2011年8月 のアーカイブ

「無条件降伏」という国際的な詐欺とそれに騙され続ける日本 「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

1945年7月26日に米英支が発したポツダム宣言を受諾して日本は降伏した。宣言は、13項目からなるが、第5項で「われらの条件は以下の如し。われらは右条件より離脱すること無かるべし」とあり、以下8項目の条件が掲げられている。明らかに「有条件降伏」であり、その第13項に「全日本国軍隊の無条件降伏」がある。

 「軍隊の無条件降伏」と「国家の無条件降伏」が全く異なることは言うまでもない。国際法の常識である。従って、7月30日に開催されたアメリカ国務省の国務長官スタッフ会議では、それ以前にアメリカが考えていた「国家の無条件降伏」と7月26日の宣言とはどのように違うか、検討された覚書でこの違いについて検討している。

 そこで明確にこう述べている。「この宣言は、日本国および日本国政府に対して降伏条件を提示した文章であって、受諾されれば国際法の一般準則によって解釈さるべき国際協定となるであろう。」更に「この宣言は、無条件降伏が「全日本国軍隊」にのみ適用されると解している。」と当然のことながら書かれているのである。

 マッカーサーですら、このくらいの国際法の常識を持っていたので、送られてきた「降伏後の対日初期方針」に疑問を感じ、9月3日マーシャル参謀長あて手紙を送っている。「特に内示された指令は、いくつかの点において降伏文書とポツダム宣言に規定されている諸原則を著しく逸脱していると思われるので、小官は所見を貴官に上申しておかなければならないと感じるのである。」

 直ちにトルーマン大統領から、これに答える指令が9月6日付で送られてきた。「我々と日本の関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」

 要するに、ポツダム宣言以前の無条件降伏でいくのだ、と開き直ったわけである。それは間違っていることを分かっていながら、「軍隊を武装解除」してしまえば、何を言っても通るとばかり、正しく国際的な背信詐欺行為を堂々と行ったのである。

 これを受けて占領軍民間検閲支隊長フーバー大佐は、日本の報道関係者に「マッカーサー元帥は、連合国はいかなる意味でも、日本を対等と見做していないことを明瞭に理解するよう欲している。…最高司令官は日本政府に命令する…交渉するのではない」と強圧的宣言を行い、「言論、宗教及思想の自由は尊重さるべし」と言う宣言の規定を、踏みにじって、徹底的な検閲、さらには史上例を見ない焚書まで行ったのである。

 しかも、憲法まで検閲下で変えさせられたにもかかわらず、「無条件降伏」論にやられてしまった日本人は、これに対するまともな反論を行う事が出来ずにここまで来てしまった。負けたのだから仕方がないといつまでも思っていたのでは駄目だ。「無条件降伏」などということは詐欺であり、不当なことである、と明確な認識なしには、敗戦克服、日本の名誉回復、日本再生はないということである。

ルーズベルトは真珠湾攻撃の5か月前に日本本土爆撃OKを出した 茂木弘道

 1941年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書(JB355)にOKのサインをした。10月1日までに、350機の戦闘機と150機の長距離爆撃機を中国に供与して、中国の基地から神戸、京都、大阪の三角地帯と横浜、東京地区の産業地域を爆撃する計画である。中国空軍にやらせる計画であるが、その中国空軍の中枢にいわゆるフライング・タイガーと呼ばれる、偽装ボランティアのアメリカ陸海軍飛行士が派遣されていた。

 この7月時点、日米の和解の交渉が行われていたことは誰でも知っている。日本側は、戦争回避のために必死の交渉を行っていたのであるが、何のことはない、アメリカはもうこの時点で対日攻撃を命令していたのである。一般には日本が7月28日に南部仏印進駐を行ったために、アメリカは8月1日、石油などの戦略物資の全面禁輸と日本資産凍結を行った、と言う事になっているが、そんなことは単なる口実であり、そのずっと前に対日戦争を決意、と言うより既に命令していたということである。

 このJB355計画は、大統領の許可を得て進行し、順調にいけば9月末あるいは、10月には日本本土爆撃が行われるはずであった。しかし、欧州戦線が急迫し、大型爆撃機をそちらに回さなければならなくなったために、中国への供与が遅れることになり、「結果として」10月日本本土爆撃は実施できなかった。しかし、これは単なる対日戦に備えた戦争計画と言ったものではなく、中国を通じたという形ではあるが、日本本土爆撃命令なのである。

12月8日の真珠湾攻撃を今でもアメリカ人のほとんどは、日本の卑怯な不意打ち攻撃 sneak attack であると信じている。真実は、その約5か月前に、ルーズベルト大統領が陸海軍合同の日本本土攻撃計画にゴーサインを正式に出している。これこそアメリカの一般国民を欺き、そして日本をだまし討ちにした sneak attack plotそのものである。真珠湾攻撃は、正しく自衛権の発動に基づいたアメリカの攻撃に対する反撃戦であったということである。

ところで、このJB355計画は大統領補佐官ロークリン・カリーが中心となって1941年初めから進めていた。カリーは後にソ連の工作員だったことが判明した男である。5月9日にこの計画について大統領に覚書を提出したのに対し、5月15日にはルーズベルトからその具体化を進めるよう指示の書簡が送られている。即ち、ルーズベルトは陸海軍からの提案を単に承認したのではなく、ずっと前からカリーを通じてこの計画を進めさせていたのである。ルーズベルトが対日和解など考えていなかったことはこのことからもはっきり確認できる。

日米戦の戦争責任者の筆頭はルーズベルトであることは明らかである。戦争責任論はそこから始めるべきである。            (2011.7.23)

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