‘日本史関連一般’ カテゴリーのアーカイブ

資料室: 日本史関連一般

「「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945」ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー共著、塩谷紘訳、草思社、2013年8月発行、¥2,730(税込み)

「THE NEW KOREA –朝鮮が劇的に豊かになった時代」アレン・アイルランド著、桜の花出版編集部編集、桜の花出版、2013年8月発行、¥2,940(税込み)

「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著・監訳、都竹恵子訳、ハート出版、2013年7月発行、¥1,575(税込み)


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「原発ゼロで日本は滅ぶ」中川八洋、高田純共編、オークラ出版、2012年12月発行、¥1,429+税

著者は筑波大学名誉教授(中川八洋、工学部出身の英米系政治哲学・法哲学研究者)、札幌医科大学教授(高田純、放射線防護学研究者)、自衛隊の元航空幕僚長(田母神俊雄、福島県出身)、大阪大学名誉教授(中村仁信、放射線医学専門家)、上智大学名誉教授(渡部昇一、日本近現代史の研究家)、富士常葉大学教授(地球環境・エネルギー分野の専門家)で、本書は主として論壇誌「撃論」に掲載された論文を主に編集したものである。
論者により若干、過激な表現も見受けられるが、全体の趣旨は本書で主張しているように、東京電力福島原子力発電所の事故は「あれだけの未曾有と言われるほどの地震災害に遭っても、日本の原子炉は予震波をキャッチして核分裂連鎖反応を停止しており、安全であることを証明した」との一語に尽きる。建屋の水素爆発により外部に漏れ出した放射性物質も、ここ30年余りの放射線医学(科学)の研究結果に基づいて考えれば、健康を害するというよりもむしろ、健康を増進する程度のものであり、危険は考えられない(低線量長期被曝では年間100ミリ・シーベルト-毎時平均約11.4マイクロ・シーベルト-が健康に最適の水準で、年間1万ミリ・シーベルト-10シーベルト/年-程度までは心配は要らない[「放射能を怖がるな!」T.D.ラッキー著、日新報道]。胎児や胎盤の細胞を使って行ったモーリス・チュビアーナの研究では、毎時10ミリ・シーベルト-年間87シーベルト/年-までならまったく問題がないという結論[「「放射線は怖い」のウソ」服部禎男著、ランダムハウスジャパン]。ちなみに世界の自然放射線の平均値は年間2.4ミリ・シーベルト程度(日本は総じて世界の平均値より低いと推定されている)で、どちらかと言えば放射線量-エネルギー量-が不足気味であり、これがガンや関節リウマチ、アレルギー性慢性病などの多くの難病の原因の一つになっていると筆者は理解している。なお、(短時間の)急性被曝の場合は100ミリ・シーベルト程度まではまったく問題がない[「世界の放射線被爆地調査」高田純著、講談社]。放出された放射性物質の化学毒性というものも、世界的に懸念されるような信頼に足る報告はなく、心配する必要がない。自然放射線量の高いイランのラムサールでは平均で年間50ミリシーペルト程度、地域によっては年間260ミリシーベルト程度の放射線に年中、さらされているが、特に健康被害はなく、むしろ肺ガンの発生率は低いという[「Radiation Hormesis and the Linear-No-Threshold Assumption」、Charles L. Sanders、Springer]。湯治客が訪れる長万部町の二股ラジウム温泉の放射線量(アルファ線)は岡山大学が医療効果を研究している三朝温泉の5倍程度あるそうだ[「人は放射線なしには生きられない」、高田純著、医療科学社])。詳細な調査を行えば、原発事故後の福島県の農産物や海産物は豊作で、各種の病気は減少傾向にあることが分かるのではないか。それを人体に危険が及ぶと詐称していたずらにありもしない放射線の恐怖を煽り、空中線量を外部被曝線量だとデータを捏造してまで「居住制限区域」や「帰還困難区域」などを設定して住民の立入はおろか、放射線医学の専門家の立入り調査すら不可能にしているのは、当時の菅直人首相や細野豪志、枝野幸男などの民主党政府を中心とした反日共産主義シンパの政府指導層やそれを煽っている反日メディアであり、本来、法律により日本国政府が負うべき責任を法律を無視して東京電力に転嫁している。転嫁のメカニズムについては第四章に詳しい。本来ならこれらの非合法な政策に強力に対抗すべき自民党も科学に無知な上、内部に反日活動を展開した河野一郎、洋平親子の血を引く河野太郎のような「反原発」主義者がいたりして有効に機能せず、日本国はまさに国家の政策を支配している共産主義者主導による非科学的な<脱原発>カルトに席巻されている。現在まで原発事故による死者は報告されていないが、民主党政府による無用の強制移住という愚策によるストレス死などの政策関連死とでも呼ぶべき犠牲者は存在しているようだ。同様の犠牲者は大地震と大津波による避難(仮設住宅)生活によっても存在しているようだが、こちらは避難生活が避けられない(阪神淡路大震災のときもこういう犠牲者は存在した)が、原発に関連した強制移住は必要のないもので、ひとえに科学的真実を無視した民主党政府による愚策によるものである。気の毒にもこれらの人たちは、民主党政府の愚策とそれを支持して従った愚かな地元の自治体に殺されたようなものです。科学的思考能力のない人たちがこの国の政治的指導者や言論人に多いという傾向は、戦前も戦後もさほど差はないようだ。イデオロギーに支配された人たちや無知で自分勝手な主張を繰り返す人たちに共通していることは、科学的真理や客観的な事実を無視して身勝手な自己の主張だけを大声で喚き散らすことです。そういう人たちにはまともな理解力もなければ、思考力もない。これは国家についても同じです。こういう狂人のような人たち(や国家)をまともに相手にしてはいけません。
科学的事象はまず真正の科学者の説く科学的真理に基づいて考えるべきであり、政治的議論はあくまでもその上においてなされるべきものである。放射線の人体への影響については、当然のことながら放射線医学の研究結果に従って考えるべきであり、医学や生物学とは無縁の物理学者の意見を参考にしても意味はない。科学的素養や思考はおろか、科学に無知で、しかも自分が無知であることにすら無知であるようなお調子者の有名人や作家や芸能人が<脱原発>を主張して騒ぐのはともかく、国家の指導層にある者が放射線と聞いただけで思考停止するのは異常である。放射線というのは単なるエネルギーであり、大宇宙の生命を支えている根本であるという科学的な常識にすら思い至らない。原子力発電を原子爆弾と混同しているのではないか。戦後の左翼偏向教育の成果としての、恐らくは最初で最後の左翼民主党政権が崩壊した今、自民党政権は一刻も早く福島の避難・立入禁止区域などを解除し、無意味な除染作業を中止し、民主党政権が構築した規制値や賠償支払いの構図を撤回して、科学的で正常な原子力政策を構築すべきです。
原子力発電所と原子爆弾とは核物質の使用量(純度)においても使用目的においてもまったく別のものであり、日本人は原子力発電所に原子爆弾のイメージを持ち込むべきではない。原子力発電所の事故で核爆発は起こらない。そうした科学的真理などは無視してひたすら日本国の弱体化を図ろうとする欺瞞的な反日政治家による共産主義政権のような政権を、日本人は二度と選択してはならない。反核兵器運動と反核発電運動とは別のものである。明らかに前者は正しいが、後者は誤っている。
東電の福島原子力発電所の事故は、いかに多くの親中共、親韓国・朝鮮の反日主義者や共産主義同調者がNHKや朝日新聞を中心とした日本のメディア、言論人、学者、政府の役人、政治家などに巣くっているかを明らかにした。今こそ正常な日本人は、こうした狂った連中から日本国と自分たちの生活を守るために立ち上がらなければならない。
なお、原子力発電所の問題については、日本で最初に放射能ホルミシス効果に関するT.D.ラッキー博士の文献を一般向けに翻訳・出版(「放射能を怖がるな!」、日新報道、¥1,000+税)した当会の事務局長、茂木弘道が、他の発電方式との比較の上で最も優れた発電方式であると主張している。上智大学の渡部昇一名誉教授は、日本国のエネルギー安保の観点からも原子力発電と高速増殖炉(「もんじゅ」)の技術の進展の重要性をその著書(「原発は、明るい未来の道筋をつくる!(原発興国小論)」ワック)で強調している。
火力発電(石炭、石油、天然ガスを燃焼させる)、水力発電(大規模ダムを利用)、いわゆる自然エネルギー(太陽光、風力、地熱発電など)、原子力発電(核分裂利用、将来は核融合利用)を比べると、安全性、コスト、廃棄物の量などの面で原子力発電が最も優れていることは多くのデータが示している。一定の電気を作り出すのに必要な全過程を通しての死亡率は原子力発電が桁違いに少ない。太陽光発電でも資材の製造過程と建設過程でそれなりの死者が出ている。経済性の面では、いわゆる自然エネルギーといわれる発電方式は本質的なエネルギー密度の低さと電源の不安定性のために原子力や火力と経済性で競争することはできない。自然エネルギーというのは政府の補助金頼りの産業です。言い換えれば、自然エネルギーによる発電は、金持ちの道楽なのです。結局、安定した大規模な電力の供給は火力か原子力によるしかないのです。この二つを廃棄物量で比較すると、発電単位当り、原子力は火力の一万分の一程度(「放射能と理性」ウェード・アリソン著、峯村利哉訳、徳間書店、pp.201)で、さらに高レベル核廃棄物の割合は核廃棄物の再処理とガラス固化を行えば全核廃棄物中の0.6%程度しかありません。これは先進国に住む人が一生の間に必要なエネルギーをすべて原子力で賄ったとしても、一人当たり排出する核廃棄物はゴルフボール1個分くらいにしかならないのです(「「反原発」の不都合な真実」藤沢数希著、新潮新書、pp.165)。地下掘削技術の発達した今日、ガラス固化して地中深く埋設処理すれば何の危険もありません。「原発はトイレの無いマンション」などという論説は、ためにするプロパガンダ以外の何ものでもありません。もし原発がごくわずかの糞を処理するトイレの無いマンションだと言うなら、火力発電は辺り構わず桁外れに大量の糞尿を撒き散らしている無神経な住民であふれているマンションのようなもので、間もなく自分たちの住む場所が無くなりつつあることに気づいていないだけのことです。ガイア理論の創始者、ジェームズ・ラブロックはその著書において、「私は、原子力発電所から一年間に出る高レベル放射性廃棄物をすべて私の小さな地所に保管すると申し出て、それを公表した」と述べている(「ガイアの復讐」竹村健一訳、秋元勇巳監訳、中央公論新社、pp.160)。火力発電は発電コストの高騰だけでなく、発生するCO2による大気汚染からくる死者と地球温暖化の危険を増大させ続けます。過去二百万年に及ぶ氷期と間氷期の状況を研究した結果によると、南極地方の氷コア試料から得られた記録は地球の温度と二酸化炭素とメタンの量の強い相関関係を示しています(同書、pp.101~102)。ハドレーセンターの科学者リチャード・ベッツとピーター・コックスは、地球規模で温度が四度C上昇すると安定性を失った熱帯雨林はグリーンランドの氷のように消失し、低木帯や砂漠に変わると推断しています。藻類が機能しなくなる閾値は二酸化炭素濃度で約五〇〇ppm(約三度気温が上昇することを意味する)だそうです(同書、pp.105、pp.81~82)。すでに1900年ころからの100年間余りで地球の平均気温は1度Cほど上昇しており(気象庁のデータ)、現在のペースでCO2の排出が続けば、数十年から百年程度で人類は危機的な環境を招き寄せると考えられています。大量のCO2排出による地球の温暖化は、確実に人類全体の生存を危機に陥れるといって間違いないでしょう。
日本人は羹(アツモノ、原爆)に懲(こ)りて膾(ナマス、原発)を吹くようなことをしてはなりません。国家と国民を窮乏させ、人類の危機の到来を早めるだけです。「原発ゼロで日本は滅ぶ」どころか、「原発ゼロで人類が滅ぶ」ことになります。
「原発安全宣言」渡部昇一、中村仁信共著、遊タイム出版、¥1,260(税込み)も参考になります。





「メディア症候群 なぜ日本人は騙されているのか?」西村幸祐著、総和社、2010年9月発行、¥1,500+税


著者は1952年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部中退。
本書は、新聞、TVなどを中心とした日本のメディアへの左翼支配、さらには中共系の「世界抗日戦争史実維護連合会」や韓国系の反日組織、北朝鮮の工作機関などの連携による米国メディアへの浸透を始め、メディアを通しての世界的な反日活動の実態を詳述している。こうした、日本を貶め、弱体化させる情報戦争に対して、日本政府の体たらくは目を覆うばかりである。対抗しうる一つの可能性はインターネットの発展による双方向性の情報発信であるが、インターネットに対しても既存メディアからのレッテル張りなどの攻撃が起こってきている。幸いにも、中国や韓国・北朝鮮の代理人であったような民主党政府が崩壊したので、自民党政府は早急に世界的な情報戦争を戦える強力な組織を設立すべきです。我々は同盟国すら信用できない世界的な戦国時代に生きているのである。日本は情報戦争で敗れるという戦前の失敗を、再び繰り返してはならない。

「嘘だらけの日中近現代史」倉山満著、扶桑社、2013年6月発行、¥760+税


著者は1973年、香川県生まれの憲政史研究者。1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。国士舘大学で日本国憲法を教えている。
”中国に「近代」などありません。あるのは、独裁の古代と殺戮の中世だけです。中国大陸では古代と中世が繰り返されてきただけで、中国はいまだに近代国家ではないのです。その意味で、模範的近代国家である日本とはまるで異質の国です。・・・中国はいかなる意味でも「近代」国家ではありません。・・・「中国」という名前が嘘です。せいぜい「中華人民共和国の略称」くらいの意味しかありません。・・・たかだか建国六十年です。・・・中国を理解する三つの法則を覚えてください。一、力がすべて、二、陰謀でごまかす、三、かわいそうな人たち つまり、ただひたすら殺伐としているのが中国なのです。徹頭徹尾、暴力や金銭、あるいは社会的立場など、自分と相手のどちらが強いかだけを計算して行動します。この点で、世界一の冷徹さを持つ民族です。日本人など到底、及びもつきません。弱肉強食、万人の万人に対する闘争こそが中国大陸の本質です。・・・悪知恵という点においても、日本人は中国人に比べると、大人と子供、いや赤ん坊くらいの差があるでしょう。・・・あらゆるきれいごとと言い訳を並べ、強い相手を騙します。命乞いをして時間を稼ぎ、自分のほうが強くなったら、隙をついて裏切ります。相手を怖いと思ったらつぶす、利用価値があると思ったら飼い慣らす。恐ろしく殺伐とした世界です。”(はじめにより)。
”中国史のパターンを図式化してみましょう。一、新王朝、成立->二、功臣の粛清->三、対外侵略戦争->四、漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成->五、閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁->六、秘密結社の乱立と農民反乱の全国化->七、地方軍閥の中央侵入->八、一へ戻る 基本的にこのパターンを数千年間繰り返して今に至っています。・・・中国の政治は閨閥・宦官・官僚らの派閥抗争と対立のうえに皇帝が君臨して均衡が保たれるのです。こんな体制は長くは安定しません。・・・中国には「政治的言動は即死刑」という伝統がありますから、一般庶民は政治のことに関心を持ちませんが、もはや最低限度の生活が維持できないと悟るや武器を持って立ち上がります。”(第一章より)
これ以上内容の解説はいたしませんが、満洲への莫大な投資を騙し取られ、現在の中国への投資を台無しにされても、なお、「中国は十数億人の市場」とか「日本経済は中国に依存している」などと念仏のように唱え続ける中共の代理人のような日本のメディア関係者や産業人、国家の指導層の人たちにぜひ読んでいただきたい書物です。
長年にわたって支那の属国であった朝鮮半島も似たようなものです。
著者には「嘘だらけの日米近現代史」扶桑社、2012年9月発行、¥760+税もあります。

「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」半藤一利著、文藝春秋、2012年10月発行、¥780+税


著者は1930年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。取締役などを経て作家。
本書は、太平洋戦争(大東亜戦争)における日本軍の失敗から学ぶ教訓を基に、リーダーの条件と日本のリーダーの欠陥とを考察した書である。
著者が本書でリーダーの条件として列挙しているのは以下のものである(文中の表現は少し異なる)。
一、 リーダーの最大の役目は決断すること
  しっかりと情報を取り入れて自分でよく考えて判断し、決断を人に任せてはならない。
二、リーダーは部下や関係者に明確な目標を示せ
  目標を明確に示さない限り、部下や関係者に一丸となって大きな力を発揮させることはできない。
三、リーダーは自分が中心となり、先頭に立って戦え(焦点に位置せよ)
  密教には「九字」と言われる魔除けの作法(呪文)がある。九字とは、「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行」(シナの古典、抱朴子)の九文字のことで、それぞれに秘印が存在するのであるが、意味するところは「戦(兵)に臨んで戦うには、すべての陣列の前を行く」という意味です。神仏ですら必要な場合は先頭に立って戦うということです。ましてや、他人を率いて行こうという人間のリーダーにとっては当然の心掛けではないでしょうか。しかし実際には、大東亜戦争のとき、多くの部下を特攻攻撃に送り出した後、逃げ帰ってきたリーダーがいた。もともと、こういう人をリーダーにしてはいけない。
四、リーダーは情報を確実に把握せよ
  言うまでも無く、都合の悪い情報を排除したり、見落としてはならない。出所不明の情報には特に注意が必要である。
五、リーダーは過去の経験や理論に囚われずに変化に対応せよ
  時の流れにおいて、まったく同じ事というのは二度と起こらない。過去の経験や理論は参考にはなっても、時代の変化や新しい事態に対応していくには常に新しい発想が必要です。
六、リーダーは部下に最大限の任務を遂行させよ
  部下に任務の方向性と目的を明確に示し、理解させ、納得させた上で任務を遂行させよ。
「日露戦争という日本近代史に燦然と輝く栄光を背負って・・・参謀まかせの「太っ腹リーダー像」が生み出された。・・・結果として・・「上が下に依存する」という悪い習慣が通例となる。・・・これでは本当の意思決定者、ないしは決裁者がさっぱりわからなくなる。当然のことのように、机の上だけの秀才参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場をまかりとおり、兵隊さんたちがいかに奮闘努力、獅子奮迅して戦っても、すべては空しくなるばかりなのです」(第五章)。その結果、「決断できない、現場を知らない、責任をとらない」(帯表示)リーダー(指導者)が蔓延し、その傾向は現在にまで至っているというのが著者の分析である。別の表現をすれば、統治システムにおいて指揮命令系統を明確にし、組織内の地位と権限と責任とを明確に一致させ、組織内の人事制度を目的遂行型にして、組織運営を合理的・合目的的にすれば、本来の意味でのリーダーが登用されやすくなるということではないか。
内容はとても面白いが、読み進むうちに暗澹たる気持ちに襲われる書である。限られた範囲では優れたリーダーもいたが、全体としては日本はリーダー不在で大東亜戦争を戦ってしまった。統治システムも含めて、日本が本来の意味でのリーダーを持つのが困難なのは、日本民族自身の性癖にあるように思えてくる。アメリカや中国のような好戦的・侵略的な異民族とは異なり、諸外国(異民族)と隔絶された平和な江戸時代250年を経て、日本民族本来の平和な時代向きの民族性が真のリーダーを持つことを困難にしているように思える。言い換えれば、日本は現場の力によって動いている国であり、危機に直面さえしなければ、ある意味、最も効率的で柔軟な国であるとも言えよう。それは現在の占領憲法を「平和憲法」と強弁する論理にも現れている。もし憲法第九条があらゆる戦争を放棄している(実際はそうではない)のならば、現憲法は「平和憲法」などではなく、近隣諸国に対する「侵略戦争誘発憲法」と呼ぶべきものです。本来の平和憲法ならば、国防のための十分な軍備を備え、国家と自国民保護のためなら戦争も辞さず、近隣諸国に日本侵略の意図を微塵も抱かせないような憲法であるべきでしょう。日本人は一日も速く、あいまいな表現を持つ現憲法第九条を廃棄すべきです。国防条項(第九条)は単に、「日本国は国家防衛のための国防軍を保持する」だけで良いのではないか。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」などというのは言わずもがなで、どうしても憲法に残したいのであれば、憲法前文に入れるべきです。国際政府の存在しない世界は平和な”徳川時代”ではなく、“力の強い者が勝つ”戦国時代なのです。弱者を守る真の意味での国際法など存在しないことは、大東亜戦争の敗戦で良く分かったはずだ。諸外国は平和勢力だなどという認識は、人間の本性と歴史に無知な愚者の認識です。基本的に、自国の平和は自国を強くすることによって自国で守るしかないのです。

「日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘」黄文雄著、徳間書店、2012年11月発行、¥667+税



著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。
本書は、著者がすでにさまざまな著書で述べている日本の近現代史(明治維新から日韓併合、満州国建国、台湾領有、大東亜戦争まで)の史実をまとめたものである。近年の中国、韓国による反日歴史史観、というよりも、史実を無視したゆすりたかりの「中華史観」と同調して日本を貶め、弱体化させようとしている日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、文化人などの欺瞞を排して、日本人に史実を理解し、自国に対する誇りを持ってもらうことを目的として書かれたものである。彼らは「息を吐くように嘘をつく」(朝鮮日報、2010年2月2日)。そのことを弁えた上でうまく利用できないのであれば、かって福沢諭吉が喝破したように、日本は中国・韓国という「アジアの悪友どもとは絶交すべき」である。「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである」(「ブッダのことば」中村元訳、岩波書店)。
目次を紹介しておくと、
序 章 日本人を貶める「反日」歴史認識の嘘
第一章 世界を変えた日本の近現代史
第二章 朝鮮半島を救った日韓合邦
第三章 「王道楽土」を実現した満州国の真実
第四章 日中戦争の真の被害者は日本だった
第五章 台湾に根付いた日本精神
第六章 大東亜戦争が果たした歴史貢献
終 章 歴史捏造への逆襲
「歴史を政治の道具ではなく、良心と良識を持つ者がグローバルな歴史の流れから見たならば、日本が近代世界に果たした歴史貢献はいくら評価してもしすぎることはないほど明々白々である。中韓は、今までの歴史捏造と歪曲を反省する必要があり、逆に日本に謝罪し、感謝しなければならい。・・・日本は開国維新以来、万国対峙の局面、アジアの植民地化の情勢のなかで、ただ一人自存自衛のため、あるいは東アジア防衛のため、孤軍奮闘を繰り返し、超大国が仕掛ける戦争を戦い続けてきたのだ。それを「悪」と見なす東京裁判史観こそ、アジア侵略を行った欧米列強の史観であり、いわば侵略者の侵略正当化史観である。あるいは同じアジアの国家でありながら、アジア解放など一切念頭にも置かず、つねに東アジアの騒乱の元凶であり続け、挙句の果てには欧米侵略者に荷担した中国の歴史観でもある。・・・戦争責任を追及するなら、このようなアジアの(註:というよりは人類の)敵だった国々に対して行うべきなのだ。」(終章)
「日本が悪かったことといえば、こうした国々に敗れ去ったことくらいだ」(同)―これが著者の結論である。

「中国共産党 野望と謀略の90年」雑誌「正論」別冊15、産経新聞社、2011年6月発行、¥1,000(税込み)


国際共産主義組織(コミンテルン)と中国共産党の歴史・陰謀などに関する特集号。戦後70年近くになる現在、共産主義独裁国家として生き残っている唯一の大国である中国(共産党政府)の実態と恐怖や共産主義の戦争責任を特集している。共産主義の最大の恐怖は人間の自由の抑圧にあり、自己の側にのみ正義があるとして他者の生存権を認めないその独善性にある。共産主義が20世紀以降、人類にどれほどの惨禍をもたらしたか、「共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>」(恵雅堂出版、クルトワ・ヴェルト著、外川継男訳、2001年11月発行)や「共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<コミンテルン・アジア篇>」(恵雅堂出版、クルトワ・ステファヌ他著、高橋武智訳、2006年7月発行)などを読めば明らかで、身の毛もよだつ思いがするのは何も虐殺の文化を持たない日本人だけに限るまい。「戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者2500万人に対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国で6500万人、ベトナム100万人、北朝鮮200万人、カンボジア200万人、全世界では合わせて1億人を数える(前掲書のAmazonの内容紹介より)」という。
本書の中の小堀桂一郎東京大学名誉教授の論文、「共産主義の戦争挑発を隠蔽した東京裁判」は、1951年5月3日の米国上院軍事外交合同委員会の公聴会に於けるマッカーサー証言「太平洋に於いて米国が過去百年間に犯した最大の政治的錯誤は、共産主義者が支那で強大な力に成長するのを許してしまったことだ、といふのが私個人の見解である」を紹介しており、藤岡信勝拓殖大学客員教授の「日中戦争を始めたのは中国共産党とスターリンだ」と江崎道朗日本会議専任研究員の「アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア赤化戦略」(英訳は「掲載文献」参照)とは、共産主義者が中国やアメリカのルーズヴェルト政権中枢部へ深く浸透して起こしたのが日支事変から日米戦争に至る日本つぶしであったことを実証的に追求している。当時のルーズヴェルト政権内への共産主義者の浸透については、“「ヴェノナ」PHP研究所、J.E.ヘインズ&H.クレア著、中西輝政監訳、2010年2月発行、¥3,200(税別)”に詳しい。
他の論文には当時の日本の上層部への共産主義の浸透も論述されており、まさに20世紀は共産主義の幻想と害毒が世界を覆った時代であったとも言える。そして現在もなお、アジアを中心として共産主義の残存勢力との戦いは続いていると言ってよい。特に中国では中華思想と共産主義とが合体していて周辺民族への侵略・虐殺・抑圧には凄まじいものがあり、その記録は以下の著書などに詳しいが、普通の日本人の感覚からすれば中国人(漢民族)というのは血の通った人間ではないのではないかと思わせるものがある。日本軍による「南京大虐殺」を捏造することなど何でもないことなのであろうが、自身が行った悪事を他に転嫁することは、行った悪事以上に罪深いことである。現在の中華人民共和国という“国”は、中国共産党という匪賊集団がシナ本土、満洲、内モンゴル、ウイグル、チベットを武力で占拠して“国家”を詐称している私的集団(地域)である。その証拠に、中国共産党という私的集団を守る暴力装置である人民解放軍を有してはいても、中華人民共和国という“国”の軍隊は存在しない。日本はこういう無法者の“国”とは緊密な関係を保つべきではない。
・「中国の狙いは民族絶滅―チベット・ウイグル・モンゴル・台湾、自由への戦い」林建良、テンジン、ダシドノロブ、イリハム・マハムティ共著、宝島社新書、2009年3月発行、¥1,575(税込み)
・「中国はいかにチベットを侵略したか」マイケル・ダナム著、山際素男訳、講談社インターナショナル、2006年2月発行、¥1,890(税込み)
・「殺劫(シャ・チェ)チベットの文化大革命」ツェリン・オーセル、ツェリン・ドルジェ、藤野彰、劉燕子共著、集広舎、2009年10月発行、¥4,830(税込み)
・「墓標なき草原-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」(上)(下)(続)、楊海英著、岩波書店、各2009年12月、2011年8月発行、¥3,150、¥3,360(税込み)
・「7.5ウイグル虐殺の真実―ウルムチで起こったことは、日本でも起きる」イリハム・マハムティ著、宝島社新書、2010年1月発行、¥680(税込み)









「日本人が知っておくべき竹島・尖閣の真相」SAPIO編集部編集、小学館、2012年10月、¥980(税込み)

韓国の古い公文書や地図を見ると、竹島について現在の主張と矛盾する内容が記され、中国や台湾の古地図には「尖閣は日本領」であると描かれていた–。国際情報誌「SAPIO」において、数多くの著者が論理とジャーナリズムの手法で「竹島・尖閣の真相」を追求してきた。本書はそうしたレポートが10年間蓄積された集大成である。本書に掲載した地図や公文書、写真、証言などを見れば、韓国や中国に領有権が存在するという歴史的、国際法的理由はないことが明らかとなる。(Amazonの商品説明より)
領土問題を考える上で、過去の事実を知っておくことは最低の条件である。

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