映画「ジョン・ラーベ」 ―  「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

一、 以前から製作が伝えられていた独・仏・中合作の映画「ジョン・ラーベ」(フローリアン・ガレンベルガー監督)が完成し、去る4月2日ドイツで封切られたと伝えられる。4月28日には中国でも上映されることになっているという。こんな映画に跳びつく配給会社が日本にはいないようで、日本での上映の計画はないという。例によって、日本も政府が映画統制をしていると思い込んでいる無知な某国人が「日本で上映禁止!」と虚言を撒き散らしている。それに呼応して、上映をさせようと署名運動をやっている愚かな日本人もいる。
二、 ラーベは昭和12年12月に日本軍が南京を占領したとき、南京に残っていた欧米人(大部分アメリカ人)15人によって組織された「安全区国際委員会」の委員長であった。「安全区」は南京の一角を中立地帯にして、一般市民を戦火から守るために設置されたものである。面積は東京で一番小さい中央区の半分弱である。映画では、住民保護に当った国際委員会の代表ジョン・ラーベを人道主義者、「中国のシンドラー」として讃える反面、当然のことながら、日本の残虐さを強調している。ナチ党員ラーベすら憤慨する日本軍というわけである。
三、 ところで実際はどうであったのか?先ず、何故ラーベが委員長に選ばれたのかである。ラーベは、ドイツの大電機メーカー、ジーメンスの南京支社長であった。当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み中国軍の近代化を指導するとともに、ドイツ製の武器を中心に大量のドイツ製品を売り込んでいた。産業連盟ぐるみで輸出を行い、中国はドイツの第一のお得意となっていた。ジーメンスもその中心メーカーであった。蒋政権と極めて親密な関係を持つドイツ人のラーベが委員長に選ばれたのは当然のことなのである。
四、 軍事顧問団のファルケンハウゼン将軍は、日本に対する先制攻撃案を蒋介石に提案していたくらいであるから、その仲間のラーベが反日的で、中国人に同情的あったのは不思議ではない。従って、『ラーベ日記』には、日本軍に対する極めて悪意のある描写が多いのである。あの狭い「安全区」に20万の市民がいた。そこを自由に行き来していたラーベ。それでも、日記にはたったの一件も殺害を自分で見たことが書いてない。全てこう言ってるああ言ってるという伝聞である。事実国際委員会の公式記録である『南京安全区の記録』には南京の人口はずっと20万だったと書いてある。ところが、彼はヒットラーへの上申書で5万から6万の民間人が殺されたと書く。要するに全くのうそつきであるということである。
五、 こんなうそつきの反日ナチス党員が書いた記録を更に誇張して作った映画がどのようなものなのか、改めて言うまでもないことである。どうも、ナチス原罪に悩むドイツ人は日本をナチス以下とけなすことで自己救済を図りたがっているようだ。残念ながらそれは虚しい試みだ。ユダヤ人対策要綱(昭和13年12月6日五相会議決定)でユダヤ人差別をせずと正式に宣言した日本に、ウソによって刃向おうとしているに過ぎないからである。
(9.8)

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