「日米・開戦の悲劇‐誰が第二次大戦を招いたのか」、ハミルトン・フィッシュ著、岡崎久彦訳、PHP研究所、一九八五年&一九九二年(文庫)、¥1,300(税別)

著者は1888年、米国ニューヨークに生まれる。ハーバード大学卒業後、ニューヨーク州議会議員、第一次世界大戦に従軍後、長年、米国下院議員(共和党)を勤めた。アメリカの不干渉主義者の指導的代表。監訳者は、1930年生まれ(大連)の外交官。
本書は、長年に亘ってアメリカ議会の外交委員会に籍を置き、第二次世界大戦時をアメリカ議会の指導者の一人として当時のルーズベルト政権の政策を批判してきた著者による自戒を込めた書である。
著者は、第二次世界大戦はアメリカの共産主義化していたルーズベルト政権が始めたものであり、対日戦争は戦争を欲していたルーズベルト一派が日本を挑発して起こしたものであると断じている。なぜルーズベルト大統領が戦争を望んだかについて、著者は以下のように記している。
①暗黙の約束も含めた対外コミットメントを守るためであり、
②悲劇的な失業状態を回復するためである-六年間の「ニューディール」政策とその失敗の後、アメリカではいまだ一千三百万人が失業状態にあった
③国際主義者として、彼は実際に戦争に介入したいという欲望を持っており、
④戦争を指導した大統領となることで権力欲を満たし、その名を歴史に止めるためであり、
⑤国際連合を結成し、それの実質上の支配者ないしは、スターリンとの共同支配者になろうとしていたからである。(第四章、pp.100~101)
第二次世界大戦は、第一次世界大戦後のベルサイユ条約でポーランドに割譲されたポーランド回廊とダンチヒを平和裡にドイツに返還することを意図的に妨害したルーズベルト大統領一派が起こしたと言っても過言ではない。ルーズベルト大統領はイギリスに圧力をかけ、イギリスがポーランドに対して空手形を切ったため、ポーランドが返還交渉を強硬に拒否し、ヒットラーがポーランドに侵攻して始まったのが欧州戦争であった。ルーズベルト大統領は欧州戦争に参戦すべく、大西洋において盛んにドイツを挑発したが、ドイツが自制して応じなかったため、ドイツと同盟を結んでいた日本を挑発して参戦を果たした。
「私は、合衆国が、ヨーロッパの昔からの怨念のこもった争いや勢力均衡政治にひきずり込まれることに、正面きって反対していたのだった。そして、当時、約九〇%の国民も同意見であったのだ」(第五章、pp.122)。アメリカ議会の不干渉主義者として合衆国の参戦に反対していた著者は、日本軍による真珠湾攻撃を受けて態度を変え、「数時間後、私は大統領の演説を支持するスピーチを、下院からラジオを通じて行った。・・そして日本を打ち負かすために、ルーズベルト政権を支持するようすべての不干渉主義者に対して、結集を呼びかけた」(追記-I、pp.174)。「私は一九四一年十二月八日月曜日に、日本に対する宣戦布告決議のための審議を開催した」(第二章、pp.47)。しかし、当時、著者は「私は日本に対する最後通牒について何も知らなかった・・・すべての議員たちや国民と同じく、私も徹頭徹尾、合衆国大統領に欺かれていた」(追記-I、pp.174)。そして、次のように慙愧の念を表明している。「今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したことを知っており、この演説を恥ずかしく思う」(第二章、pp.47)と。
当時の日本政府(外務省)はなぜ、アメリカ議会(議員)にハル・ノートを公開してルーズベルト大統領一派の横暴を訴えなかったのであろうか。恐らくそれは、今日も日本政府に続いている広報活動、ロビー活動の軽視による理念的不作為が招いたものであろう。情報戦争の軽視こそが、日本人および日本国政府が第二次世界大戦の敗戦から学ぶべき失敗の大きな教訓の一つであるが、残念ながら戦後の日本政府も大して変わってはいない。
大方の日本人にとっては第二次世界大戦とは言っても欧州戦争にはそれほど大きな関心はなく、その事実関係に無知なかたが多いと思うが、本書は欧州戦争がいかに大きく大東亜戦争に関わっていたかの真実を理解する上でも有用な書物です。歴史の真実を知りたいと考えているすべての日本人は一読すべきです。

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