著者は1923年生まれの韓国人。東国大学経営大学院教授などを経て、加耶大学客員教授。本書は、1910年の日韓併合によるいわゆる「植民地時代」の史実を、豊富な一次資料を基に描いている。国家の現状を憂えて書かれた、本来が韓国・朝鮮人のための書である。(そのためか、本論とは直接、関係のない、周防の大内氏の遠祖が百済の太子であるなどの、現在では疑問視されている「史実」も一部含まれている)
「一九一〇年八月二十二日、彼(註:李完用)が総理大臣として日韓併合条約に調印したのは、朝鮮の専制王朝が最後まで文明開化を拒み、過度の浪費で、極貧と飢餓に疲弊する民族を放置していることを見るに見かねて、日本の全面的協力を得て民族の再興を期するためであった。彼ばかりではなく日韓保護条約、日韓併合条約に賛成した大臣たちは、民族の繁栄を希求し、滅亡を事前に防ぎたいという念願から、合邦に賛成しているのである。・・・日韓併合の是非は、当時の朝鮮王朝(註:李朝)がどのような体制にあり、庶民の生活、社会の状況がどうなっていたのかを、正しく見つめなければ、何も論じられない」、「李朝五一八年間、政治も経済も国家も、まったく存在しないに等しかった。あったのはごく少数の支配階級と大多数の奴隷(常民・賤民)だけだ」、「李朝は、讒言と嘘で血塗られた残酷史の連続であった。・・・私は李朝五〇〇余年の「朝鮮王朝」と今日の「北朝鮮」は、住民を奴隷にした暴虐集団である点で共通していて、「国家」という概念には当らないと考える」、「試しに今、北朝鮮で日本行きの徴用の募集があると仮定したら、おそらく、金正日を除いた約ニ〇〇〇万人の住民全員が、徴用での出国を希望するであろう(註:ちなみに著者は、一九四〇年に徴用に志願し、北海道の三菱手稲鉱業所で働いた経験を持つ)」、「恥もわきまえず、売官買職を平気で行うのでは、国家とはいえない。・・・李朝は国家三要素(主権・領土・人民)を放棄し、百姓を侮り、蔑ろにした国家犯罪集団にすぎない」、「日韓併合とともに朝鮮の人口は、驚異的に増加した。・・一七七七年、総人口は一八〇四万人、・・一八七七年には、一六八九万人、・・日韓併合時の一九一〇年には、一三一三万人、・・三ニ年後の一九四ニ年の人口はニ五五三万人で、併合時の倍近くになった。このことは、李朝五一八年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明している。(ちなみに、一九四ニ年当時、朝鮮に居た日本人の数は七五万人程度で、主な職業は公務員、商業・輸送業、工業であった-呉善花著、「生活者の日本統治時代」三交社)」、「日本統治により、朝鮮人全体の米消費は一・五倍に増え、農地の質は格段に向上し、耕地面積も・・併合前には、田畑と水田を合わせてニ四六万五千町歩だったのが、八年後の一九一八年には四三四万四千町歩となった」(本文より)、「作家・李光洙は、「民族改造論」において、民族最大の欠点は「ウソつきで人をだますこと」だと述べているが、歴史の歪曲、身勝手な解釈はまさに韓民族の宿アであり、これがもとで幾度実態を見誤り、国を滅ぼしてきたかしれない(註:アは病ダレに阿)」、「北朝鮮は李氏朝鮮のまさにクローンである。・・・仮に今、日本が北朝鮮を併合して統治するとなれば、金一族を除く北朝鮮国民は、随喜の涙を流すに違いない」(まえがきより)
日本が当時、時代の制約の中で朝鮮から満州へと合法的に勢力圏を広げていったのは、資本主義の発展に伴う経済圏の拡大や移民の問題もさることながら、最大の問題は南下政策を取り続ける帝政ロシア(後に共産主義国家のソ連)の脅威に対抗するためであった。共産主義者に同調してアジアにおける防共の砦であった日本潰しに狂奔したアメリカは、後に朝鮮戦争によりこのことを嫌というほど思い知らされることになる。
なお、本文中、著者は、朝鮮総督府が日本本土から公務員を招聘するに際して「出向手当」制度を設け、現地採用朝鮮人公務員との間に俸給額格差が存在したことを差別として「反日」を招いた理由の一つに挙げているが、その内容の当否はともかく、「出向手当」制度そのものは必ずしも差別とは言えない。当時、日本本土から優秀な人材を朝鮮に呼び込もうとすれば、何らかのインセンティブが無ければ人材の確保が困難であったと思われるからである。現在でも国際企業などで、本国から外地へ幹部社員を派遣する際、海外勤務手当のような特別手当を設けているのが一般的である。
キーワード: 日韓併合