「真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任」ジョージ・モーゲンスターン著、渡辺明訳、錦正社、1999年12月発行、¥3,150(税込み)

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著者は1906年、米国シカゴ生まれ。シカゴ大学で歴史学を専攻後、25年間新聞界で活躍した外交・国際問題専門のジャーナリスト。訳者は1925年、大分県生まれ。國學院大學卒業(近現代史専攻)後、高校教師、ニッポン放送プロデューサー・解説委員などを歴任。日本の近現代史の著書がある。
現役のジャーナリストであった著者による本書は終戦直後の1947年に出版されている。序章の署名は1946年8月23日である。別掲のチャールズ・A・ビーアドの著書(「ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕」)よりも早い。そのビーアド博士は本書についてその推薦の辞で、「この一巻こそ、この真珠湾という大事件の動かすことのできない、強烈な力を持った労作である。それは厳正な資料から引用した証拠によって裏打ちされている」と述べている(訳者あとがき)。
戦争直後に書かれた本書やビーアド博士の著書の邦訳が日本で出版されたのが1999年や2012年になったこと自体が、戦後の日本の教育や言語空間が歴史の真実を追究しようとしない大東亜戦争日本悪者論や日本侵略者論に組する反日左翼勢力に牛耳られてきたことを物語っている。
1939年にナチス・ドイツによってヨーロッパで始められた戦争でイギリスを助けるため、アメリカのルーズベルト政権は中立法を改訂して参戦しようとしたが、ドイツは慎重に大西洋での米軍の挑発に乗らなかった。アメリカでは宣戦布告の権限は大統領にではなく議会にあり、当時の議会は世論を反映してアメリカが参戦することに否定的であった。そこで戦争に入りたかったルーズベルト大統領は「枢軸三国の一つとわれわれが戦争に入れば彼ら全部と戦わねばならなくなることに注目して、裏口から欧州戦争参加を達成すべく、向きを太平洋と日本に変えたのである。・・・日本は、禁輸と海外資産凍結で絶望に陥った。ついで、ワシントンでの外交交渉を通じて達成できるいかなる解決の希望も奪った。最終的に大統領は、いくらか当座しのぎの解決を与える暫定協定によって、三ないし六ヶ月の猶予期間を日本に与えるという計画を放棄した。そして彼は、ハル長官に前進を告げ、十一月二十六日の一〇ヵ条からなる反対提案の提出を命じた。・・・ルーズベルトは、日本が戦うだろうことを承知していた」(第一九章)。大統領にとってのただ一つの条件は、日本に先に明白な一発を打たせるということであった。大統領が国民に「(アメリカが)攻撃された場合を除いて、外国の戦争に参加することはない」と繰り返し約束していたからである。真珠湾はその犠牲にされたのだということを本書は数多くの資料を駆使して実証している。
開戦に先立つ何ヶ月も前に、アメリカ情報部は日本の極秘暗号の解読に成功しており、あたかも「彼らが日本の戦争指導会議に列席して」いるかのように情報を握っていた。彼らはこの暗号文解読術を「マジック」と呼んだ。ルーズベルト大統領一派はこの情報により、開戦日時も日本軍による真珠湾攻撃も予測できていたが、日本に最初の一発を打たせるべく、アメリカ国民にも真珠湾現地の司令官にも情報を秘匿していた。その結果、真珠湾攻撃は卑劣な日本軍による奇襲攻撃として日本の責任にし、ただ被害が大統領の期待した予測を大きく上回っていたためそれだけでは不足と見て、現地の司令官であったキンメル提督とショート将軍に責任を負わせた。
「(アメリカ)政府は、その経済戦争、秘密外交、内密の軍事同盟、日本が「屈辱的」とした要求の提示および宣戦布告なき戦争のための完全な中立放棄によって、十二月七日の結果を引き起こそうと演出した」、「パールハーバーは、乗り気でない国民を戦争に引き込むに当たって、躊躇する議会に頼らなくてもいい方法をアメリカの好戦派に提供した。そのうえ、その惨害の規模そのものが、惨害をつくり出した政策から国民の注意をそらす好機を、ルーズベルトとその側近たちに与えた」、「パールハーバーは、正式に承認された戦争の最初の行為であり、また政府がずっと以前から乗り出していた秘密戦争の、最後の闘いでもあった。この秘密戦争は、わが国の指導者たちが、宣戦布告によって公式の敵となる何ヵ月も前に、すでに敵として選ばれていた国々を相手として戦われた。それは、指導者たちが、戦争を受容するうえでのろまだと考えていたアメリカ国民に向けて、心理的手段や宣伝と欺瞞によっても戦われた。国民は、戦争同然の行為を、それは国民を戦争圏外に置くための行動だ、と告げられてきた。結局、憲法上の手続きは、出し抜かれるためにのみ存在し、戦争発動権限を有する議会は、既成事実の追認という措置をとるほかなかった」(第ニ〇章)。
第一一章には日本がアメリカの最後通牒だと判断したいわゆるハル・ノートの一〇ヵ条全文が掲載されている(pp.210~211)。満州はシナではないと主張すればハル・ノートを基礎に置いた交渉を継続できた可能性が完全には排除できないようにも見えるが、当時の交渉経過や戦後になって判明してきたルーズベルト政権の実態を考えると、恐らくはハル・ノートの約束すらアメリカが遵守したかどうかは疑わしい。何が何でも戦争に入りたいルーズベルト政権が、日本をより疲弊させるための単なる時間稼ぎに使われた可能性の方が高い。大東亜戦争開戦時の日本の石油備蓄量は、一年半分程度しかなかった。日本にとっての最大の失敗は恐らく、中途半端に真珠湾の旧式艦隊だけを攻撃して大東亜戦争を太平洋戦争にしてしまい、まんまとアメリカ(ルーズベルト政権)の術中にはまってしまった日本海軍の戦略にあつた。
本書は内容も記述も非常に明解であり、訳文も比較的、読みやすい。

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