「世界がさばく東京裁判」終戦五十周年国民委員会編、佐藤和男監修、加瀬俊一序、ジュピター出版、1996年8月発行、¥1,600(税込み)

本書は終戦五十周年国民委員会(加瀬俊一会長)が東京裁判(極東国際軍事裁判)に対する世界の多くの識者による批判をまとめ、その違法性を広く啓蒙するためにまとめられたものである。終戦五十周年国民委員会の会長である加瀬俊一は日本国の初代国際連合大使であり、監修者の佐藤和男は同委員会の副会長であって、日本を代表する国際法学者(青山学院大学名誉教授、法学博士)である。
いわゆる東京裁判と海外における戦犯裁判なるものは、その内容をいくらか詳細に知る者にとっては、裁判の形を装った戦勝国(特に米英中ソの四カ国)による敗戦国の日本人に対するリンチに他ならないことは明らかであるが、本書では特に東京裁判について世界の多くの識者による批判を参照しながら、あらゆる角度から近代国際法に照らしての東京裁判批判を展開している。目次を示すと、以下のようになる。
[第1章]知られざるアメリカ人による<東京裁判>批判
――なぜ日本だけが戦争責任を追及されるのか
[第2章]戦犯裁判はいかに計画されたか
――国際法違反の占領政策
[第3章]追及されなかった「連合国の戦争責任」
――裁判の名に値しない不公正な法手続
[第4章]蹂躙された国際法
――国際法学者による「極東国際軍事裁判所条例」批判
[第5章]<東京裁判>は平和探求に寄与したか
――残された禍根と教訓
[第6章]戦後政治の原点としての<東京裁判>批判
――独立国家日本の「もう一つの戦後史」
[付録Ⅰ]誤訳としての「侵略」戦争
――アグレッションの訳語には「侵攻」が適当
[付録Ⅱ]日本は東京裁判史観により拘束されない
――サンフランシスコ平和条約十一条の正しい解釈
第二次世界大戦の戦勝国(連合国)、特にアメリカは、日本がポツダム宣言を受諾し、武装解除に応じて、条件付の降伏文書(ミズーリ号上での停戦協定)に署名すると、日本の戦争指導者を片っ端から恣意的に捕まえてきて銃殺したかったものと思われるが、さすがにヨーロッパ社会のはみ出し者がアメリカ大陸へ流れてきてアメリカ先住民(インディアン)を欺いては虐殺して生存領域を拡大していた時代とは異なり、近代国際法によって国土、領海、領空、国家が成立している二十世紀にそこまでの蛮行は憚られたため、国際法に立脚した裁判という形をとって、降伏文書にある日本の降伏条件などは無視して蛮行を実行したのが東京裁判であり、海外での戦犯裁判であった。これが十六世紀なら、日本でも敗戦国の指導層は戦勝国によって斬首、曝し首にされたのであるが、二十世紀においてそれと同等のことを戦勝国(特にアメリカ)が行ったということは、彼ら(米英中ソなど)の残虐性と悪質さ、および教養・文化度の低さを現して余りあるものである。しかもそれを実行するために、日本国と日本軍についてのさまざまな悪質なデマを世界中に流し、日本国内においては厳しい言論統制を布き、さも自分たちに正義があるかのように装ってアジア侵略の意図を巧妙に隠蔽した。異民族との戦争に負けるということはそういうことなのだろうが、ほんとうの正義がどちらにあったか、第二次世界大戦後の世界の歴史を見れば明らかである。こうした近代以前のような国々が現在でも世界に多数存在する以上、日本は自国をより強固にし、十分な防衛力を整備する努力を怠らず、二度と異民族との戦争に負けてはならない。
1928年に日本を含む多国間で署名されたパリ不戦条約が違法としている「war of aggression」は字義通りには「挑発されない攻撃戦争」という意味だが、その定義はなされておらず、特定の戦争が「挑発されない攻撃戦争」か自衛戦争かの判断は戦争当事国の自己解釈にまかされていた(なお、「挑発されない攻撃戦争」を佐藤和男は侵攻戦争と訳している)。それにも関わらず、東京裁判では日本国が侵攻戦争を行ったと何の根拠も示さずに断定している。
国際法では国家には基本権として戦争権(開戦権と交戦権)が認められており、他国に対して戦争宣言(宣戦布告)をすれば一方的に戦争状態を創り出すことができた。したがって一国だけが戦争放棄するなどという状態は理論的には成り立たないのであって、他国から一方的に宣戦布告をされれば、受けて立つ以外に方法はないのである(戦後の国際連合では、侵攻戦争か自衛戦争かの認定は安全保障理事会が行う権限を持っている)(付録Ⅰ、佐藤和男の論説)。
なお、「サンフランシスコ平和条約十一条」は、連合国側の軍事法廷が日本人被告に言い渡した刑(judgements)の執行を日本政府に引き受けさせ、放免・減刑・仮出獄の手続きを定めた点にあり、日本国が東京裁判や海外における戦犯裁判なるものを受け入れたものでないことは、国際法学者の共通の認識である(付録Ⅱ、佐藤和男の論説)。
ルーズベルト、トルーマン、マッカーサー、チャーチル、蒋介石、毛沢東、スターリンや彼らの政策に関わった部下たちなど、ドイツのヒットラーやその部下たち同様、ほんとうの意味での“平和に対する罪”を犯した人類の敵は、無意識のうちに人間は死ねばすべてが消滅してしまうという近視眼的で浅薄な認識に立っていたのであろうが、なんぴとと言えども大宇宙の法則を変えることはできない。これまでの筆者の数々の経験から判断すれば、彼らは現在に至るもなお、身の毛もよだつような応報の世界に閉じ込められて生きている。目に見えないエネルギーの動きはとてもゆっくりではあるが、百年単位で見れば、彼らに率いられて蛮行を支援した当該国家にも確実にその結果は現れてくるものだ。あえて日本人が彼らを呪詛しなくとも、今後の長期間に亘って彼らの国々のさまざまな困難な社会問題は増大こそすれ、決して解消に向うことはあり得ない。

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