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資料室: 書籍

「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著、岩波現代文庫、2008年7月発行、¥1,000+税


著者は1945年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業。国際政治論・外交史専攻の学者(関西学院大学法学部教授)。
昭和天皇とマッカーサーとの会見というと、「自己弁明と自慢、自惚れの渦の中にある、ほんの一握りの事実」(「文芸春秋」1964年6月の「マッカーサー戦記・虚構と真実」より)しか見出せない「マッカーサー回想記」に書かれた、「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」(「マッカーサー大戦回顧録」(下)、津島一夫訳、中公文庫、2003年7月発行より)という昭和天皇の発言(とされている文言)だけが一般には知られているが、実際は昭和天皇と連合国最高司令官との会見は合計18回に及んだ(マッカーサーと11回、後任のリッジウェイと7回)。
本書は、著者が入手できる限りの資料を分析して得た、敗戦処理から戦後の日本(および皇統)の安全保障を担保するため、かって軍の統帥権を持ち大元帥陛下として大日本帝国に君臨した昭和天皇が、なりふり構わぬ「天皇外交」を展開した姿をかなり詳細に描き出している。著者は法学者であるため、新憲法制定後の象徴天皇という立場と「天皇外交」との整合性に触れているが、国家と民族(と皇統)の危急存亡の非常時にあって、天皇という影響力のある立場から、新憲法との整合性よりも国家の安全保障を優先して行動した昭和天皇の考えを、筆者は支持するものである。
むしろ問題は、コミンテルン(国際共産主義組織)の色濃き影響下にあった戦勝国を相手に、昭和天皇が何としても皇統と日本国の安全を守ろうとして努力した当時に決められた制度(日本国憲法など)を、国際環境も日本の状況も変わった後になっても、時代の変化に合わせて変えていくことのできない日本国民にあるのではないか。
一般に平和憲法と言われている、米軍(GHQ)占領時に公布・施行された現日本国憲法(第九条)に書かれていることは、「国際紛争解決の手段としての戦争は永久に放棄し、そのための戦力も持たず、国の交戦権を認めない」ということです。ただし、国際紛争とは何かということについての定義はなされていない。人類史における戦争の歴史から判断して、国際紛争解決の手段としての戦争とは「侵略戦争」だと考えるのが妥当です。つまり、第九条の規定は、日本語として率直に読めば、国家(国民・国土・領海・領空)防衛のための戦争は放棄していない、そのための国防軍の保持や交戦権は禁止していないということで、外国による日本国への侵略に対して戦争したり、そのために他国と同盟して集団的自衛権を行使しても憲法の規定に抵触しない。ただ、同盟する相手国が米国、英国、露国、中国などの場合は、集団的自衛権を行使する際に慎重さが必要です。歴史上、近現代において日本国は侵略戦争をしたことはないが、これらの国々は何度も侵略戦争を繰り返してきた歴史があるからです。また、日本国民救出のために国防軍を当該国へ派遣して、万一、そのために戦争になったとしても憲法の規定に抵触しないことは言うまでもない。ただし、憲法上「国際紛争」というあいまいな表現を使用していることは大きな問題で、国内においても無用の議論を呼び、平和憲法というよりは近隣諸国に対して日本国への侵略を誘発する「侵略戦争誘発憲法」の一面を持っている。現憲法は米軍の占領がいつまで続くか分からない時代の占領憲法で、本来なら日本国が独立した時点で破棄され、新憲法が採択されるべきであったのです。それを政治家の怠慢で、現在までそのままにしてきたのが現実です。一刻も早く、日本はあいまいさのない、現代に合った憲法を持つべきです。

「歴史が面白くなる 東大のディープな日本史」、「同2」相澤理著、中経出版、各2012年5月、12月発行、各¥1,000+税

著者は1973年生れ。東京大学文学部卒業、東進ハイスクール講師。
本書は東京大学の日本史の入学試験問題に解説を加えて一般書にしたものであり、内容は古代から現代にまで亘っている。さすがに「大学の<顔>としての入試問題」だけあって、疑問な箇所を中心に日本史全体を理解し、深く考察する上で有用な書物である。
「東京大学の日本史の入試問題・・は、人名や年号の知識を問う空欄問題・正誤問題などの出題はいっさいなく、論述問題のみで構成されている」、「「東大日本史」の面白さを一言で言えば、自明に思える歴史の見方・考え方に揺さぶりをかけられる、ということにあります」(“はじめに”より)。
「東京大学ほど「優秀な学生を集める」ということに意識的な大学はありません。東京大学の入試問題は、日本史にかぎらず、緻密な思考力を問う良問が選りすぐられています」(“はじめに”より)。「東大入試の本質は<暗記>である(ほかの科目も含めて)・・・「考える前に覚えろよ」という当然のことを、東大の先生方もお考えなのだと入試問題から感じます」(2の“はじめに”より)。「<意味>はあとからわかる。だからこそ、「考える前に覚えろよ」なのです」(2の“おわりに”より)。
ちなみに、現在の東京大学の入学試験は多様化しており、第2次学力試験に日本史を含む社会科が課せられているのは文科系分野だけである(昭和40年ころまでは、文科系、理科系分野ともに五教科・七科目が課せられていたが、現在では文科系には理科が、理科系には社会科が第2次学力試験の入試科目から除かれている。入学試験が高校以下の学生に試験対策の時間を取らせる以上、優秀で多様な学生を集めるのであれば、入試科目はもっと少なくても良いのではないか)。

「渡部昇一の昭和史」(正)渡部昇一著、Wac bunko、2008年10月発行、¥933+税

著者は1930年山形県生れ。上智大学名誉教授、評論家。さまざまな政治的思惑などから、わが国では戦後、学校での真実の歴史教育が行われていない中で、日本の近現代史を短時間で見直すには有用な書物である。

「貧民の帝都」塩見鮮一郎著、文春新書、2008年9月発行、¥770+税

著者は1938年岡山県生れの作家。幕末維新で時代や制度が変わる中で、社会に取り残された人々の実情が良く伝えられている。歴史を理解するということはその時代に身を置いて考えるということであり、当時世界一の規模と文化を誇った江戸の町の直後の状況ですらこういう実情であったのだから、同時代のシナ大陸や清国の属国であった朝鮮半島の内情がどれほど悲惨であったか、容易に推察できるというものである。現代の中国人や韓国・朝鮮人が偏頗なイデオロギーなどによっていかに自国の歴史を捏造したり美化したりしようとも、当時、彼の国を訪れた西洋人の書き残した書籍などに目を通せば、真実の一端を窺うことは可能である。

「幕末下級武士のリストラ戦記」安藤優一郎著、文春新書、2009年1月発行、¥730+税

著者は1965年千葉県生れの歴史家(文学博士)。幕末から明治への転換期に生きた下級幕臣の残した自伝を基に、この時代の雰囲気を良く伝えている。歴史を作っていくのは政治家や知識人だけでなく、ただひたすら生きていくことに精一杯の多くの庶民だということが伝わってくる書物である。

「幕末維新 消された歴史」安藤優一郎著、日本経済新聞出版社、2009年10月発行、¥1,800+税

著者は1965年千葉県生まれ。歴史家(文学博士)。多くの一次資料を駆使しながら、幕末の歴史について広く世間に喧伝されている「事実」についての解明を試みている。日本の近代化の始まる前夜について、歴史の勝者による多くの「勝てば官軍」的な歪曲がなされていることに気づかされる良書である。

「レンズが撮らえたF.ベアトの幕末」高橋則英監修、小沢健志著、山川出版社、2012年12月発行、¥1,680(税込み)

「蒙古襲来」山口修著、光風社出版、1988年6月発行、¥1,200+税(古書あり)

著者は1924年、神奈川県生れの大学教授。一般に蒙古襲来と言われているが、侵攻軍の実態は蒙古人・漢人・高麗人・唐人(蒙古に滅ぼされた宋人)の、シナ大陸と朝鮮半島全域の混成軍である。本書は国内外に残された資料を駆使して蒙古襲来の実態に迫っている。高麗、つまり朝鮮半島は地政学的に日本侵攻の基地にされやすい位置にあり、明治初期、ロシアを始め欧米列強の脅威に対していた日本が、シナ(明・清国)の属国であり、破産状態であった朝鮮半島が独立した強国になってくれなければ、後背地を持たない日本の独立が脅かされると考えたのは当然のことである。それにしても、蒙古軍の侵攻を受けた当時の日本の為政者が毅然としていたのが印象に残る。

「女帝の古代日本」吉村武彦著、岩波書店、2012年11月発行、¥760(+税)

著者は1945年、朝鮮大邱生れ。東京大学文学部卒業、明治大学文学部教授。
日本の歴史上の女帝(女性天皇)、特に古代の女帝についての研究書。古代に女性天皇が出現したのは律令制国家が成立した時期に集中しているのであるが、次期天皇決定の基準が時代に応じて変化していることが分かる。女性天皇出現の背景には、縄文・日霊女(卑弥呼)時代以来の日本の母系制社会の伝統が色濃く残っていたように思われ、男性・女性という性に対するこだわりが後の時代とは異なるように感じられる。同時に、次期天皇が皇室と限られた利害関係者だけで決定されており、時代背景に合せて柔軟に決定できた背景が窺える。
現代の皇位継承についてはさまざまな議論がなされているが、天皇制そのものが半ば公的な制度であるとはいえ、基本的には皇位継承は私的な天皇家の跡継ぎ問題である。次期天皇は、天皇について最も詳しい現天皇が(必要だと思う方々の意見を参考に)自家の後継者として決定するのが最も理に適っているように筆者には思われる。皇位継承を現天皇の意思とは関係なく政府が作成する法律で規定したり、現天皇家と何の関係も無いいわゆる“識者”といわれる人たちが、聞かれもしないのに他家の後継者について偉そうに口を出すのは、これほど不遜なことは無いのではないかと筆者は考えている。
なお、古代天皇家の謎の一つである継体天皇については、「継体天皇とうすずみ桜」(小椋一葉著、河出書房新社、¥1,800)に紹介されている「真澄探當證」にある記述(継体天皇は第23代顕宗天皇の子供)が最も真実に近いのではないか。

「古代日本正史」原田常治著、同志社、1976年9月発行、¥2,470(税込み、古書あり)


著者は1903年、千葉県生れ(~1977年)。出版社編集長などを経て(株)同志社(後、婦人生活社)を創立(故人)。現代の日本人の多くは記紀(古事記と日本書紀)神話に無知か無関心、少数の関心派の一部は記紀成立時の政治的背景を無視し思考停止した記紀原理主義者のような印象を受けるが、天皇制成立の謎とともに日本の古代史に関心のある日本人は多い。戦後、歴史研究のタブーが無くなったことによりさまざまな研究者による説が発表されているが、依然として謎は多い。古代のシナの文献に登場する日本人(倭人)は以下の通りである。①西暦紀元前2~1世紀ころ、「楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国」(前漢書、地理誌)、②紀元4年、「東夷の王、大海をわたりて国珍を奉じ」(前漢書、王莽伝)、③紀元57年、「東夷の倭奴国王、使いを遣わし奉献す」(後漢書、光武帝紀)、④紀元107年、「冬10月、倭国、使いを遣わし奉献す」(後漢書、安帝紀)、「倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う」(同上、倭伝)、⑤紀元220年ころ(?)、「倭国乱れ、相攻伐すること歴年、すなわち共に一女子を立てて王と為す、名を卑弥呼と曰う」(三国志魏書、烏丸鮮卑東夷伝倭人条=魏志倭人伝)、⑥紀元239年、「六月、倭の女王(卑弥呼のこと)、大夫難升米等を遣わし・・京都(洛陽のこと)に詣らしむ。その年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、『・・今汝を以って親魏倭王と為し、金印紫綬を・・仮授せしむ』」(魏志倭人伝)、⑦紀元243年、「倭王、また使大夫・・八人を遣わし・・上献す」(魏志倭人伝)、⑧紀元247年~(285年ころ以前)、「倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王・・と素より和せず(戦争が始まる)。・・・卑弥呼以って死す。大いなる塚(元字は土偏が無い)を作る。・・・更に男王を立てしも国中服さず・・また卑弥呼の宗女の台与(元字は旧字)、年十三なるを立てて王と為し、国中遂に定まる」(魏志倭人伝)、⑨紀元413~502年、晋書、宋書、南斉書、梁書に、いわゆる倭の五王(讃、珍、済、興、武)の遣使の記録が見える(ただし、倭人の使者が一字の王名を名乗ったかについては疑問がある)。これらの記述と記紀の内容とを対照すると、記紀に基づいて日本の古代史の真実を追究するのは非常に困難であることが分かる。なお、中国の吉林省集安市の好太王陵の近くにある高句麗の好太王碑(広開土王碑)には、391年から404年にかけて高句麗軍が朝鮮半島で倭軍と戦ったことが記録されている。
著者は本書で、8世紀初頭の記紀成立以前から存在している神社に残された伝承記録を分析することにより、日本の古代史の謎に迫っている。真実に迫るためにはできるだけ先入観のない客観的な立場での研究が必要であり、本書の内容がすべて真実かどうかはともかく、著者の視点は一つの卓見と言えよう。特に、いわゆる「魏志倭人伝」にある邪馬台(ヤマト)国の位置に関する著者の解釈(宮崎県西都市)は、筆者が目にした数多くの解釈の中で最も自然で納得のいくものと言える。
本書の続編として、神武天皇以後応神天皇までの“「上代日本正史」同志社、1977年3月発行、¥1,850(税込み、古書あり)”がある。
なお、類似の結論に達している文献に、「先代旧事本紀」の内容と各地の神社伝承を分析した大野七三(1922年生まれ)の著作(「日本建国神代史」、「日本国始め 饒速日大神の東遷」各2003年、2010年発行、批評社など)がある。大野氏推定の邪馬台国(宮崎県西都市)へのルートは、不弥国以降が原田氏推定のルートと異なる。
邪馬台国(宮崎県西都市)へのルートについては、最近出版された”「日本古代史を科学する」中田力著、PHP新書、2012年2月発行、¥720+税”に説明されているルート(唐津->小城->佐賀->熊本->八代->人吉->宮崎県西都市)もあり、不弥国(佐賀)までのルートはこれが最も真実に迫っているのではないかと思う。
著者には、“「気温の周期と人間の歴史」(第一巻 温暖化すすむ日本列島、第二巻 世界の九月現地調査)、同志社”という著書もあり、太陽の回帰線が周期的に南北に移動することが北半球と南半球の気候(気温)の変動をもたらし、経済・政治など社会の変動を招いているということを実証的に説明している(実際は、太陽の黒点数の変化などに現れる太陽活動の活発さの変化も気候変動に大きな影響を与えているし、最近では人間の活動による影響もあると言われている)。著者の見解では、回帰線の最南部と最北部の移動周期は約300年であり、2025年頃には最北部に達する。第一巻には、日本敗戦時に中国共産党の林彪が、日本が養成し優秀な日本人将校も入った満州国軍を買取ったのが八路軍の主力となり、これが戦後中国共産党が蒋介石軍を破って中国の内戦に勝利した要因であるとか、日露戦争時の通信秘話なども掲載されている。ただ惜しむらくは、著者の主張の中心的内容となったであろう第三巻(三千年の気温と人間の歴史の周期)が著者逝去のため出版されていないことである。

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