「悪韓論」室谷克実著、新潮社、2013年4月、各¥720(+税)

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著者は1949年、東京都生まれの評論家。慶応義塾大学卒業後、時事通信社のソウル特派員を経験。2010年に出版した著書に、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮社)がある。

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世に「嫌韓論」なるものがある。「韓国が嫌い」という意味です。国家も国民も平気でウソをつく韓国は、筆者も嫌いです。中国も似たようなものです。もちろん、どこの国にも善人もいれば悪人もいるし、誠実な人もいれば詐欺師や強盗もいます。ただ、総体としての民族の性格というものは、個人の性格同様、簡単に変わるものではありません。そういう意味で、日本が“誠”の国であり“真”の国であるとするならば、相対的に韓国や中国は“詐”の国であり、“偽”の国だと言えるでしょう。本書も、その「嫌韓論」の類かと思いきや、そうではなく「悪韓論」なのです。それも韓国人自身の資料(国家の公式統計や「権威ある」マスコミ報道)を主な典拠とした分析に基づくものです。著者は、(好悪の感情ではなく)クールに韓国は「悪」だと、韓国人自身の資料をもとに断じているのです。
朝鮮半島で創作された数少ない四字熟語の一つに、<外華内貧>という言葉があるそうです。「中身はボロでも、とりあえず外観を飾り立てたい」というほどの意味です。「ボロは着てても心は錦」の日本人とは真逆です。著者は、この言葉が最も韓国人(朝鮮人)と韓国の性格を表しているという。「外観を飾り立てる」ためには彼らは何でもする。ウソをつくなど朝飯前で、裁判所で宣誓した後でも「息を吐くようにウソをつく」。海外で悪事を働いて捕まると、自分は日本人だと詐称するほど悪質なのだという。近年の韓国ではキリスト教徒の割合が人口の約30%を占め、最大の宗教勢力だという(2005年、統計庁発表)が、しょせん多くは本物のキリスト教徒ではないのであろう。その証拠に、旧約聖書はモーセの十戒でウソを固く戒めているではないか。
朝鮮半島の歴史の中で、日本が統治していた36年間(1910~1945年)だけが、まともな法治国家として飛躍的な発展ができた安定した時代であったといえる。その間に人口はほぼ2倍になり、耕作地は80%近くも増加し、近代的教育制度や鉄道などの社会インフラが整備され、経済規模は6倍近くに増加した。世界の辺境の、未開地域であった朝鮮近代化のために(朝鮮の)予算の三分の二近くを日本政府が負担し、大規模な日本の民間資本が投下されたからである。帝政ロシアの南下侵略政策に対抗するため、当時の日本としては国防上止むを得ない選択であったと思うが、戦後の韓国はそうした歴史的事実を直視せず、オトギ話のような捏造された歴史教育を続けてきている。しかも、あろうことか、その捏造した“歴史”をアジアの歴史に疎い世界中に触れ回っている。日本による韓国併合以前の自分たちの歴史があまりに悲惨なため直視しえず、自分たち自身に捏造した“歴史”を信じ込ませようと躍起になっているように筆者には見える。筆者も日本側の戦後のウソの歴史教育で育った世代だが、一方では当時、朝鮮で教職にあった方の同窓会が日本国内で開かれるたびに、多くの朝鮮人の教え子が師を慕って来日して参加しているという記事をたびたび新聞で目にしたことがある。日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたという教科書の記述はほんとうに事実であったのかと疑った記憶が、今でも鮮明に残っている。
自意識過剰で依存症の韓国・朝鮮は、何かといえば日本が、日本がと言うが、彼らが言うほど現代の日本人の多くは韓国・朝鮮に関心を持ってはいない。ただ、ここ百年ほどで激変した国際情勢の下で、韓国・朝鮮は先祖返りをして元の”李氏朝鮮”に戻ってしまった。民族の性格というものは、中々変わらないものである。隣国である日本人は、自国防衛のためにも韓国・朝鮮(や中国)を正確に理解しておく必要がある。そのためには、本書は一読の価値があると筆者は考える。

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