‘満州事変・満州国関連一般’ カテゴリーのアーカイブ

資料室: 満州事変・満州国関連一般

満洲国建国の正当性を弁護する ジョージ・ブロンソン リー (著), 田中 秀雄 (翻訳) 草思社

歴史戦は『戦時国際法』で闘え―侵略戦争・日中戦争・南京事件 (自由社ブックレット4) 倉山 満 (著)

英国人ジャーナリストが見た現代日本史の真実〜日本は世界の宝である〜 ヘンリー・S・ストークス (著), 藤田裕行 (翻訳)

「嘘だらけの日中近現代史」倉山満著、扶桑社、2013年6月発行、¥760+税


著者は1973年、香川県生まれの憲政史研究者。1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。国士舘大学で日本国憲法を教えている。
”中国に「近代」などありません。あるのは、独裁の古代と殺戮の中世だけです。中国大陸では古代と中世が繰り返されてきただけで、中国はいまだに近代国家ではないのです。その意味で、模範的近代国家である日本とはまるで異質の国です。・・・中国はいかなる意味でも「近代」国家ではありません。・・・「中国」という名前が嘘です。せいぜい「中華人民共和国の略称」くらいの意味しかありません。・・・たかだか建国六十年です。・・・中国を理解する三つの法則を覚えてください。一、力がすべて、二、陰謀でごまかす、三、かわいそうな人たち つまり、ただひたすら殺伐としているのが中国なのです。徹頭徹尾、暴力や金銭、あるいは社会的立場など、自分と相手のどちらが強いかだけを計算して行動します。この点で、世界一の冷徹さを持つ民族です。日本人など到底、及びもつきません。弱肉強食、万人の万人に対する闘争こそが中国大陸の本質です。・・・悪知恵という点においても、日本人は中国人に比べると、大人と子供、いや赤ん坊くらいの差があるでしょう。・・・あらゆるきれいごとと言い訳を並べ、強い相手を騙します。命乞いをして時間を稼ぎ、自分のほうが強くなったら、隙をついて裏切ります。相手を怖いと思ったらつぶす、利用価値があると思ったら飼い慣らす。恐ろしく殺伐とした世界です。”(はじめにより)。
”中国史のパターンを図式化してみましょう。一、新王朝、成立->二、功臣の粛清->三、対外侵略戦争->四、漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成->五、閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁->六、秘密結社の乱立と農民反乱の全国化->七、地方軍閥の中央侵入->八、一へ戻る 基本的にこのパターンを数千年間繰り返して今に至っています。・・・中国の政治は閨閥・宦官・官僚らの派閥抗争と対立のうえに皇帝が君臨して均衡が保たれるのです。こんな体制は長くは安定しません。・・・中国には「政治的言動は即死刑」という伝統がありますから、一般庶民は政治のことに関心を持ちませんが、もはや最低限度の生活が維持できないと悟るや武器を持って立ち上がります。”(第一章より)
これ以上内容の解説はいたしませんが、満洲への莫大な投資を騙し取られ、現在の中国への投資を台無しにされても、なお、「中国は十数億人の市場」とか「日本経済は中国に依存している」などと念仏のように唱え続ける中共の代理人のような日本のメディア関係者や産業人、国家の指導層の人たちにぜひ読んでいただきたい書物です。
長年にわたって支那の属国であった朝鮮半島も似たようなものです。
著者には「嘘だらけの日米近現代史」扶桑社、2012年9月発行、¥760+税もあります。

「日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘」黄文雄著、徳間書店、2012年11月発行、¥667+税



著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。
本書は、著者がすでにさまざまな著書で述べている日本の近現代史(明治維新から日韓併合、満州国建国、台湾領有、大東亜戦争まで)の史実をまとめたものである。近年の中国、韓国による反日歴史史観、というよりも、史実を無視したゆすりたかりの「中華史観」と同調して日本を貶め、弱体化させようとしている日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、文化人などの欺瞞を排して、日本人に史実を理解し、自国に対する誇りを持ってもらうことを目的として書かれたものである。彼らは「息を吐くように嘘をつく」(朝鮮日報、2010年2月2日)。そのことを弁えた上でうまく利用できないのであれば、かって福沢諭吉が喝破したように、日本は中国・韓国という「アジアの悪友どもとは絶交すべき」である。「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである」(「ブッダのことば」中村元訳、岩波書店)。
目次を紹介しておくと、
序 章 日本人を貶める「反日」歴史認識の嘘
第一章 世界を変えた日本の近現代史
第二章 朝鮮半島を救った日韓合邦
第三章 「王道楽土」を実現した満州国の真実
第四章 日中戦争の真の被害者は日本だった
第五章 台湾に根付いた日本精神
第六章 大東亜戦争が果たした歴史貢献
終 章 歴史捏造への逆襲
「歴史を政治の道具ではなく、良心と良識を持つ者がグローバルな歴史の流れから見たならば、日本が近代世界に果たした歴史貢献はいくら評価してもしすぎることはないほど明々白々である。中韓は、今までの歴史捏造と歪曲を反省する必要があり、逆に日本に謝罪し、感謝しなければならい。・・・日本は開国維新以来、万国対峙の局面、アジアの植民地化の情勢のなかで、ただ一人自存自衛のため、あるいは東アジア防衛のため、孤軍奮闘を繰り返し、超大国が仕掛ける戦争を戦い続けてきたのだ。それを「悪」と見なす東京裁判史観こそ、アジア侵略を行った欧米列強の史観であり、いわば侵略者の侵略正当化史観である。あるいは同じアジアの国家でありながら、アジア解放など一切念頭にも置かず、つねに東アジアの騒乱の元凶であり続け、挙句の果てには欧米侵略者に荷担した中国の歴史観でもある。・・・戦争責任を追及するなら、このようなアジアの(註:というよりは人類の)敵だった国々に対して行うべきなのだ。」(終章)
「日本が悪かったことといえば、こうした国々に敗れ去ったことくらいだ」(同)―これが著者の結論である。

「台湾、朝鮮、満州 日本の植民地の真実」黄文雄著、扶桑社、2003年10月発行、¥2,476+税

著者は外国(台湾)出身であるがゆえに早くから客観的な事実を丁寧に掘り起こし、冷静に日本と中国近現代史の真実を世に問う著作を数多く発表してきているが、本書は日本の「植民地」と言われる戦前の台湾、朝鮮、満州についての集大成としての著作である。「台湾は日本人がつくった」(徳間書店、2001年4月)、「満州国の遺産」(光文社、2001年7月)、「韓国は日本人がつくった」(徳間書店、2002年4月。改訂版、WAC BUNKO、2010年8月)に続いて出版された著作で、著者は本書で西欧諸国による搾取・略奪型植民地とは異なる日本型「植民地」、つまり、日本本土に次ぐ第二、第三の「文明開化、殖産興業」による近代国民国家建設による東アジアの近代化の史実を、膨大な歴史資料に基づき実証的に詳述している。その背景には西洋列強からの日本の独立保全の問題があり、当時、“日本は、常に背水の陣で日本の安全保障の大前提である「アジア保全」(列強からの防衛)の努力を行っていた”のであり、“日本とともに近代化を行って西洋と対抗できる・・・アジア諸国が他になかった”のである。それがついには大東亜戦争を経てアジア諸国の独立につながり、アフリカ植民地の独立をも誘発し、人類史において“白人世界帝国解体への起爆剤となった”世界史的な意義を指摘している。「歴史は巨視的にみるべきだ。台湾と海南島は面積や地理的条件が実に似通っているが、この二つの島を比較すれば、日本の台湾統治の真実が最もよく理解できる。また、衛生環境が悪かった都市といわれたソウルが、なぜ近代的都市になったのか、かって塞外(辺境の意)、封禁(出入禁止の意)の荒野として放置された満洲が、いかにして近代産業国家に一変したのかを考えれば、日本のこれら地域における功績に、もはや説明は要らないはずだ」(“はじめに”より)。「日本人は台湾で匪賊を討伐、平定し、朝鮮では両班の苛斂誅求を停止させた。満洲では軍閥、馬賊を追放し、それによってこれら地域では安定社会が現出し、殖産興業が行われたのである。・・・かって非西欧文明圏の中で、資本蓄積と技術開発をできる国は日本だけであった。・・・日本の「文明開化」の波動を東亜世界に拡散できた背景には、日本の資本と技術の創出とその海外移転の成功があった」(第1章)。日本は台湾、朝鮮、満洲などでいかに良いことばかりをしてきたかを知っておくことは、日本の近現代史を知る上で日本人としての最低限の務めである。
同時に著者は、本来が人類のユートピア(地上の天国、地上の楽園)思想であり、解放思想であった植民地主義と社会主義(ほぼ同時代に崩壊した)を人類史の観点から鳥瞰・比較し、総じて言えば植民地主義はその遺産として各地に近代化をもたらしたが、社会主義がもたらしたものは人々の貧窮と荒廃のみであったと分析している。「かっての中国人は、植民地の悪の象徴だった租界に住むことを夢見ていた。なぜなら租界は中国の中で、唯一生命と財産を保障してくれる天国であり、駆け込み寺だったからだ。それはイギリスの植民地だった香港にもいえることである。・・・日本の植民地だったと非難される満州国にも、年間百万人以上の中国人がなだれ込んでいたという事実があるのだ」(“はじめに”より)。
さまざまな欲望に際限が無く、全体として善よりも悪の要素が勝る現実の人類に地上の楽園(ユートピア)を実現することは本質的に不可能だと思われるが、人類史において繰り返しユートピア思想が現れるのは、いつの時代も人間社会というものが悪と悲惨を抱え込んでいるためだと思われる。しかしそれは教育の普及と共助・共生により漸進的に改善していく以外に方法はなく、人間の本質を無視した安易なユートピア思想には眉にツバをすべきであると筆者は考えている。

「図説 写真で見る満州全史」(ふくろうの本/日本の歴史) 平塚 柾緒他著、 太平洋戦争研究会編、河出書房新社、2010年11月発行、¥1,890(税込み)


タイトルから分かるように、本書は写真集に解説を施したものである。解説は総じて通説と著者の理解(推測)に基づいて書かれており、必ずしも同意できない箇所も散見されるが、数多くの写真により満州国が存在した当時の時代が視覚的によく分かる。
歴史を書物の文章だけで理解しようとすると、どうしても観念的、抽象的な客体として対することになり、現代に生きている私たちの感覚や価値観に影響されて歴史の真実に迫ることが困難であるが、写真(フェイクは論外)があれば一目瞭然。生身の人間が生きて苦闘していた当時へと私たちの感覚を誘ってくれる。そうした意味で、本書は私たちの満州国理解に有益な書物である。

「全文リットン報告書」渡部昇一編集、ビジネス社、2006年11月発行、¥2,415(税込み)


本書は有名な「リットン報告書」(国際連盟日支紛争調査委員会報告書:Report of the Commission of enquiry into the Sino-Japanese Dispute)の全訳で、原文(英文)も添付されている。編者である渡部昇一上智大学名誉教授の解説が最初に付されており、その部分だけを読めば大体の内容が分かる仕組みになっている。解説内容を参考に、以下、大略の紹介をしておく。
報告書を一読して最初に気がつくのは、満洲族(女真族)の王朝である清朝と、満洲族を排して漢民族により樹立された中華民国を同じシナとして調査団が理解し、満洲は古来シナ(中華民国)の一部であったとしていることである。アジアの歴史に対する無知から来るのか意図的かは分からないが、報告書は基本的に誤った認識(前提)に立って書かれている。そのことに対して解説者は、国際連盟特別総会での報告書の同意確認裁決後の松岡洋右の「国際連盟脱退」の演説について、「彼はあくまでも「満洲は清朝固有の領土」という歴史的事実を説くべきだった」と、「リットン報告書に対する(当時の日本の)拙劣な対応が、日本の悲劇に連なった」ことを指摘している。解説者はまた、「秦の始皇帝以前も以後も、シナの王朝が満洲を実効支配した事実はないのである」と解説している。古代からシナ本土(万里の長城内部の漢民族の居住地)を支配した王朝はシナ本土に居住していた漢民族によるものだけでなく、周辺の異民族(蛮族)によるものがいくつもあった。シナ大陸の歴史はさまざまな地域や民族による興亡(争奪)の歴史で、一つの中国という国家(地域)が昔から存在していたわけでないことはアジアの歴史を知るものには常識である。
しかも満洲は清朝の時代に一度は事実上ロシア領になっていたのである。一八九九年の北清事変後、ロシアは満洲に兵を送り、全満洲を実質的に占領し、「日露戦争間近の時期には、清朝の官吏が満洲に入るにもロシアの役人の許可が必要であった」(解説より)。しかるに、清朝は領土回復の努力を何もせず、日露戦争に勝利した日本が南満洲鉄道などの権限を除いて、満洲の土地を清に返還しているのである。当時の時代背景を考えれば、誠実というよりはお人よしというしかない。多大の犠牲を払って満洲からロシアの勢力を駆逐した日本が、そのまま満洲を支配していたら、後の満州事変も起こらなかったであろうし、まったく別の歴史が展開したものと思う。
解説者も述べているように、報告書は単純に「日本の侵略」を非難したものではなく、むしろ相当に日本の主張に理解を示している。「満洲における日本の権益は、諸外国のそれとは性質も程度もまったく違う」(第三章)。「この紛争は・・・他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたといったような簡単な事件でもない」、「単なる原状回復が問題の解決にならないことは・・・明らかだろう」(第九章)として、調査団としての提議で締めくくっているのであるが、提議の内容は満洲に多くの日本の権益を認める前提でシナ(中華民国)の主権を認め、日本を含めた外国人顧問のもとで特別行政組織(自治政府)を設置するというものであった。
国際連盟で報告書が採択されても、日本にとっては二つの選択肢があったはずである。一つは報告書の提議を受け入れ、できるだけ日本に有利な条件を勝ち取ること。いま一つは報告書の提議を拒否して、国際連盟にとどまりながら満洲国の承認国家を増やす努力を続けていくこと。当時のシナ大陸では多くの政府が乱立・抗争し、すでに一つの中華民国といえる状況ではなかったし、過去の経緯からして日本には後者の選択肢しかなかったとしても、「国際連盟脱退」よりも、いま少し狡猾なやり方があったのではないか。
「満洲が満洲民族の正統の皇帝を首長に戴く独立国にすでになっていることを強調して、調査団の報告自体が無用になっていることも主張すべきであった。「独立」という既成事実は調査報告などより千倍も万倍も重いのである・・・。その上で万一、調査団が採択されても、日本は連盟に留まっているべきであった・・・。そうしてもめているうちに、満洲帝国の既成事実は確乎としたものとなり、それを承認する国々も出たはずである」(解説より)。現在の国際連合における北朝鮮のやり方を見ればよい。拉致問題、核兵器、ミサイル開発など、国連でどのような声明や決議がなされても、彼らはその都度、適当な反論を繰り返し、平然と国連に居座っている。日本人はあまりにもバカ正直というか、外交べたというか、異民族に対しても日本人に対すると同じような対応をして、狡猾で独善的な諸外国に翻弄されてきた。現在もそのことは大して変わっていないように思われる。満洲国を承認する国家は少しずつ増加し、最終的には日本や南京政府(王兆銘政府)を含む20カ国以上に承認されており、その中にはドイツ、イタリアや北欧・東欧諸国だけでなく、バチカン政府(ローマ教皇庁)も含まれていたのである。ソ連でさえ、国内に満洲国領事館の設置を認めるなど、事実上、満洲国を承認していた。

「謎解き「張作霖爆殺事件」」加藤康男著、PHP研究所、2011年5月発行、¥756(税込み)

「完訳 紫禁城の黄昏(上)(下)」RFジョンストン著、中山修訳、渡部昇一監修、祥伝社黄金文庫、2008年10月発行、各¥840(税込み)

著者(1874~1938年)はスコットランドのエディンバラ生れ(生涯独身)。1919年、清朝最後の皇帝・溥儀の家庭教師に就任(~1925年)。清朝末期の実情を内側からつぶさに観察したイギリス人による貴重な歴史の証言。皇帝について、紫禁城の内幕、満洲問題と日本との関係などを述べており、極東軍事裁判で何が何でも日本を悪者に仕立て上げたい連合軍が証拠書類として取り上げることを拒否した著作。原著は1934年刊行。
話は、康有為の政治的意見を入れた光緒帝(徳宗、清朝最後の皇帝・溥儀の伯父)が立て続けに改革の詔勅を公布した時期(一八九八年の「百日間」)に始まる。袁世凱の裏切りにより、康有為と光緒帝の改革計画が保守派(反動派)をバックにした西太后(光緒帝の伯父・文宗の妻)のクーデター(戊戌の政変)で頓挫し、以後、光緒帝と西太后が亡くなる一九〇八年まで西太后と保守派が清朝の政治を支配した。一八九九年には義和団事件(北清事変)が起こり、宮廷は義和団の排外運動を支持して列強に宣戦布告をするが、一九〇〇年には連合軍が北京入城を果たし、紫禁城を制圧した。その結果、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされる。西太后は光緒帝を同行させ、西安へ数ヶ月間、逃避した。講和後の一九〇一年に北京へ戻った西太后は過去の反動政策を転換し、さまざまな改革計画に着手するが、遅すぎた。西太后と光緒帝がほぼ同時に亡くなると、一九〇六年生まれの溥儀が皇帝の地位につき(宣統帝)、実父である醇親王が摂政となる。その後は摂政王と新皇太后(光緒帝夫人)とが並立する形の統治であったため、清朝政府の力は急速に衰えていき、一九一一年末から革命派との間に講和会議が開かれた。この時点で満洲王朝(清朝)がシナを放棄して故地、満洲へ退いていたならその後の世界史の展開は変わっていたであろうが、現実の歴史はそうはならなかった。皇帝が自ら退位して共和政体を樹立し、共和国は皇帝が尊称を保持して諸種の特権を維持するための年金を与える(清室優待条件)ということで妥協が成立する。一九一二年二月には皇帝の退位と共和国樹立を告げる詔勅が発布された(辛亥革命)。こうして満洲王朝である清朝政府は中華民国政府に変わるのである。王朝を裏切り中華民国政府の大総統に就任した袁世凱は共和制をも裏切って自身が新王朝の初代皇帝になることを画策するが失敗(一九一六年に死去)。総人口約4億人のうち90%が文盲であった当時のシナ人の多くは君主制を支持していたが、袁世凱を支持してはいなかった。一九一七年には張勲将軍を中心とした君主制支持派により宣統帝(溥儀)が復帰するが、直後に共和国側の段祺瑞との戦争に敗れて溥儀は再び隠棲した。その後、段祺瑞が国務総理になって北京に新議会が招集されたが、広東では孫文が独立政府を維持していた。一九一八年になり北部勢力に押された孫文は日本へ亡命するが、南北間では内戦が続き、全国を統治する中央政府は存在しないことになる。北京の新議会では徐世昌が大総統に選出された。一九一九年五月には、第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本の利権に対するシナ側の要求が拒否され、段祺瑞が日本の二十一ヶ条の確認に同意したことが暴露されると五・四運動が起こり、暴徒化する。一九二二年には皇帝・溥儀の結婚式が執り行われた(皇帝も皇后も十六歳)が、帝室の私有財産であるはずの皇帝と皇后への婚礼献上品がすべて共和国側に押収された。同時期、北方の政治グループ(安福派、奉天派、直隷派)間の対立が激化し、安直戦争、奉直戦争などが起こっている。一九二四年には満州の将軍、張作リン(リンは雨冠に林)とシナ北部の呉ハイフ(ハイは人偏に凧、フは浮の旁)の間に内戦が勃発し、呉ハイフの部下であるヒョウ玉祥(ヒョウは二水扁に馬)がクーデターを起こして(十月)清室優待条件を一方的に修正して宣統帝を紫禁城から追放し、実父、醇親王の邸宅(北府)に軟禁する(十一月)。同年十一月下旬には満洲王朝と宣統帝に同情を寄せていた張作リンが大総統に指名した段祺瑞と北京入りし、一時的にヒョウ玉祥の勢力が後退する。そのわずかな期間に宣統帝は著者などの支援で公使館区域へ脱出し、日本公使館に保護されることになる。「北府」に残された皇后も日本公使(芳澤謙吉)の断固たる努力で日本公使館へ脱出する。皇帝は一九二五年二月二十三日までの三ヶ月間ほどの間、日本公使館の賓客であった。その後、皇帝は天津の日本租界内で一九三一年十一月までの七年近くを過ごした。それまでどのような陰謀にも荷担していなかった皇帝・溥儀が変貌するのは、一九二八年七月に神聖な帝室の御陵が国民党の軍閥によって破壊され、埋葬品を掠奪・冒涜された(東陵事件)からである。同年、張作リン爆殺事件が起こり、一九三一年九月には奉天郊外で柳條湖事件(満州事変)が起こった。同年十一月、皇帝は天津を去り、満州に向った。翌一九三二年の満州国建国に伴い、皇帝は満州国の執政に就任。一九三四年の満州国帝政実施で満州国皇帝となった。
満洲や君主制、満洲と日本との関わりについては、本書に以下のような記述がある。
「一八九八年当時、満洲に住んでいた英国の商人たちは、「まさに目の前で現実のものとなってゆくロシアの実質的な満洲併合」について語っている。・・・シナの人々は、満洲の領土からロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったく取ろうとはしなかった。もし日本が、一九〇四年から一九〇五年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満洲全土も、そしてその名前までも、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である。」(第一章)、「日本は・・日露戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益や特権は保持したものの、・・満洲の東三省は、その領土をロシアにもぎ取られた政府(註:満洲王朝の政府、清朝)の手に返してやったのである。」(第四章)
「満洲は清室の古い故郷であった。・・・満洲地方には、漢人、蒙古人、満洲人、そして数多くの混血民族など、王朝に忠誠を尽くす人々がすこぶる大勢いた。だからこそ満洲は、革命で積極的な役割を全く演じなかったのである。・・・外蒙古は、一九一一年まで自国が「シナに従属」するのではなく、「大清国」に従属するものだと見なしていたということだ。・・・シナはすでに満洲人を異民族、すなわち「夷族」であると宣言し、その根拠にもとづいて、満洲人を王座から追放したではないか」、「(すでに一九一九年から張作リンなどが皇帝を帝位に就かせ、日本の保護下で君主制を復活させて満洲を独立させる計画だというウワサや報道が出ていたので)次のリットン報告書の一節は説明しがたく思われた。・・・満洲の独立運動について「一九三一年九月以前、満洲内地ではまったく耳にもしなかった」と説明されていることである。」、「君主制の復古を歓迎するだろうと見る私たちの考えが正しいのなら・・・共和制が悲惨な失敗に終ったからである。(シナの)国民大衆が望んでいるのは、立派な政府である。」(第十六章)
「日本公使は、私本人が知らせるまで、皇帝が公使館区域に到着することを何も知らなかった・・・私本人が熱心に懇願したからこそ、公使は皇帝を日本公使館内で手厚く保護することに同意したのである。・・・日本の「帝国主義」は「龍の飛翔」とは何の関係もなかったのである。」(第二十五章)、「皇帝が誘拐されて満洲に連れ去られる危険から逃れたいと思えば、とことこと自分の足で歩いて英国汽船に乗り込めばよいだけの話である。・・・皇帝は本人の自由意志で天津を去り満洲へ向ったのであり・・・皇帝は、シナの国民から拒絶され、追放された今、満洲の先祖が、シナと満洲の合一の際に持ってきた持参金の「正統な世襲財産」を再び取り戻したまでのことだ。」(終章)
大東亜戦争での日本の敗戦後、崩壊した満州国から日本への亡命の途次でソ連軍の捕虜となった皇帝は、東京裁判でソ連から言われた通りの偽証を繰り返し、「満州事変当時、溥儀が陸相南次郎大将に宛てた親書の中で、満洲国皇帝として復位し、龍座に座することを希望すると書いていたという事実を突きつけられても、溥儀はそれを偽造だと言って撥ねつけたのだった」(訳者あとがき)。コミンテルンに支配された戦勝国によるリンチにしか過ぎない場で、偽証しなければ命の保障が無かったのだろうが、異民族との戦争に負けるということの意味を溥儀は日本人以上に痛切に捉えていたのかも知れない。
元帝国は漢民族にとっての異民族であるモンゴルが拡張してシナを征服・支配した王朝であり、大清国も異民族である満州(女真)族がシナを征服・支配した王朝であったが、現在ではそのモンゴルの一部と満洲は逆にシナの共産党独裁王朝(政権)によって征服・支配されているのである。
本書は満洲問題だけでなく、中国の近代史に関心を持つ方にとっては必読の書物であると思うが、内容も非常に興味深い。
溥儀には、自伝とされる“「わが半生―「満州国」皇帝の自伝」(ちくま文庫)<上>、<下>、小野 忍、新島 淳良、野原 四郎、丸山 昇共訳、筑摩書房、1992年12月発行、各¥1,260、¥1,050(税込み)”があるが、これは溥儀を戦犯として裁き、思想改造を強いた中国共産党(中華人民共和国)の下で発表されたものであり、参考にはなっても歴史資料としての価値はジョンストンの著書にははるかに及ばない。
映画「ラストエンペラー(The Last Emperor)」は皇帝・溥儀の人生をもとに製作した物語である。製作に中華人民共和国(共産中国)が参加していてさりげなく共産中国の主張(捏造)が盛り込まれていたり、脚色されたりしているが、同時にプロレタリアートという無知で無教養な愚者が武力で権力を握ったときの怖さ、中国共産党独裁政権の恐怖がにじみ出ているのも皮肉な話である。

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