著者は1924年、米国カリフォルニア生まれ。高校卒業と同時に海軍に入隊し、太平洋と大西洋の両戦場に従軍。戦後は新聞記者を勤め、1986年本書執筆のため退社。十年以上の歳月を費やして1999年12月7日に本書を出版した。監訳者は1925年、岡山県生まれ。海軍兵学校卒、戦後は海上自衛隊勤務。定年退職後は執筆活動をしている。解説者は高名な京都大学教授。
読者はジャンケンの必勝法をご存知であろうか。それは簡単である。後出しすることだ。闘いというものは相手の秘密情報をつかんだ上で戦えば圧倒的に有利になることは論を俟たない。闘いの本質は情報戦争だといってよい。ところがどういうわけか、近現代の日本人はこの情報戦争に弱い。戦後の日本国には情報戦争を戦える組織もなければ、その気構えもない。この傾向は戦前においてもさほどの差はなかったようで、海外での宣伝戦においてもほとんど不作為といえるほどの体たらくであったし、当時の日本国の重要情報がアメリカの情報機関の暗号解読技術によって筒抜けになっていたことについてもまったく気づいていなかったようだ。
本書は戦争直後にジョージ・モーゲンスターンによって書かれた「真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任」(別掲)と基本的に同じ内容ではあるが、戦後40年以上経過した時点で収集できた資料(1966年に成立した「情報の自由法(Freedom of Information Act)」[その後数回修正]を活用して収集した二十万通以上の文書[それでもまだ機密指定により開示されなかったものも多い]と関係者へのインタビュー)に基づいて書かれているため、それまでに未見の資料も数多く紹介されている。その主たる内容は、アメリカの情報機関が一九四〇年秋ころ以降、暗号解読に成功していた日本の海軍情報の詳細と、もう一つはルーズベルトの側近で同時に海軍情報部の極東課長でもあったアーサー・マッカラム少佐が起草しルーズベルト政権によって採用されたと考えられる「戦争挑発行動八項目」の覚書の内容(以下)とである。
一九四〇年十月七日付アーサー・マッカラム少佐の覚書(日本を挑発して米国に対し明白な戦争行為に訴えさせるための、八項目の行動提案)。ダドリー・ノックス大佐の承認を含む。著者が一九九五年一月二十四日、第二公文書館で発見。次の施策八項目を提案する。A.太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結。B.蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結。C.蒋介石政権への、可能なあらゆる援助の提供。(D)遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣すること。(E)潜水戦隊二隊の東洋派遣。(F)現在、ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。(G)日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう主張すること。(H)英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止。これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることが出来るだろう。(付録、pp.456)
これらにより著者は、①日本が真珠湾を攻撃するようルーズベルトが仕向けた、②真珠湾攻撃以前には米国は日本軍の暗号を解読していなかったという説の誤り、③日本艦隊は厳重な無線封止を守っていたという説の誤り、を証明している。
「真珠湾攻撃はあくまでもクライマックスであって、それまで長い時間をかけて、ある組織的な計画が実行されていたということである。本書執筆の趣旨は、まさにこの点にある」(エピローグ、pp.447)。一九四〇年九月に成立した「日独伊三国同盟」の結成を好機として、ルーズベルト政権は日本を極限まで追いつめ「暴発」させることによって「裏口から」主たる目的である欧州参戦を果たすというアメリカの戦略目的を実行した。日本は「情報力」の決定的格差により、アメリカのシナリオ通りに大東亜戦争に引きずり込まれていったことが分かる(解説、pp.530~531)。本書の解説者は、「あの戦争において、究極的かつ決定的な意味で日本を撃破した主役は、ローレンス・サフォードやジョセフ・ロシュフォート、あるいはウィリアム・フリードマンやアグネス・ドリスコルら、大戦中日本の外交・海軍暗号のほぼ完璧な解読を可能にした人々であった」(pp.527)と解説している。
著者は、大東亜戦争がルーズベルト政権の政策(陰謀)により引き起こされたものであったことを詳細に証明しながらも、ルーズベルト政権全体を評価する立場から、「本書で、語られている真実により、アメリカ国民に対するフランクリン・デラノ・ルーズベルトのすばらしい貢献が矮小化されることはないし、また彼の功績がこの真実により汚されるべきではない。アメリカの全大統領について言えることだが、・・・その政権の全体像から評価されなければならない」(エピローグ、pp.448)と述べている。ただし、必ずしも解説者が述べているような、「ルーズベルトが日本による「卑劣な不意打ち」を演出してアメリカを大戦へと導いていったことは正しかった、という結論をスティネットが出している」(解説、pp.525)わけではない。第二次世界大戦に実際に従軍した米国軍人の一人として、著者はルーズベルト政権全体は評価しながらも、その思いはもっと屈折した複雑なものである。たとえば、「まえがき」では「本書は、アメリカの戦争介入が賢明であったか否か、を問うものではない。太平洋戦争を経験した退役軍人の一人として、五十年以上もの間、アメリカ国民に隠蔽され続けた秘密を発見するにつれて、私は憤激を覚えるのである。しかし私は、ルーズベルト大統領が直面した苦悶のジレンマも理解した」と述べているし、「第二次世界大戦の遺族と退役軍人[著者もその一人である]にとっては憎んでも余りあることのように思えるが、ホワイトハウスの立場からすれば、真珠湾攻撃はより大規模な悪を阻止するために耐え忍ばねばならない出来事であった。その悪とは、ヨーロッパでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を開始し、イギリス侵略を狙っていたナチスのことである。ヒトラーの勢いを止める手段として正しい選択であったか否かについては議論も分かれるだろうが、ルーズベルトは途方もなく大きなジレンマを抱えていたのは確かである。ルーズベルトの願いや説得もむなしく、強大な孤立主義勢力は、ヨーロッパの戦争にルーズベルトが介入することを許さなかった。・・・本書は、そのようなジレンマを解決する趣旨で書かれたものではない」(エピローグ、pp.447~448)とも述べている。
著者の立場はルーズベルト政権時代を生きた多くの米国軍人の立場を表しているように思うが、単純に日本軍による真珠湾攻撃に至るルーズベルト政権の政策を支持しているわけではない。それは当然のことと思われる。たとえ「自分たちが正当だと信じる目的のためには手段を選ばない」のが国際政治の現実ではあっても、そのような理屈が堂々と人間社会の正義として通用するのならば、それは左翼や共産主義者と同じ闘争至上主義の独善的な力の思想と何ら変わりはないし(事実、ルーズベルト政権には共産主義者の勢力が大きな影響を及ぼしていたし、当時のアメリカが民主主義国であったとも言えない)、人間社会の道理や法律も成り立たないことになる。強者の無法は正義で、弱者の道理は通らないというのは、長い目で見れば必ず破綻につながる。そうした人間の道理に反する手段は単に卑劣なだけであり、正当化できる根拠はどこにも存在しない。アメリカにはルーズベルト政権全体を評価しない人々も少なくないし、またアメリカが大東亜戦争を引き起こしたことによる数多くの犠牲や、戦後のアジアの混乱や諸問題の源泉を作り出した責任は否定できない。