江の戦いがあり、中世には元寇があり、明治時代にはロシアが朝鮮半島に軍港(不凍港)を建設しようとした。現在でももし日米安全保障条約(や米韓相互防衛条約)が存在しなかったら、ロシアは容易に北海道へ侵攻し、中国は沖縄から九州地方を侵略してくるだろうと思う。朝鮮半島だってどうなるかは分からない。ロシアや中国の国家としての文化的・精神的レベルは、現在でもその程度だとしか判断のしようがない。
とにかく、日清戦争後の三国干渉で旅順港・大連港(不凍港)などをおさえたロシアは、シベリア鉄道を満洲へ延長し、ウラジオストック港と連携して太平洋艦隊を保持し、日本海の制海権を脅かしていた。これは世界が軍事的にあからさまな弱肉強食の時代にあって、日本にとって大きな国防上の脅威と映った。しかしながら、日露決戦を決断した日本は、「開戦直前の一九〇四年一月中旬において初めて、日本政府は資金調達の目処がつかないことを認識したのだった。」、「海外から物資を買うには金か、あるいは金の裏付けのしっかりした英国ポンドが要求されたのである。・・・日本には最初から、戦争をするだけの充分な正貨はなかったのだ」(第三章)。
国内産業もまだ絹産業程度しか持たない農業国であった日本が、莫大な戦費を調達するには外債を発行する以外に方法はなかったのだが、大国ロシアが相手であったことから日本の勝利を予想する者はほとんどなく、高橋是清がロンドンへ渡った当時、成功の目処はまったく立たなかった。当時のロシア帝国は、GDPも国家予算も人口も、陸軍の規模においてもほぼ日本の三倍であった(ただし、極東に回せた陸軍の兵力は、全体の40%程度だったとされている)。日清戦争に勝利し、近代化に成功しつつあった日本でさえ当時の国際金融市場での評価はその程度であったから、現代の韓国・朝鮮人が何を夢想しようとも、日清戦争で清国の属国から開放されたとはいえ、李氏朝鮮が外国と戦争をして自力で独立を維持しようとしても、資金的にまったく不可能であったことは議論の余地がない。もし日本が進出していなかったら、間違いなく朝鮮半島はロシア(後、ソ連)の一部になっていた(その場合は、日本自体もどうなっていたか分からない)。
窮地にいた高橋是清に救いの手を差し伸べてくれたのが、クーン・ローブ商会のヤコブ・シフとロンドンの銀行団であった。もちろん、シフらにもそれなりの思惑があったことは間違いないが、金がなければ戦争はできない。日露戦争が米英の資金によって戦えたことは歴史上の事実である。戦争の経過に伴う公債発行条件や価格の変化、日露戦争後の日本国の財務状況などについては本書を読んでいただくとして、最終的にかかった戦費はいくらになったか。「要した戦費15億円(註:日清戦争後の軍備拡張費を加えると約二十億円=二億ポンド)のうち、外国債が約7億円弱、当時の年間予算一般会計約2.5億円・・、全国銀行預金残高約7億6千万円」(第三章)、「ロシアは・・日本の戦費の二倍にもなるだろう。米国の南北戦争が四億ポンド(註:ほぼロシアの戦費と同額)」(第五章)である。「日本はこの戦争を通じて、国際金融市場における国家としての地位を大きく飛躍させたのである。・・・開戦直後のジャンク債からロシア並みの一・五流国程度には地位が上がった」(第五章)。
高橋是清はシフの恩義に報いるため、シフの盟友であるハリマンの極東行きを支援し、「桂・ハリマン協定」の成立を支持したようだ。「「桂・ハリマン協定」は・・米国政府を代表する公使と、日本政府アドバイザーと日本興業銀行総裁の三名によって作成されたものだった」(第六章)。元老達が賛同し、首相が同意したこの協定が実現しなかったのは、「日露戦争の実行部隊であり、計画者である大殊勲者でもある児玉源太郎(陸軍大将)は占領後の満州経営のあり方を(日本式の)植民地として考えていた」(第六章)からだった(ちなみに、後の“満州国”は満洲人の国家であり、必ずしも日本の植民地とは言えない)。「日本はゆっくりと、ハリマンやイギリスとアメリカの世論を騙していくのである」、「満州が門戸開放されたと考えていたイギリスやアメリカからは、クレームが付き始めた。・・・日露戦争に際し諸外国が日本に同情を寄せ軍費を供給したるは、日本が門戸開放主義を代表し、此主義のために戦うを明知したるが為なり。・・・日露戦争はイギリス・アメリカのファイナンス抜きでは日本は戦えなかった。・・・イギリスやアメリカにすれば、満州におけるロシアが日本に替わっただけでしかなかった」(第六章)。日本は誰の金で日露戦争を戦うことができたのかと米英が憤るのも無理はない。この事件は、本来が国家の道具であるべき視野の限られた軍人が政府首脳を動かしていった軍人優位と、以後、大東亜戦争の敗戦にいたるまでの日本の政治の傾向と欠陥とを象徴している。
「井上や伊藤達元老がこの案(註:「桂・ハリマン協定」のこと)に賛同した理由は、何も日本の資金不足のために南満州鉄道経営が重荷であると考えただけではなかった。新たに日本が経営する南満州鉄道は北から常にロシアの圧迫を受けることになるだろう。・・・アメリカの資本が入っていれば、日露二国間の問題では済まされずロシアも簡単には侵攻できないと考えたのである」(第六章)。著者は本書で、当時の日本が南満州鉄道経営においてもう少し柔軟であったなら、以後の世界の状況も日本の運命も変わっていたのではないかと述べて本書を締めくくっている。
本書は日露戦争時の資金調達の戦いを詳細に追ったものだが、凡百の歴史書や政治書を読むよりもはるかに良く日本の近現代史を理解する役に立つ。

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