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「大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義-」三田村武夫著、自由社、1987年1月復刊、古書有り
初版は1950年春「戦争と共産主義」のタイトルで出版されたが、すぐ占領軍最高司令部(GHQ)民政局の共産主義者により発禁処分にされた書。しかし、そのことが内容の真実性を傍証している。
著者は1899年、岐阜県生まれ。1928年から1935年まで、内務省警保局と拓務省管理局に勤務。1936年から衆議院議員。1943年には言論、出版、集会、結社等臨時取締法違反容疑で警視庁に逮捕されている。
第二次世界大戦に至るまでの期間にシナやアメリカ政府が共産主義者の浸透を受け、ソ連政府の支配下にあったコミンテルンの世界革命戦略に沿って動かされてきた事実は現在では良く知られるようになってきたが、当時の日本でも同様の事態が進展しており、日本が日支事変から大東亜戦争へと引きずり込まれていった事実を、政府機関勤務や国会議員の経験があるとはいえ、一個人が収集できただけの資料に基づき、戦争終結後わずか5年の1950年に出版できた見識には敬意を表する価値がある。ただし、日本側の事情についてだけ書かれた書であり、アメリカ政府もそれ以上に共産主義者による支配を受けており、早くから対日戦争の準備を整え、戦争行為を開始していたことなどについては「ヒス事件」の疑惑以外、この時点での著者は情報を得ていない。
復刊本に「序」文を寄せている岸信介は、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀實であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。・・・支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」と書いている。
内容は本書の以下の目次からおおよそ読み取ることができると思う。
序 説 コムミニストの立場から
第一篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて
一 裏がへした軍閥戦争
二 コミンテルンの究極目的と敗戦革命
三 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想-尾崎秀實の首記より-
第二篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について
一 三・一五事件から満州事変へ
二 満州事変から日華事変へ
第三篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主義者の秘密謀略活動について
一 敗戦革命への謀略配置
二 日華事変より太平洋戦争へ
三 太平洋戦争より敗戦革命へ
資料篇 一 「コミンテルン秘密機関」-尾崎秀實手記抜粋-
二 日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張
三 企画院事件の記録
四 対満政治機構改革問題に関する資料
ソ連政府の支配下にあったコミンテルン(国際共産主義組織)は、1935年になって第七回大会でそれまでの非合法闘争方針を転換し、人民戦線戦術で各国の特殊性を認め、1929年にアメリカで発生し全世界を不況のどん底に叩き込んだ世界大恐慌後の状況に合せて、強大な帝国同士を戦わせ、疲弊させて、敗戦から共産主義革命に至る世界革命の戦術を考え出した。その戦術に沿ってアメリカ政府へもスパイや共産主義者を送り込み、シナ大陸では西安事件で蒋介石を脅迫して対日戦争を画策させ、それらと同調するように日本国内では軍部、政治家、学者、文化人などに影響を与えて軍部独裁、戦時体制へと巧妙に誘導していった。日本でその中心にいたのが尾崎秀實を中心とした隠れ共産主義者たちであった。アジアではまず日本と蒋介石軍を戦わせ、さらに蒋介石を支援していたアメリカと日本を戦わせることにより、世界共産主義革命への道が開けるとの戦術である。こうした戦術の多くが成功裏に進行していったのは、大恐慌によりアメリカでも資本主義への信頼が揺らぎ、日本では陸軍の中心の大部分が貧農や勤労階級の子弟によって構成されていて、社会主義思想への共感が得やすい土壌があったという背景がある。こうした困難を克服していく方法は社会福祉政策と自由貿易であったのだろうが、世界的にまだその機が熟していなかった。先述の岸信介の「序」文の続きには、「共産主義が如何に右翼・軍部を自家薬籠中のものにしたか・・・本来この両者(右翼と左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法->生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している」と書かれている。
共産主義者、尾崎秀實は、当時のいわゆる「天皇制」について次のように書いている。「日本の現支配体制を「天皇制」と規定することは実際と合はないのではないか・・・日本に於ける「天皇制」が歴史的に見て直接民衆の抑圧者でもなかったし、現在に於いて、如何に皇室自身が財産家であるとしても直接搾取者であるとの感じを民衆に与へては居ないと云ふ事実によって明瞭であらうと考へます。・・・その意味では「天皇制」を直接打倒の対象とすることは適当でないと思はれます。問題は日本の真実なる支配階級たる軍部資本家的勢力が天皇の名に於て行動する如き仕組に対してこれにどう対処するかの問題であります。・・・世界的共産主義大同社会が出来た時に於て・・所謂天皇制が制度として否定され解体されることは当然であります。しかしながら日本民族のうちに最も古き家としての天皇家が何等かの形をもって残ることを否定せんとするものではありません」(「コミンテルン秘密機関」尾崎秀實手記抜粋より)。
「Freedom Betrayed: Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath」 By George H. Nash (著) 、Hoover Institution Press Publication [ハードカバー]、2011年11月発行、¥3,837
日本を日米戦争に追い込んだルーズベルト大統領に選挙で敗れたフーバー元大統領の回想録。
「真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任」ジョージ・モーゲンスターン著、渡辺明訳、錦正社、1999年12月発行、¥3,150(税込み)
著者は1906年、米国シカゴ生まれ。シカゴ大学で歴史学を専攻後、25年間新聞界で活躍した外交・国際問題専門のジャーナリスト。訳者は1925年、大分県生まれ。國學院大學卒業(近現代史専攻)後、高校教師、ニッポン放送プロデューサー・解説委員などを歴任。日本の近現代史の著書がある。
現役のジャーナリストであった著者による本書は終戦直後の1947年に出版されている。序章の署名は1946年8月23日である。別掲のチャールズ・A・ビーアドの著書(「ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕」)よりも早い。そのビーアド博士は本書についてその推薦の辞で、「この一巻こそ、この真珠湾という大事件の動かすことのできない、強烈な力を持った労作である。それは厳正な資料から引用した証拠によって裏打ちされている」と述べている(訳者あとがき)。
戦争直後に書かれた本書やビーアド博士の著書の邦訳が日本で出版されたのが1999年や2012年になったこと自体が、戦後の日本の教育や言語空間が歴史の真実を追究しようとしない大東亜戦争日本悪者論や日本侵略者論に組する反日左翼勢力に牛耳られてきたことを物語っている。
1939年にナチス・ドイツによってヨーロッパで始められた戦争でイギリスを助けるため、アメリカのルーズベルト政権は中立法を改訂して参戦しようとしたが、ドイツは慎重に大西洋での米軍の挑発に乗らなかった。アメリカでは宣戦布告の権限は大統領にではなく議会にあり、当時の議会は世論を反映してアメリカが参戦することに否定的であった。そこで戦争に入りたかったルーズベルト大統領は「枢軸三国の一つとわれわれが戦争に入れば彼ら全部と戦わねばならなくなることに注目して、裏口から欧州戦争参加を達成すべく、向きを太平洋と日本に変えたのである。・・・日本は、禁輸と海外資産凍結で絶望に陥った。ついで、ワシントンでの外交交渉を通じて達成できるいかなる解決の希望も奪った。最終的に大統領は、いくらか当座しのぎの解決を与える暫定協定によって、三ないし六ヶ月の猶予期間を日本に与えるという計画を放棄した。そして彼は、ハル長官に前進を告げ、十一月二十六日の一〇ヵ条からなる反対提案の提出を命じた。・・・ルーズベルトは、日本が戦うだろうことを承知していた」(第一九章)。大統領にとってのただ一つの条件は、日本に先に明白な一発を打たせるということであった。大統領が国民に「(アメリカが)攻撃された場合を除いて、外国の戦争に参加することはない」と繰り返し約束していたからである。真珠湾はその犠牲にされたのだということを本書は数多くの資料を駆使して実証している。
開戦に先立つ何ヶ月も前に、アメリカ情報部は日本の極秘暗号の解読に成功しており、あたかも「彼らが日本の戦争指導会議に列席して」いるかのように情報を握っていた。彼らはこの暗号文解読術を「マジック」と呼んだ。ルーズベルト大統領一派はこの情報により、開戦日時も日本軍による真珠湾攻撃も予測できていたが、日本に最初の一発を打たせるべく、アメリカ国民にも真珠湾現地の司令官にも情報を秘匿していた。その結果、真珠湾攻撃は卑劣な日本軍による奇襲攻撃として日本の責任にし、ただ被害が大統領の期待した予測を大きく上回っていたためそれだけでは不足と見て、現地の司令官であったキンメル提督とショート将軍に責任を負わせた。
「(アメリカ)政府は、その経済戦争、秘密外交、内密の軍事同盟、日本が「屈辱的」とした要求の提示および宣戦布告なき戦争のための完全な中立放棄によって、十二月七日の結果を引き起こそうと演出した」、「パールハーバーは、乗り気でない国民を戦争に引き込むに当たって、躊躇する議会に頼らなくてもいい方法をアメリカの好戦派に提供した。そのうえ、その惨害の規模そのものが、惨害をつくり出した政策から国民の注意をそらす好機を、ルーズベルトとその側近たちに与えた」、「パールハーバーは、正式に承認された戦争の最初の行為であり、また政府がずっと以前から乗り出していた秘密戦争の、最後の闘いでもあった。この秘密戦争は、わが国の指導者たちが、宣戦布告によって公式の敵となる何ヵ月も前に、すでに敵として選ばれていた国々を相手として戦われた。それは、指導者たちが、戦争を受容するうえでのろまだと考えていたアメリカ国民に向けて、心理的手段や宣伝と欺瞞によっても戦われた。国民は、戦争同然の行為を、それは国民を戦争圏外に置くための行動だ、と告げられてきた。結局、憲法上の手続きは、出し抜かれるためにのみ存在し、戦争発動権限を有する議会は、既成事実の追認という措置をとるほかなかった」(第ニ〇章)。
第一一章には日本がアメリカの最後通牒だと判断したいわゆるハル・ノートの一〇ヵ条全文が掲載されている(pp.210~211)。満州はシナではないと主張すればハル・ノートを基礎に置いた交渉を継続できた可能性が完全には排除できないようにも見えるが、当時の交渉経過や戦後になって判明してきたルーズベルト政権の実態を考えると、恐らくはハル・ノートの約束すらアメリカが遵守したかどうかは疑わしい。何が何でも戦争に入りたいルーズベルト政権が、日本をより疲弊させるための単なる時間稼ぎに使われた可能性の方が高い。大東亜戦争開戦時の日本の石油備蓄量は、一年半分程度しかなかった。日本にとっての最大の失敗は恐らく、中途半端に真珠湾の旧式艦隊だけを攻撃して大東亜戦争を太平洋戦争にしてしまい、まんまとアメリカ(ルーズベルト政権)の術中にはまってしまった日本海軍の戦略にあつた。
本書は内容も記述も非常に明解であり、訳文も比較的、読みやすい。
「真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々」ロバート・B・スティネット著、 妹尾作太男監訳、中西輝政解説、文藝春秋、2001年6月発行、¥2,000+税
著者は1924年、米国カリフォルニア生まれ。高校卒業と同時に海軍に入隊し、太平洋と大西洋の両戦場に従軍。戦後は新聞記者を勤め、1986年本書執筆のため退社。十年以上の歳月を費やして1999年12月7日に本書を出版した。監訳者は1925年、岡山県生まれ。海軍兵学校卒、戦後は海上自衛隊勤務。定年退職後は執筆活動をしている。解説者は高名な京都大学教授。
読者はジャンケンの必勝法をご存知であろうか。それは簡単である。後出しすることだ。闘いというものは相手の秘密情報をつかんだ上で戦えば圧倒的に有利になることは論を俟たない。闘いの本質は情報戦争だといってよい。ところがどういうわけか、近現代の日本人はこの情報戦争に弱い。戦後の日本国には情報戦争を戦える組織もなければ、その気構えもない。この傾向は戦前においてもさほどの差はなかったようで、海外での宣伝戦においてもほとんど不作為といえるほどの体たらくであったし、当時の日本国の重要情報がアメリカの情報機関の暗号解読技術によって筒抜けになっていたことについてもまったく気づいていなかったようだ。
本書は戦争直後にジョージ・モーゲンスターンによって書かれた「真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任」(別掲)と基本的に同じ内容ではあるが、戦後40年以上経過した時点で収集できた資料(1966年に成立した「情報の自由法(Freedom of Information Act)」[その後数回修正]を活用して収集した二十万通以上の文書[それでもまだ機密指定により開示されなかったものも多い]と関係者へのインタビュー)に基づいて書かれているため、それまでに未見の資料も数多く紹介されている。その主たる内容は、アメリカの情報機関が一九四〇年秋ころ以降、暗号解読に成功していた日本の海軍情報の詳細と、もう一つはルーズベルトの側近で同時に海軍情報部の極東課長でもあったアーサー・マッカラム少佐が起草しルーズベルト政権によって採用されたと考えられる「戦争挑発行動八項目」の覚書の内容(以下)とである。
一九四〇年十月七日付アーサー・マッカラム少佐の覚書(日本を挑発して米国に対し明白な戦争行為に訴えさせるための、八項目の行動提案)。ダドリー・ノックス大佐の承認を含む。著者が一九九五年一月二十四日、第二公文書館で発見。次の施策八項目を提案する。A.太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結。B.蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結。C.蒋介石政権への、可能なあらゆる援助の提供。(D)遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣すること。(E)潜水戦隊二隊の東洋派遣。(F)現在、ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。(G)日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう主張すること。(H)英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止。これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることが出来るだろう。(付録、pp.456)
これらにより著者は、①日本が真珠湾を攻撃するようルーズベルトが仕向けた、②真珠湾攻撃以前には米国は日本軍の暗号を解読していなかったという説の誤り、③日本艦隊は厳重な無線封止を守っていたという説の誤り、を証明している。
「真珠湾攻撃はあくまでもクライマックスであって、それまで長い時間をかけて、ある組織的な計画が実行されていたということである。本書執筆の趣旨は、まさにこの点にある」(エピローグ、pp.447)。一九四〇年九月に成立した「日独伊三国同盟」の結成を好機として、ルーズベルト政権は日本を極限まで追いつめ「暴発」させることによって「裏口から」主たる目的である欧州参戦を果たすというアメリカの戦略目的を実行した。日本は「情報力」の決定的格差により、アメリカのシナリオ通りに大東亜戦争に引きずり込まれていったことが分かる(解説、pp.530~531)。本書の解説者は、「あの戦争において、究極的かつ決定的な意味で日本を撃破した主役は、ローレンス・サフォードやジョセフ・ロシュフォート、あるいはウィリアム・フリードマンやアグネス・ドリスコルら、大戦中日本の外交・海軍暗号のほぼ完璧な解読を可能にした人々であった」(pp.527)と解説している。
著者は、大東亜戦争がルーズベルト政権の政策(陰謀)により引き起こされたものであったことを詳細に証明しながらも、ルーズベルト政権全体を評価する立場から、「本書で、語られている真実により、アメリカ国民に対するフランクリン・デラノ・ルーズベルトのすばらしい貢献が矮小化されることはないし、また彼の功績がこの真実により汚されるべきではない。アメリカの全大統領について言えることだが、・・・その政権の全体像から評価されなければならない」(エピローグ、pp.448)と述べている。ただし、必ずしも解説者が述べているような、「ルーズベルトが日本による「卑劣な不意打ち」を演出してアメリカを大戦へと導いていったことは正しかった、という結論をスティネットが出している」(解説、pp.525)わけではない。第二次世界大戦に実際に従軍した米国軍人の一人として、著者はルーズベルト政権全体は評価しながらも、その思いはもっと屈折した複雑なものである。たとえば、「まえがき」では「本書は、アメリカの戦争介入が賢明であったか否か、を問うものではない。太平洋戦争を経験した退役軍人の一人として、五十年以上もの間、アメリカ国民に隠蔽され続けた秘密を発見するにつれて、私は憤激を覚えるのである。しかし私は、ルーズベルト大統領が直面した苦悶のジレンマも理解した」と述べているし、「第二次世界大戦の遺族と退役軍人[著者もその一人である]にとっては憎んでも余りあることのように思えるが、ホワイトハウスの立場からすれば、真珠湾攻撃はより大規模な悪を阻止するために耐え忍ばねばならない出来事であった。その悪とは、ヨーロッパでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を開始し、イギリス侵略を狙っていたナチスのことである。ヒトラーの勢いを止める手段として正しい選択であったか否かについては議論も分かれるだろうが、ルーズベルトは途方もなく大きなジレンマを抱えていたのは確かである。ルーズベルトの願いや説得もむなしく、強大な孤立主義勢力は、ヨーロッパの戦争にルーズベルトが介入することを許さなかった。・・・本書は、そのようなジレンマを解決する趣旨で書かれたものではない」(エピローグ、pp.447~448)とも述べている。
著者の立場はルーズベルト政権時代を生きた多くの米国軍人の立場を表しているように思うが、単純に日本軍による真珠湾攻撃に至るルーズベルト政権の政策を支持しているわけではない。それは当然のことと思われる。たとえ「自分たちが正当だと信じる目的のためには手段を選ばない」のが国際政治の現実ではあっても、そのような理屈が堂々と人間社会の正義として通用するのならば、それは左翼や共産主義者と同じ闘争至上主義の独善的な力の思想と何ら変わりはないし(事実、ルーズベルト政権には共産主義者の勢力が大きな影響を及ぼしていたし、当時のアメリカが民主主義国であったとも言えない)、人間社会の道理や法律も成り立たないことになる。強者の無法は正義で、弱者の道理は通らないというのは、長い目で見れば必ず破綻につながる。そうした人間の道理に反する手段は単に卑劣なだけであり、正当化できる根拠はどこにも存在しない。アメリカにはルーズベルト政権全体を評価しない人々も少なくないし、またアメリカが大東亜戦争を引き起こしたことによる数多くの犠牲や、戦後のアジアの混乱や諸問題の源泉を作り出した責任は否定できない。
「「幻」の日本爆撃計画―「真珠湾」に隠された真実」アラン・アームストロング著、塩谷紘翻訳、日本経済新聞出版社、2008年11月発行、¥2,100(税込み)
著者は1945年、米国ジョージア州アトランタ生まれの弁護士(航空法の権威)。
訳者は1940年生まれのジャーナリスト。「ジャーナリスト生活の半分近くをアメリカで過ごす」(訳者あとがき)と書いている。
本書は、日本軍による真珠湾攻撃の1年以上も前から、米国政府の首脳陣はアメリカ人による中国における義勇兵(航空戦隊)[フライング・タイガー]を使って日本を空爆する秘密計画を検討していた事実を詳細に解明したものである。本書冒頭には日本への先制爆撃計画「JB-355」を承認した、1941年7月18日付のルーズベルト大統領署名入りの文書(署名の日付は1941年7月23日)の写真が掲載されている。
「対日先制攻撃は、蒋介石に雇われたアメリカ人義勇兵が操縦する一五〇機の長距離爆撃機を中核とする一大航空部隊が中国大陸南東部の秘密基地から本州を襲い、続いて各地の主要都市に連夜、焼夷弾の雨を降らせる計画だった。だがアメリカは、爆撃機供与を中国に約束したものの、ナチスの猛攻に喘ぐイギリスを優先的に支援する必要から引渡しが遅延し、真珠湾奇襲に後れを取ったのだった。」(訳者あとがき)
「JB-355計画が生まれた政治状況は、アメリカが公式には交戦状態にない時期に、事実上、一交戦国(註:中国)を援助し、軍事行動を率先して計画・実行しようとしたアメリカ大統領の姿を明らかにしている。」(結論)
当時、米国政府首脳の一人としてこの秘密計画を強力に遂行していた大統領補佐官ロークリン・カリーは、KGBのエージェントだったことが戦後に発覚して、南米コロンビアへ逃亡した(一九九三年死亡)。
本書で一つ気になるのは、著者の満州事変、日中戦争、大東亜戦争などの理解が非常に表面的(ステレオタイプ)で、当時のアジアや日本に対する無知にまったく気づいていない点である。本書の原著が出版されたのが2006年だから、これが現在でもアメリカ人の平均的な理解なのかと驚かされる。米英蘭仏各国は大東亜戦争により結局、搾取の限りをつくしたアジアの植民地を失ったわけで、経済封鎖にあった日本が資源を求めて南方諸国へ侵攻したことが彼らにとって侵略と映るのは仕方のないことかも知れないが、その立場が有色人種国家への過酷な植民地支配と搾取を正当だと考える白人侵略者の思想であることには気づいていないようである。結論で述べているアメリカによるイラク攻撃に対する見解も、単にアメリカ政府のプロパガンダを反復しているだけのように見える。
日中戦争を「日本人は中国人絶滅を目論んだ戦争で・・・」(結論)などというのは、南京事件(1927年3月)、西安事件(1936年12月)、盧溝橋事件(1937年7月7日)、通州事件(1937年7月29日)、上海事変(1937年8月13日~)などを始めとする、共産主義者と結託した当時の中国の無法に無知なためだろうが、書く以上はもう少し調査してから書くべきである。
「日本を誤らせた国連教と憲法信者」加瀬英明著、展転社、2004年7月発行、¥2,100(税込み)
著者は評論家、史実を世界に発信する会代表。著者は本書で、日米戦争開戦10ヶ月前にアメリカは国務省の中に日本の戦後処理に関する「特別研究班」を設置していた事実を紹介している。
「交渉術」佐藤優著、文春文庫、2011年6月発行、¥705+税
著者は1960年生まれ。外交官を経て、現在、文筆家。在ロシア連邦日本国大使館に勤務後、外務本省国際情報局分析官としてインテリジェンス業務に従事した経歴を持つ。
筆者に本書の内容を評する知識も能力もないが、とにかく面白い。本書は読者に国際政治の最前線の一部を垣間見させてくれるだけでなく、人間社会の現実を鋭く描いており、過去の史実を理解する上で有効だと考え、資料室に掲載する。
著者は本書のあとがきで、ソ連崩壊のシナリオを描いたというロシアの高官、ブルブリス氏の言として、「過去の歴史をよく勉強しろ。現在、起きていること、また、近未来に起きることは、必ず過去によく似た歴史のひな形がある。それを押えておけば、情勢分析を誤ることはない」という言葉と、「人間研究を怠るな。その人間の心理をよく観察せよ。特に、嫉妬、私怨についての調査を怠るな」という言葉を紹介している。
なお著者には、“「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」新潮文庫、2007年10月発行、¥740(税込み)”、
“「自壊する帝国」新潮文庫、2008年10月発行、¥820(税込み)”、
“「国家論-日本社会をどう強化するか」NHK BOOKS、2007年12月発行、¥1,160+税”、
“「日本国家の神髄-禁書『国体の本義』を読み解く」扶桑社、2009年12月発行、¥1,785(税込み)“、
“「インテリジェンス人間論」新潮文庫、2010年10月発行、¥740(税込み)”など、多数の著書がある。
「日本は世界4位の海洋大国」山田吉彦著、講談社、2010年10月発行、¥838(+税)
著者は1962年、千葉県生れ(大学教授)。多くの日本人には「日本は資源の乏しい小さな島国」という認識が普通だと思われるが、排他的経済水域までの海洋を含めると、日本の領土・領海は広大な面積になり、各種の資源を豊富に有していることを本書は解説している。陸上交通や航空機の発達とともに、海洋に対する日本人一般の認識は嘗てに比べて弱くなっているように見えるが、単に海洋資源だけでなく、大量の物資の輸送や国防上の観点からも海洋の重要性が減少しているわけではないことを、日本人は改めて認識すべきです。
「日本は世界5位の農業大国」淺川芳裕著、講談社、2010年2月発行、¥838+税
著者は1974年、山口県生れ。月刊「農業経営者」副編集長。本書で、政府の農業政策のデタラメを暴いている。戦後、ほとんど一貫して日本国政府の農業政策は必ずしも農民のための政策でなかったことは、筆者のような農村出身者には自明のことだが、その根本には農水省を始め農業関係に寄生する集団の利益擁護の意図が存在していることが良く分かる。日本の官僚制度の悪しき側面が現れている分野の一つである。政策しだいでは日本の農業産業は、十二分に世界に伍していける成長産業であることを著者は強調している。産業構造がどのように変化しようが、食(農)が国家の礎の一つであることに変わりはない。
「「領土問題」の真実」水間政憲著、PHP研究所、2010年12月発行、¥1,600(+税)
著者は1950年、北海道生れ、近現代史研究家・ジャーナリスト。アジア極東経済委員会が尖閣諸島周辺海域に約800兆円に上ると推定される海底油田・天然ガスの埋蔵の可能性を指摘して以降、何の根拠も無く尖閣諸島の領有権を主張してきた中国の共産党独裁政府、日本の敗戦後のドサクサに勝手に李承晩ラインを設定して竹島を韓国領だと強弁してきた韓国政府(後に、竹島周辺海域にはメタンハイドレートが眠っていることが判明)、日本がポツダム宣言を受諾して戦闘行動を中止した後にも戦闘行動を継続し、「北海道・北方領土占領計画書」に沿って日本領土(南樺太・千島列島・北方4島)を侵略・不法占拠しているロシア(旧ソ連)。日本はこのような国々に取り巻かれているのが現実です。著者は多くの一次資料を駆使して、領土問題に関する彼らの捏造を本書で明らかにしている。尖閣諸島も竹島も北方領土(4島)も、日本固有の領土であることは歴史的資料から明らかです。尖閣海域でのアメリカとの石油資源の共同開発を著者は本書で提案している。
加えて著者は、靖國神社参拝問題やシナ大陸の「毒ガス兵器処理問題」にも多くの紙面を割き、偽善を通り越して中国・韓国政府以上に反日的な勢力が日本の新聞・TV、政府・政治家などに巣くっていることを告発している。
アメリカ合衆国は中国(蒋介石一派)と組んで過去に不当にも日本に戦争を仕掛けた張本人であるが、良くも悪くも民主主義の大国である。国民の意識が変われば政策の転換も早い。現在の日本の同盟国としては、前記三国に比べてはるかに相対的にマシな国家だと言える。そのアメリカ国民を動かす情報戦において、戦前、日本は(旧)ソ連と中国(蒋介石一派)に完全に敗れていたのである。その状況は現在も大して改善されていない。