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「世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集」吉本貞昭著、ハート出版、2012年7月発行、¥1,680(税込み)
著者は1959年生まれ。中国研究の専門家。同時に、大東亜戦争などの研究者でもある。
本書は大東亜戦争と東京裁判についての著者の解説と、アジア・西欧諸国の指導者や識者の発言集とから成る。
史実とは関係なく自己の主張だけを展開する中国共産党や韓国・朝鮮などの主張はともかく、日本国内でもなぜウソの歴史や反日思想が蔓延してきたかについては、戦後のアメリカ占領軍が数多くの日本人を公職から追放し、共産主義者を始めとする左翼思想家たちを華々しく復活させただけでなく、アメリカによる意図的な日本人洗脳計画があったからだと著者は指摘している。「アメリカは終戦後の昭和二十年十一月三日に、日本が再び連合国の脅威にならないよう、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に対して、日本人洗脳計画を命じた。その計画とは、日本人に「侵略戦争」をやったという贖罪意識を植え付ける「戦争犯罪情報計画」(「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」)と呼ばれるもので、報道と教育を通じてアメリカの都合に良い歴史観を日本人に植え付けることを目的としたものであった」(“はじめに”より)。多くの日本の学者・マスコミ・役人・政治家を始め、反日左翼知識人が蔓延したのはその結果である。皮肉なことに、本来反米である日本の左翼知識人たちは、当のアメリカ自身が量産したということである。
大東亜戦争と東京裁判(という名のリンチ)について一つだけ紹介しておくとすれば、「パリ不戦条約」(昭和三年八月二十七日にパリで調印)が放棄している戦争とは「侵略戦争」であって「自衛戦争」ではなく、国家の発意で行う戦争が「侵略戦争」か「自衛戦争」かの判断は各国の裁量(「自己解釈」)に一任されているということである。当時の国際条約が戦争それ自体を犯罪であると規定しているわけではなく、ましてや国家が行う戦争責任が個人にあるなどという規定はどこにもない。もし大東亜戦争を神が裁いたならば、戦争犯罪国家はアメリカ・イギリス・ソ連・中国などであり、客観的な歴史の経過はそのように推移してきていることが理解できる。大宇宙の法則は因果応報であり、百年単位で見れば、原因が生み出してくる結果はいずれ原因を作った当人(当国)が受ける以外にないことが理解できよう。ダマされていることに気が付かないのは、多くのお人よしの日本人だけである。
内容についてはお読みいただくとして、発言集の中から一つだけ紹介しておく。
「私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた」(ハーバート・フーバー、アメリカ合衆国第三十一代大統領)
第二次世界大戦終了後、朝鮮戦争を起こされて目が覚めたアメリカは、政府を始めとする社会の指導層から共産主義勢力を排斥し、蒋介石への援助も停止して共産主義国・ソ連と対峙し、後には人種差別を禁止する法律(公民権法)まで成立させるのであるが、日本政府だけは今だにアメリカによる戦後の「戦争犯罪情報計画」を墨守しているのは一体、どういう了見なのか。「日本は朝鮮を植民地にした」、「満州事変により中国を侵略した」、「日支事変のとき、南京で三十万人の市民を虐殺した」、「戦時中、多くの朝鮮人を強制連行した」などなど、明らかなウソ話を検定制度による歴史教科書から排除せず、歴史の真実を隠すことに汲々として、何も知らない青少年に史実を教えることを拒否している日本の文部科学省とは一体、どこの国の政府なのか。「百回言ってもウソはウソ」。いずれ、歴史の真実は表に出てくることを、愚かな政治家や役人たちは知るべきである。
「「昭和の大戦」の真実(正)、(続)」黄文雄著、WAC BUNKO、2011年8、9月発行、各¥930、¥940
著者は台湾出身の高名な文明評論家。「彼ら(註:大日本帝国のこと)が戦争に突入した目的は、主として自衛のために迫られてのことだった」-日米戦争(大東亜戦争)後、ソ連と中共政府の支持をバックに北朝鮮が始めた朝鮮戦争を”国連軍”の指揮官として戦ったマッカーサー元帥が、1951年5月3日のアメリカ上院軍事外交合同委員会で行った証言の一部である。これは、東京裁判という名のリンチで大日本帝国を処断したマッカーサー元帥が、実際朝鮮の地で共産主義者の侵略と戦わざるを得なくなった体験を通して、初めて日本の置かれている地政学的条件と、明治維新以降、大日本帝国が自存自衛のために取ってきた行動の真の意味を理解した結果である。米ソ冷戦を背景に、その後、アメリカが対日政策を180度といって良いほど転換したことは周知の通りである。著者は本書で、明治維新以降の日本の歴史を丹念にたどりながら、人類史的な観点から、大日本帝国がいかにアジアの近代化に貢献したか、大東亜戦争がいかに有色人種の解放に貢献したかを史実に基づいて詳細に論じている。「日本の戦争はすべて正当防衛のものだった」、「戦争が不可避だった時代において、(国家の独立を守るため日本は)一か八かの起死回生の戦いを繰り広げたのだった」とし、大東亜戦争についての大方の台湾人の冷徹で客観的な見方「日本が悪かったのではない。強いて日本が悪かったことと言えば、戦争に負けたことだ」を紹介している。(正)「今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである」(タイの首相になったククリット・プラーモート氏の言葉)。(続)
開戦当時、すでに明治維新から70年近くを経過して軍の組織も官僚機構化しており、大東亜戦争においては負けなくても済んだかもしれない戦いを、戦争指導者の数々の致命的な失敗により日本国民に多大の犠牲を出すことになった。この戦争の真の被害者は日本国民であり、加害者はソ連共産主義(コミンテルン)に浸透されて日本に戦争を仕掛けた当時の狡猾で無法なシナ、米英を中心とした残虐な白人国家群、および日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦してきた共産主義独裁国家ソ連だと断言できる。マゾヒズムの日本政府が謝罪すべき相手はシナの共産党独裁政権や韓国・朝鮮政府ではなく、日本国民である。戦後のデタラメな歴史教育により自国の近現代史の真実に無知な日本国民は、明治維新以降の戦争が不可避だった時代において、自国の独立を守るためにいかに父祖の世代が犠牲を払って戦ってきたかを正しく理解するためにも、一読すべき書物です。
「アメリカの鏡・日本」(新版)ヘレン・ミアーズ著、伊藤延司訳、角川学芸出版、2005年6月発行、古書あり
著者は1900年(一説には1898年)生まれの東洋学の研究者。日本占領連合国軍(GHQ)の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日し、戦後の日本の労働基本法の策定に携わった。
本書は1949年、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた書(原著は1948年に出版)。日本に滞在経験のある東洋学の研究者による書とはいえ、戦後3年しか経っていない時点で書かれたにしては著者の歴史を見る眼の確かさを知らされる書物である。日本に対する記述には必ずしも同意できない点も含まれてはいるが、著者がその後の歴史研究の進展によるいくつかの史実を知れば、より完璧なものになっていたことだろうと思う。著者はたんねんに史実をたどりながら、本書で連合軍、特にアメリカの政策の矛盾を赤裸々に指摘して、今後のアメリカが再度、政策を誤ることの危惧を表明している。基本的に、反省を込めてアメリカ人のために書かれた書物である。
同一訳者の抄訳版が2005年6月、角川書店から新書で発行されている。
「東條英機 歴史の証言-東京裁判宣誓供述書を読みとく」渡部昇一著、祥伝社黄金文庫、2010年7月発行、¥840(税込み)
本書は東條英機がいわゆる東京裁判の法廷に提出した宣誓供述書に、著者、渡部昇一上智大学名誉教授が解説を加えたものである。
この宣誓供述書は、東條被告が開廷以来取り続けたメモ・ノートを基に、東條被告の担当であった清瀬一郎博士とアメリカ人弁護士ブルーエットを含めた三人が心血を注いで完成し、1947年12月26日の法廷に提出した正式の法廷記録である。同内容は法廷提出後間もなく出版されたが、占領軍の報道政策により「発禁第一号」に指定され、市場からその姿を消した。その後も占領軍は日本国内に厳しい言論統制を布き、次々と日本人の言論を封じていくが、その手法はまさに共産主義者や独裁者のやり口そのもので、その一事をもってしても、東京裁判が不当なリンチであり(東京裁判にはそもそも管轄権がなかった)、誰が日支事変や大東亜戦争の真の仕掛け人であり、戦争犯罪人であったかということが良く分かる。もし連合国(主としてアメリカ)側に正義があるのであれば、日本国内の言論の自由を保障し、すべての証拠資料を採用して正々堂々と振舞えば良かったはずである。
本宣誓供述書は、当事者として事情を知悉した東條英機が文字通り自己の“いのち”を賭けて供述した内容だけに、日本が大東亜戦争(太平洋戦争)へ追い込まれていった当時の状況が生々しく読む者に迫ってくる。渡部名誉教授の解説も分りやすく、当時の歴史の真実を知るための最重要資料の一つであると言える。
第一次世界大戦(1914~1918年)後の不況に際して、増加する外国製品の輸入を抑えるため1929年(昭和四年)にアメリカの下院に上程されたホーリイ・スムート法に代表される保護主義のため世界の貿易量が激減し、1929年10月24日にはいわゆる「ブラックサーズデー」でアメリカの株式市場が暴落する。これが世界中に大不況を呼び、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソ連などの(工業資源を)”持てる国”がそれぞれに植民地を含む自己の勢力圏を囲い込み、ブロック経済を形成する。それは”持たざる国”は滅びろということを意味するのだが、当時の”持てる国”家群は人類全体を考えるという視点に欠けていた。アメリカから移民を拒否され、商品の購入には高関税をかけられ、窮した日本は天津の日本租界内に逃げ込んできた清国最後の皇帝、溥儀(満洲人)と協力して日本軍(関東軍)が背後についた満洲人の国家、満州国を建国する。満洲の地は歴史上、満洲人(女真族)の故地でシナ(中国)ではないのだが、清国の版図をすべて継承しようとする中華民国が主権を主張して満州国および日本と対立した。シナの反日運動が激化し、やがて共産主義者と結んだ中国国民党が対日戦争を仕掛け、日本政府の政策の不徹底もあって日中戦争はドロ沼化する。”持たざる国”ドイツがヨーロッパで戦争を始め、イギリスにまで空爆攻撃を開始すると、シナの蒋介石政権(国民党)を支援していたアメリカのルーズヴェルト政権はイギリス救援の目的もあり、アメリカ国内の孤立主義を廃して戦争に参加するため、対日戦争を画策する。その結果、くず鉄、石油などの対日輸出を禁止し、日本の資産を凍結した。イギリス・オランダも同様の措置に出て、日本を経済封鎖する。それは宣戦布告を意味する行為なのだが、かくして工業原料や軍需物資の自己調達の必要に迫られた日本にとっての生存の道は、当時、欧米の植民地であった東南アジア資源国への侵攻以外には残されていなかった。これが大東亜戦争に至る経緯であり、日本は自存自衛のために大東亜戦争を戦わざるを得なかったというのが歴史の真実であり、東條英機の主張でもあった。一言でいえば、”持てる国”のブロック経済化と世界的な共産主義者の策動が大東亜戦争を引き起こしたのです。後に共産主義勢力に朝鮮戦争を起こされたマッカーサーも、そのことを認めている。
「日本は近代国家として持っているのは、蚕だけだと言っています。絹産業だけだということです。ほかのものは何も持っていなかった。しかし、必要なものはすべて南方地域にあった。それなのに、われわれは日本に売らないことにした。日本はこのまま行けば、一〇〇〇万人から一二〇〇万人の失業者を生ずることになった。したがって日本が戦争に入ったのは、主として国家安全のためであった」(一九五一年、アメリカ上院軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言。第一章より)
「太平洋に於いて米国が過去百年間に犯した最大の政治的錯誤は、共産主義者が支那で強大な力に成長するのを許してしまったことだ、といふのが私個人の見解である」(同、これはジョージ・ケナンやヘレン・ミアーズ女史の見解でもあった。「共産主義の戦争挑発を隠蔽した東京裁判」小堀桂一郎より)
昭和16年10月17日、天皇の大命を受けて東條内閣が誕生します。近衛内閣の辞職に際して、戦争準備を白紙還元することを条件に東條は組閣を引き受けた。東條は総理大臣、陸軍大臣、内務大臣(内務省は警察・特高を統括)、軍需大臣を兼任したが、海軍は統率外にあり、軍の統帥は参謀総長(陸軍)と軍令部総長(海軍)にあった。東條にはルーズヴェルトやチャーチル、ヒトラー、スターリンのような指導者としての権限はなかった。当時の日本ではすべてが話し合いの制度だったのです。もし東條英機という人物が日本人離れのした怪物であったなら、日米戦争が避けられないと思った時点で、強引にでも陛下の権威を利用して、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長のすべを兼任すべきであった。そうすればすべて自己の責任で大戦争を戦うことができたのです。結局、日本は本当のリーダーがいないまま、大東亜戦争を戦ってしまった。東條という人は、それでも潔く敗戦の責任を認めている。「(註:国民に対する)敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私(註:東條英機)の責任であります。この意味に於ける責任は私は之を受諾するのみならず真心より進んで之を負荷せんことを希望するものであります。」(宣誓供述書末文より)。そういう意味では、東條英機という人はめぐり合わせの悪い人であった。人間個人として見れば、何か目に見えない運命的な力が働いていたとしか考えようがない。
ところで、戦後、なぜ本宣誓供述書が無視され続けてきたかについて、解説者の渡部名誉教授は以下のように述べている。
「東條さんの宣誓供述書が残されたことは、日本人にとって有難いことであった。その後間もなくマッカーサー自身が東條さんの主張(註:大東亜戦争は日本の自衛戦争であったという主張)が正しいことを認めたではないか。ただ大東亜戦争に対する東條・マッカーサーの史観が、日本人の間に普及していないことが残念である。その主たる理由はいまでは明らかだ。占領期間中、二〇万人ともいわれる人たちが公職追放となったからである。この追放令の中心は民生局のケーデス一派だと言われる。彼らはアメリカ民主党の左派であり、中には後にコミンテルン(註:国際共産主義組織)のエージェント(註:手先、スパイ)だったと判明した者もいた。・・・その公職追放令の嵐の中で、うんと得をした者たちがいた。戦前の左翼思想家や在日コリア人などなどである。特に重要な敗戦利得者は、左翼インテリだった。一例をあげれば・・大内兵衛と滝川幸辰である・・・この二人はコミンテルンのシンパ、あるいは同調者として天皇の帝国大学教授としてふさわしくないとされたのである(コミンテルンは天皇制廃止を指令していた)。しかし敗戦により華々しく復活した。・・・戦後のいわゆる岩波・朝日文化は、敗戦利得者の左翼インテリ文化と言える。・・・これは典型的な敗戦利得者で、そのほかの例は数え切れない。この敗戦利得者たちは日本の主要な大学の主要なポストを占め、その弟子たちは、あるいは日本中の大学に教授として散らばり、あるいは大新聞の記者となった。正に癌細胞の転移にも似た様相を呈したのである。こうした敗戦利得者とその弟子たちが、戦前の「日本のよさ」とか「日本の立場や言い分」を肯定することはない。」(“はじめに”より)
「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」町山智浩著、文藝春秋、2008年10月発行、¥1,050(税込み)-文庫版は¥560(税込み)
著者は1962年東京生まれのコラムニスト・映画評論家。早稲田大学法学部卒業。カリフォルニア州バークレー在住。
良かれ悪しかれ、現代の日本と日本人にとってはアメリカとの関係を抜きにしては生存が難しいのが現実であるが、それにしては多くの日本人がアメリカの実像を正確に理解しているとは言いがたい。新聞やTVも日米同盟に遠慮してか、アメリカの暗部を伝えるのに消極的である。もともとヨーロッパ白人社会のはみ出し者や落ちこぼれが流れてきて大恩ある先住民をだましては虐殺を繰り返し、戦争に継ぐ戦争を繰り返して太平洋までをも暴力(武力)で奪い取ってできた国がアメリカ合衆国である。そうした建国の歴史を考えれば、文化度や民度がさして高くないことは容易に想像できるが、第二次世界大戦での敗戦のショックか、現代日本人のアメリカを見る眼は相当に曇っている。アメリカ在住の著者は、2000年代のアメリカの素顔を何とか日本人に伝えようと、本書で奮闘している。
タイトルにある「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」というのは実話である。というよりも、多くのアメリカ人にとってそんなことはどうでも良いことで、特に関心が無いのである。ましてや、世界のことなどまったく関心が無いという人たちがアメリカには山ほど居る。言い換えれば、自分の住んでいる地域だけに関心を向けていれば生きていけるともいえる。アメリカという国は、巨大な田舎者の集団なのだ。
本書は、日本人にアメリカという国の実態を知る上で多くの示唆を与えてくれるものと思う。ぜひ一読をお勧めする。
「日本人が知らなかったアメリカの謎」村尾英俊著、中経出版、2013年1月発行、¥619+税、も、アメリカの実像を知る上で参考になります。この書は主として経済や政治についての実像を追求しています。
「アメリカが畏怖した日本:真実の日米関係史」渡部昇一著、PHP新書、2011年6月発行、¥700(税別)
著者は1930年生まれの高名な上智大学名誉教授。幕末から現在に至るまでの日米関係の実相を本書で解説している(副題が「真実の日米関係史」となっている)。日露戦争直後からなぜアメリカが露骨な反日に傾き、ついには日米戦争を仕掛けるまでに至ったのか、日清戦争直前にアメリカが無法にハワイを併合しようとしたとき、日本が二隻の軍艦をホノルルに派遣して暗黙の抗議を行ったり、日露戦争後に「桂・ハリマン仮協定」(予備覚書)を一方的に断ったのが契機になったというだけでなく、より複雑で多岐にわたる背景が存在していたことを時代を追って解明している。その底流には、アメリカを建国し支配者であり続けてきた白人の独善があり、人種差別の思想があったことを伺わせる。戦争には敗れたとは言え、もし日本があの自衛戦争(大東亜戦争)を戦っていなかったら、アジア・アフリカの開放もアメリカ国内での人種差別の撤廃もはるかに長い時間を要したであろうことは明らかです。人類史的に見れば、日本の戦死者も戦争犠牲者も決して犬死したわけではないことを日本人は理解すべきです。そういう意味で、戦後から現在にまで続く多くの学者・マスコミ・政治家など(著者は敗戦利得者と呼んでいる)が恥ずかしげも無く撒き散らす東京裁判史観(「コミンテルン史観」とも言える)に洗脳されることなく、冷静に真実を見極めることの大切さを教えられる書物です。
ちなみに著者は、サンフランシスコ講和条約11条の内容について、日本は東京裁判そのものを受入れたのではなく、諸判決(judgments)の刑期の変更・赦免には関係国過半数の同意を要するということを受入れただけのことであると本書で指摘している。
「白い人が仕掛けた黒い罠」高山正之著、ワック、2011年8月発行、¥1,400+税
著者は1942年、東京生まれのジャーナリスト。本書で著者は、東南アジアにおける白人による植民地支配の残虐さや、明治以降の日本の歴史の真の姿を追いながら、白人国家の残忍さや現在の中国と韓国・朝鮮のウソ、さらには、国内外の学者・言論人や各国政府のウソをも明らかにしている。「二十世紀はまさに日本の世紀だった。白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。」、「奴隷をもち、残忍な戦争をし、略奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって略奪も強姦もしない、奴隷も(欧米流の搾取・略奪の対象としての)植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見落とすと、近代史は見えてこない。」、「日本対白人国家プラス支那という対立構造ができ、先の戦争が起きた。」と歴史の真実を喝破している。シナの共産党独裁政府や韓国・朝鮮の政府を始め、各国の政府がそれぞれの政治的思惑からいかに歴史を捏造しようとも、長い人類の歴史において、もしアジアに日本という国が存在していなかったら、アジア・アフリカなどの有色人種が白人種の搾取・略奪の奴隷状態から開放されるのに百年以上のより長い時間を要したであろうことを否定することは出来まい。日本は今後も、神道(正直・清浄と誠の道、禊と祓い、共生の思想)と仏教(慈悲と平等の思想、輪廻転生と因果応報の思想、殺生・盗み・邪淫・ウソを最大の罪悪とする)を持たない、残忍で悪意に満ちた国々と共に生きていかなくてはならない。よほど日本人は真実を理解する努力をして対抗していかない限り、他国から食い物にされ続ける危険性があることを理解すべきです。一読に値する書。
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄著、徳間書店、2011年5月発行、¥952+税
著者は台湾出身の高名な文明評論家。縄文時代にまで遡りうる古代から現代にまで続く日本人の特質を、主として16世紀に西欧が日本と接触を始めたころからの訪日外国人による日本および日本人評を分析することにより明らかにしている。文明や国民性の特質は異質の文明や国民との比較によってのみ際立つものであり、外国出身である著者による分析は鋭く、類書とは一線を画している。過去の著名な訪日外国人による記録・見聞録を渉猟し、五つの観点(日本人の不屈の精神、美徳、勤勉、美意識、武士道精神)から日本と日本人とを論じている。本書にも述べられているように、文明や国民性というものは簡単に変化するものではなく、シナの共産党独裁政権や韓国・朝鮮政府のウソで固めた主張(捏造史観)がいかに滑稽なものであるかの傍証にもなっている。大虐殺や略奪を繰り返してきた歴史を持つシナ大陸の政権は「日本軍による南京大虐殺」を発明し、長い献女外交の歴史を持つ韓国・朝鮮は売春が違法でなかった時代の単なる民間の売春グループである慰安婦を騒ぎ立て、戦時中の法律に基づき日本本土で実施された女子勤労動員である女子挺身隊にならって工場や農村で働いた韓国・朝鮮人の「女子挺身隊」までを「性奴隷」と詐称する。お里が知れるというか、捏造するにしても他人のウソ(戦後の反日日本人や国賊的な日本の政治家による捏造)を利用するにしても、自国の歴史や経験、自民族の習性によってしか発想できないというのは、何とも哀れで滑稽な話である。
ちなみに、中国の共産党独裁政権が主張している南京大虐殺に関する内容は中国自身が南京事件(1927年)・済南事件(1928年)・通州事件(1937年)などで日本人居留民(在留邦人)に対して行ったことであり、現在、韓国が主張している従軍慰安婦に関する内容は朝鮮戦争のとき韓国自身と米軍とが行ったことである。中国・韓国の独立記念館のような他国に罪悪を転化する創作は日本人には考えも及ばず、かえって彼らの指導層の狡猾さと残虐性を露にしている典型である。
註:本書の続編として、より個人に光を当てた“「世界から絶賛される日本人」徳間書店、2011年12月発行、¥1,050(税込み)”が出版されている。なお、著者には、“「命がけの夢に生きた日本人」青春出版社、2006年3月発行”という著書もある。
本書と類似の書物に、呉善花著、「なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか」(PHP研究所、2012年7月発行、¥1,680)がある。
「日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景」 (シリーズ日本人の誇り) 楊 素秋著、桜の花出版、2003年12月発行、¥1,365(税込み)
著者は1932年、台湾・台南市生まれ(日本名:広山喜美子)。長榮女学校卒業。貿易、通訳、日本語教師など、多方面で活躍している。
昭和20年(1945年)の春、台南第一高等女学校の入学試験を受けるため、著者が疎開先の大社村から台南に汽車で戻っていた途中の出来事でした。大東亜戦争も末期で、台湾も度重なる米軍の空襲に見舞われており、その日も汽車が遅れ、ようやく乗れた汽車は膨らんだ多数の乗客でデッキのステップまで人が溢れていました。著者は何とかデッキのステップに立ち、鉄棒につかまった状態で列車が発車しましたが、そのうち、腕に捧げていた荷物の重みに耐え切れなくなり、列車が鉄橋の上を通過していたときに片方の足をステップから踏み外し、意識を失ってしまいました。しばらくして気がつくと、同乗していた日本軍の将校さんに助けられていたことが分かりました。
大東亜戦争で日本が敗戦国となったため、戦後、日本軍や日本の海外統治に対する悪意あるウソが反日勢力により世界に広められていますが、本書はそうした作り話とは無縁の、実際に当時を生きた台湾人による回想です。著者は古き良き日本時代を懐かしみ、戦後、中国人がやってきた後の台湾の悲劇を嘆いています。全体の内容が推察できるよう、以下に目次を掲載しておきます。
第一章 命の恩人は日本人
第二章 日本統治時代
第三章 素晴らしかった日本教育
第四章 優しい日本の兵隊さん
第五章 戦後、中国人がやって来た
第六章 日本人よ、しっかりしてください
第七章 想い出は永遠に・・・
日本は台湾でも、朝鮮でも、満洲でも、良いことだけをした。その実態の一端がうかがい知れる内容です。これらの国々や地域に日本がほんとうに謝らなければならないとしたら、それは戦前の日本が情報戦を軽視して、当時のアメリカで多数を占めていた反戦勢力に直接、訴えることをせず、大東亜戦争に至ってしまったことと、日本海軍の上層部がとんでもない戦い方をして戦争に負けてしまったことでしょう。
前記のように著者は命がけで入学試験を受けに行ったのですが、受験当日、空襲に遭い、結局、台南第一高等女学校へは行けなくなり、戦後、ミッションスクールであった台南市の長榮女学校へ行くことになった。
著者は本書で、あのとき命を救ってくれて、名前を告げずに去った日本兵に対して、「紫色の風呂敷包みを持っていた将校さん、今どこにいらっしゃいますか?どうかこの言葉が届きますように!私はいつも台湾から「ありがとうございました」と心に念じております!」と書いている(pp.41)。さらに、「私の心の中には、いつもとても綺麗な日の丸の旗が翩翻とはためいています」とも書いています(pp.272)。
なお、本書はコラムを読めば、明治時代(特に日清戦争)以降の日本内地と台湾との関わりの大要が分かるようになっている。
本書は「桜の花出版」“日本の誇りシリーズ”の第一巻目であり、以下の書籍が続いて出版されている。
・「帰らざる日本人‐台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います」、蔡敏三著、桜の花出版、二〇〇四
・「母国は日本、祖国は台湾‐或る日本語族台湾人の告白」、柯徳三著、桜の花出版、二〇〇五
・「素晴らしかった日本の先生とその教育」、楊應吟著、桜の花出版、二〇〇六
・「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実‐大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇〇六
・「フィリピン少年が見たカミカゼ‐幼い心に刻まれた優しい日本人たち」、ダニエル・H・ディゾン著、桜の花出版、二〇〇七
・「アジアが今あるのは日本のお陰です‐スリランカの人々が語る歴史に於ける日本の役割」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇〇九
・「少年の日の覚悟‐かつて日本人だった台湾少年たちの回想録」、桜の花出版編集部、桜の花出版、二〇一〇
「復員・引揚げの研究」田中宏巳著、新人物往来社、2010年6月発行、¥1,600+税
著者は1943年、長野県松本市生まれ。早稲田大学第一文学部卒(史学科)。防衛大学校教授を勤めた。