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「中国ガン」林建良著、並木書房、2012年12月発行、¥1,575(税込み)
著者は1958年、台湾台中市生まれの医師。1987年に来日、東京大学医学部博士課程終了(医学博士)。台湾独立建国聯盟などで活動。
「中国ガン」とは変わった書名であるが、生物学の視点で見れば、共産中国は地球人類にとってガンのようなものだという意味である。「譲り合いの精神」などカケラもなく、「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」という性格で際限なく自己拡大を図ろうとするのは、ガンと中国とに共通しているという。「法」は権力者により「搾取の道具」として使われ、公権力と企業経営者が結託して金銭的利益のみを追求して環境を破壊し続け、組織的かつ国家的犯罪が蔓延して、富者が貧者から財産を掠奪して貧富の差を拡大し続けている。高官たちだけでなく、機会さえあれば多くの国民は中国を捨てて外国へ移住したがっている。これは、韓国・朝鮮同様、中国人には近代国家を統治していく能力が無いことを証明している。すでに移民、留学、投資、密入国など、さまざまな方法を使って中国のガン細胞は世界中に散らばり、移転先の国々でさまざまな問題を起こしている。これは単に共産党一党独裁により生み出された傾向というより、シナ三千年の性癖であるから、世界は一刻も早く対策を講じるしかないと著者はいう。
その対策としては、外科手術のようなガン細胞を殲滅する方法が取れない以上、病気のガンに対する免疫療法のような、ガン細胞を無力化する方法しかないというのが著者の見解である。現に免疫療法のNKリンパ球のような存在が中国内外に存在していると著者は分析している。すなわち、①法輪功(組織の形はないが、すでにさまざまなメディアを運営している)、②天安門事件の関係者と被害者(「天安門の母」運動などがある)、③地下教会(政府が宗教を弾圧しているから、地下教会の信徒が増加している)、④反抗するエリート層(官僚や知識人の中にも異議分子が存在している)、⑤海外の民主運動家(中国共産党に迫害されて亡命生活をしている民主運動家)、⑥香港(中国の真実の情報に触れられる香港人の対中国嫌悪感)、⑦ウイグル、モンゴル、チベットなどの圧迫されている民族(民族絶滅の危機にある三民族の抵抗運動)である。
著者の中国ガン無力化の戦略は、こうしたNKリンパ球のような存在を世界、特に日本が台湾と共同して支援して、中国を解体、または分割に向わせるのが最も効果があるというものである。そのための処方箋として著者は、次の五つを提唱している。
① 中国に「民主化」を求める
② 中国に「言論の自由」を求める
③ 中国に「環境問題の解決」を求める
④ 日本が「中国人権法」を制定する
⑤ 日本が「日本版台湾関係法」を制定する
多くの配慮をしても人間の善意が通じない中国に対して、日本は国益や人類益を考えてもっと毅然とした政策を実施することを著者は主張している。
「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」加瀬英明、ヘンリー・S・ストークス共著、祥伝社新書、2012年8月発行、¥819(税込み)
共著者の一人、加瀬英明は「史実を世界に発信する会」代表。ヘンリー・S・ストークスは1938年英国生まれのジャーナリスト、ニューヨーク・タイムズ東京支局長などを歴任。
本書は2011年12月8日に対米開戦70周年を記念して「史実を世界に発信する会」が憲政記念館大ホールで開催したシンポジゥムで発表された講演内容を敷衍したもので、加瀬英明による第一部とヘンリー・S・ストークスによる第二部から構成されている。第一部のテーマは「アメリカのルーズベルト大統領がアメリカ国民を欺いて日本との戦争へ向わせた」ことであり、第二部のそれは「ペリー提督と黒船の時代にまで遡って日米関係を検証する」ことである。
第一部で著者は、アメリカのルーズベルト政権(その中枢部にはソ連共産党のスパイや共産主義者が数多くいた)がヨーロッパの戦争に参戦するため日本を追い詰め、日本に最初の攻撃をさせるよう巧妙に対日戦争を引き起こした事実を、大東亜戦争の始まる前から彼らが着々と計画し、実行に移していった内容を詳細に追いながら証明している。「日本は日米交渉に当って、アメリカも日本と同じように誠がある国だと思って、相手の真意を疑うことなく、独り芝居を演じた。今日でも、「日中友好」が成り立つと信じて、中国と良好な関係を結べると信じている、お人好しな人々がいる。陸海軍の多くの軍人がドイツの勝利を信じて、ドイツに国家の未来を託した。今日の日本は、日米安保体制のもとで、国の独立をすべてアメリカに預けて、防衛努力を怠っているが、外国に国家の運命を委ねるのは、危険である。アメリカはアジアについて、無知だった。日本は誤解されていた。私たちは日本をめぐる正しい情報を、外国人が理解できる形で、海外に発信しなければならない」(第3章)。「(大東亜戦争当時)アメリカは民主主義国では、断じてなかった。国内で同じアメリカ人である黒人を法的に差別して、辱めていた。日本が先の大戦中にアジアの諸民族を解放したために、その高波がアフリカ大陸をも洗って、アフリカ諸民族もつぎつぎと独立していった。そのために、アメリカは国内で不当な黒人差別を続けることが、できなくなった。黒人が野球のメジャーリーグで、プレイできるようになったのは、戦後になってからのことである。・・・(公民権運動が広がるまでは)白人と黒人が性交渉を持つことや、結婚することが犯罪とされていた。・・・日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、幕末から夢見てきた人種平等の理想の世界を、招き寄せたのだった」(第4章)。今日、黒人の一人がアメリカ合衆国大統領として君臨していられるのは、日本が大東亜戦争でアジア各国をヨーロッパ宗主国の植民地から解放した結果である。
生真面目な日本人が「誠」があると信じて真面目に交渉を続けたアメリカ合衆国という国は、ヨーロッパのあぶれ者連中がアメリカ先住民を欺いては虐殺を繰り返した上にアフリカから拉致してきた黒人奴隷を酷使して出来上がった文化程度の低いならず者による国家で、お互いを傷つけあってきた長い歴史で鍛え上げられた利己主義者の集まりであったことに日本人はあまりにも無頓着であった。しかも当時の大統領が“狂人”で、政府は共産主義者に牛耳られていた。類似のことはシナや西欧諸国にも当てはまり、そうした各国の国民性は現在も続いていることに日本人はもっと留意して自国の強化を図り、より強力な防衛力や防衛体制を整備するべきである。他人任せの平和はいつまでもは続かない。
第二部では、アメリカの黒船によって平和で繁栄していた江戸の町は短期間のうちに一変するほどの変化を遂げていったが、その結果として日本は近代化・工業化に成功し、自ら望んだわけでもない大東亜戦争を戦わざるを得なくなったが、日本の大きな犠牲の上に人種平等の世界が地球上に実現した歴史を実証的に解説している。「ペリーは、日本が立ちあがることになった発端を、つくったのだ。・・・アジア・アフリカに、数多くの独立国が生まれた。・・・日本は二十世紀の人種平等の神話をつくることによって、日本太古の国造りの神話を、二十世紀になって再現してみせた。新しい世界を生むことになった神話を、人類のためにつくりだした。日本こそ、人類の希望だった」(第2章)。
では、そのペリーの黒船とはいったい何だったのか?「一言でいうと、あの徒党はアメリカ海軍の制服に身を包んでいたものの、海賊集団だった。・・・木造船だったこの船が、日本人から「黒船」と呼ばれたのは、船体が黒かったからだ。船体が腐らないように、タールが塗られていた。・・・(ペリーは)新鋭砲を誇示して、強引かつ違法に(江戸湾に)居座った。ペリーは、当時の世界最大の都市で、建物がすべて木製だった江戸に、未曾有の驚異を与えた。一発の炸裂弾が命中すれば、江戸は大火に見舞われて、壊滅する」(第1章)。ペリーの任務は、傲慢な清教徒(アメリカ)によるアジア侵略・交易目的、日本の石炭の獲得、アメリカの基地の確保などであったろうと著者は言う。「アジアは植民地支配の新たな獲物として、燃えあがっていた。西洋人にとってアジアには、中国にも、インドにも、インドネシアにも、国境線がまったく存在しなかった。原住民は、人として扱われなかった。ヨーロッパ各国にとって、早い者勝ちの状況だった。ルールは弱肉強食だった。良心の呵責はなかった。白人優位の世界観が確立していたから、アジア・アフリカを侵略するのは、白人の特権だと信じられた。そのような獲物の世界に、いまだ姿を見せていなかつたのが、日本だった。日本は誇り高い、棘がある地だと見られていた。・・・ペリーは即刻行動しなければ、アジアは他の白人国家によって、すべて植民地とされてしまうと、焦った」(第1章)。「(日本の江戸時代は)庶民の文化によって栄えていた。・・・士農工商の区別はあったが、きわめて平等な社会だった。・・安全で、平和な社会があった。・・・この日本人の平等の精神が、第一次世界大戦後に行われたパリ講和会議において・・人種平等の原則を盛り込む提案を行った」(第2章)。フィリッピン大学歴史学部の教授は、「(大東亜戦争中の)東アジアに対する日本の軍事進出は、いろいろの意味で、アジアに開放をもたらす力を、存分なまでふるった」とその著書で述べている。「日本はそれまでの白人支配者とちがって、アジア諸国民に民族自決の精神を涵養した。・・・日本はアジアの国造りに取り組み、日本軍は現地の青年たちに軍事訓練を施した。・・・日本は第二次大戦で、アジアの国々を侵略したとされている。しかし、どうして侵略をする国が、侵略をされた国の青年に軍事訓練を施し、精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国にわたって作り、近代組織の経営方法を教えるということがあろうか?この事実はとりもなおさず、侵略したのが日本ではなかったことを、証明している。日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが、正しい認識であると思える」、「日本は「自存」のために、大東亜戦争を戦ったのであって、アジアの解放のために戦ったのではなかった。しかし、いったん戦端が開かれると、アジア人のためのアジアを創造する強い情熱に駆られたことも、事実である。これこそ、日本人による大きな国際貢献だった」、「日本は満身創痍となって降伏したが、有色人種の解放という奇蹟を行った」、「ペリーは「パンドラの箱」を、開けたのだった」(第2章)。
ご存知のように、「バンドラの箱」にはあらゆる災厄が詰っていたが、最後に「希望」が入っていたという。大航海時代以降、武力と奸智にものを言わせて有色人種国家群を侵略し、暴虐の限りを尽くしていた傲慢な白人国家群にとって、日本はまさに“災厄”をもたらしたのだが、人類全体にとっては日本は奇蹟のような希望の星となった。そのことを日本人はもっと誇りにして良いのではないか。
第二部の英文は日本文とともに「掲載文献」に掲載されている。
「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」半藤一利著、文藝春秋、2012年10月発行、¥780+税
著者は1930年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。取締役などを経て作家。
本書は、太平洋戦争(大東亜戦争)における日本軍の失敗から学ぶ教訓を基に、リーダーの条件と日本のリーダーの欠陥とを考察した書である。
著者が本書でリーダーの条件として列挙しているのは以下のものである(文中の表現は少し異なる)。
一、 リーダーの最大の役目は決断すること
しっかりと情報を取り入れて自分でよく考えて判断し、決断を人に任せてはならない。
二、リーダーは部下や関係者に明確な目標を示せ
目標を明確に示さない限り、部下や関係者に一丸となって大きな力を発揮させることはできない。
三、リーダーは自分が中心となり、先頭に立って戦え(焦点に位置せよ)
密教には「九字」と言われる魔除けの作法(呪文)がある。九字とは、「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行」(シナの古典、抱朴子)の九文字のことで、それぞれに秘印が存在するのであるが、意味するところは「戦(兵)に臨んで戦うには、すべての陣列の前を行く」という意味です。神仏ですら必要な場合は先頭に立って戦うということです。ましてや、他人を率いて行こうという人間のリーダーにとっては当然の心掛けではないでしょうか。しかし実際には、大東亜戦争のとき、多くの部下を特攻攻撃に送り出した後、逃げ帰ってきたリーダーがいた。もともと、こういう人をリーダーにしてはいけない。
四、リーダーは情報を確実に把握せよ
言うまでも無く、都合の悪い情報を排除したり、見落としてはならない。出所不明の情報には特に注意が必要である。
五、リーダーは過去の経験や理論に囚われずに変化に対応せよ
時の流れにおいて、まったく同じ事というのは二度と起こらない。過去の経験や理論は参考にはなっても、時代の変化や新しい事態に対応していくには常に新しい発想が必要です。
六、リーダーは部下に最大限の任務を遂行させよ
部下に任務の方向性と目的を明確に示し、理解させ、納得させた上で任務を遂行させよ。
「日露戦争という日本近代史に燦然と輝く栄光を背負って・・・参謀まかせの「太っ腹リーダー像」が生み出された。・・・結果として・・「上が下に依存する」という悪い習慣が通例となる。・・・これでは本当の意思決定者、ないしは決裁者がさっぱりわからなくなる。当然のことのように、机の上だけの秀才参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場をまかりとおり、兵隊さんたちがいかに奮闘努力、獅子奮迅して戦っても、すべては空しくなるばかりなのです」(第五章)。その結果、「決断できない、現場を知らない、責任をとらない」(帯表示)リーダー(指導者)が蔓延し、その傾向は現在にまで至っているというのが著者の分析である。別の表現をすれば、統治システムにおいて指揮命令系統を明確にし、組織内の地位と権限と責任とを明確に一致させ、組織内の人事制度を目的遂行型にして、組織運営を合理的・合目的的にすれば、本来の意味でのリーダーが登用されやすくなるということではないか。
内容はとても面白いが、読み進むうちに暗澹たる気持ちに襲われる書である。限られた範囲では優れたリーダーもいたが、全体としては日本はリーダー不在で大東亜戦争を戦ってしまった。統治システムも含めて、日本が本来の意味でのリーダーを持つのが困難なのは、日本民族自身の性癖にあるように思えてくる。アメリカや中国のような好戦的・侵略的な異民族とは異なり、諸外国(異民族)と隔絶された平和な江戸時代250年を経て、日本民族本来の平和な時代向きの民族性が真のリーダーを持つことを困難にしているように思える。言い換えれば、日本は現場の力によって動いている国であり、危機に直面さえしなければ、ある意味、最も効率的で柔軟な国であるとも言えよう。それは現在の占領憲法を「平和憲法」と強弁する論理にも現れている。もし憲法第九条があらゆる戦争を放棄している(実際はそうではない)のならば、現憲法は「平和憲法」などではなく、近隣諸国に対する「侵略戦争誘発憲法」と呼ぶべきものです。本来の平和憲法ならば、国防のための十分な軍備を備え、国家と自国民保護のためなら戦争も辞さず、近隣諸国に日本侵略の意図を微塵も抱かせないような憲法であるべきでしょう。日本人は一日も速く、あいまいな表現を持つ現憲法第九条を廃棄すべきです。国防条項(第九条)は単に、「日本国は国家防衛のための国防軍を保持する」だけで良いのではないか。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」などというのは言わずもがなで、どうしても憲法に残したいのであれば、憲法前文に入れるべきです。国際政府の存在しない世界は平和な”徳川時代”ではなく、“力の強い者が勝つ”戦国時代なのです。弱者を守る真の意味での国際法など存在しないことは、大東亜戦争の敗戦で良く分かったはずだ。諸外国は平和勢力だなどという認識は、人間の本性と歴史に無知な愚者の認識です。基本的に、自国の平和は自国を強くすることによって自国で守るしかないのです。
「日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘」黄文雄著、徳間書店、2012年11月発行、¥667+税
著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。
本書は、著者がすでにさまざまな著書で述べている日本の近現代史(明治維新から日韓併合、満州国建国、台湾領有、大東亜戦争まで)の史実をまとめたものである。近年の中国、韓国による反日歴史史観、というよりも、史実を無視したゆすりたかりの「中華史観」と同調して日本を貶め、弱体化させようとしている日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、文化人などの欺瞞を排して、日本人に史実を理解し、自国に対する誇りを持ってもらうことを目的として書かれたものである。彼らは「息を吐くように嘘をつく」(朝鮮日報、2010年2月2日)。そのことを弁えた上でうまく利用できないのであれば、かって福沢諭吉が喝破したように、日本は中国・韓国という「アジアの悪友どもとは絶交すべき」である。「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである」(「ブッダのことば」中村元訳、岩波書店)。
目次を紹介しておくと、
序 章 日本人を貶める「反日」歴史認識の嘘
第一章 世界を変えた日本の近現代史
第二章 朝鮮半島を救った日韓合邦
第三章 「王道楽土」を実現した満州国の真実
第四章 日中戦争の真の被害者は日本だった
第五章 台湾に根付いた日本精神
第六章 大東亜戦争が果たした歴史貢献
終 章 歴史捏造への逆襲
「歴史を政治の道具ではなく、良心と良識を持つ者がグローバルな歴史の流れから見たならば、日本が近代世界に果たした歴史貢献はいくら評価してもしすぎることはないほど明々白々である。中韓は、今までの歴史捏造と歪曲を反省する必要があり、逆に日本に謝罪し、感謝しなければならい。・・・日本は開国維新以来、万国対峙の局面、アジアの植民地化の情勢のなかで、ただ一人自存自衛のため、あるいは東アジア防衛のため、孤軍奮闘を繰り返し、超大国が仕掛ける戦争を戦い続けてきたのだ。それを「悪」と見なす東京裁判史観こそ、アジア侵略を行った欧米列強の史観であり、いわば侵略者の侵略正当化史観である。あるいは同じアジアの国家でありながら、アジア解放など一切念頭にも置かず、つねに東アジアの騒乱の元凶であり続け、挙句の果てには欧米侵略者に荷担した中国の歴史観でもある。・・・戦争責任を追及するなら、このようなアジアの(註:というよりは人類の)敵だった国々に対して行うべきなのだ。」(終章)
「日本が悪かったことといえば、こうした国々に敗れ去ったことくらいだ」(同)―これが著者の結論である。
「中国人が死んでも認めない 捏造だらけの中国史」黄文雄著、産経新聞出版、2012年9月発行、¥1,365(税込み)
中華文明の歴史が嘘をつくり、その嘘がまた歴史をつくる無限のループこそが、中国の主張する「中国史の正体」なのである。だから、一つ嘘を認めれば、歴史を誇る「中国」は足下から崩れることになる。中国の歴史とは巨大な嘘なのである。だからこそ、中国人は死んでも真実の歴史を認めない。
著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。
「中国共産党 野望と謀略の90年」雑誌「正論」別冊15、産経新聞社、2011年6月発行、¥1,000(税込み)
国際共産主義組織(コミンテルン)と中国共産党の歴史・陰謀などに関する特集号。戦後70年近くになる現在、共産主義独裁国家として生き残っている唯一の大国である中国(共産党政府)の実態と恐怖や共産主義の戦争責任を特集している。共産主義の最大の恐怖は人間の自由の抑圧にあり、自己の側にのみ正義があるとして他者の生存権を認めないその独善性にある。共産主義が20世紀以降、人類にどれほどの惨禍をもたらしたか、「共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>」(恵雅堂出版、クルトワ・ヴェルト著、外川継男訳、2001年11月発行)や
「共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<コミンテルン・アジア篇>」(恵雅堂出版、クルトワ・ステファヌ他著、高橋武智訳、2006年7月発行)
などを読めば明らかで、身の毛もよだつ思いがするのは何も虐殺の文化を持たない日本人だけに限るまい。「戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者2500万人に対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国で6500万人、ベトナム100万人、北朝鮮200万人、カンボジア200万人、全世界では合わせて1億人を数える(前掲書のAmazonの内容紹介より)」という。
本書の中の小堀桂一郎東京大学名誉教授の論文、「共産主義の戦争挑発を隠蔽した東京裁判」は、1951年5月3日の米国上院軍事外交合同委員会の公聴会に於けるマッカーサー証言「太平洋に於いて米国が過去百年間に犯した最大の政治的錯誤は、共産主義者が支那で強大な力に成長するのを許してしまったことだ、といふのが私個人の見解である」を紹介しており、藤岡信勝拓殖大学客員教授の「日中戦争を始めたのは中国共産党とスターリンだ」と江崎道朗日本会議専任研究員の「アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア赤化戦略」(英訳は「掲載文献」参照)とは、共産主義者が中国やアメリカのルーズヴェルト政権中枢部へ深く浸透して起こしたのが日支事変から日米戦争に至る日本つぶしであったことを実証的に追求している。当時のルーズヴェルト政権内への共産主義者の浸透については、“「ヴェノナ」PHP研究所、J.E.ヘインズ&H.クレア著、中西輝政監訳、2010年2月発行、¥3,200(税別)”に詳しい。
他の論文には当時の日本の上層部への共産主義の浸透も論述されており、まさに20世紀は共産主義の幻想と害毒が世界を覆った時代であったとも言える。そして現在もなお、アジアを中心として共産主義の残存勢力との戦いは続いていると言ってよい。特に中国では中華思想と共産主義とが合体していて周辺民族への侵略・虐殺・抑圧には凄まじいものがあり、その記録は以下の著書などに詳しいが、普通の日本人の感覚からすれば中国人(漢民族)というのは血の通った人間ではないのではないかと思わせるものがある。日本軍による「南京大虐殺」を捏造することなど何でもないことなのであろうが、自身が行った悪事を他に転嫁することは、行った悪事以上に罪深いことである。現在の中華人民共和国という“国”は、中国共産党という匪賊集団がシナ本土、満洲、内モンゴル、ウイグル、チベットを武力で占拠して“国家”を詐称している私的集団(地域)である。その証拠に、中国共産党という私的集団を守る暴力装置である人民解放軍を有してはいても、中華人民共和国という“国”の軍隊は存在しない。日本はこういう無法者の“国”とは緊密な関係を保つべきではない。
・「中国の狙いは民族絶滅―チベット・ウイグル・モンゴル・台湾、自由への戦い」林建良、テンジン、ダシドノロブ、イリハム・マハムティ共著、宝島社新書、2009年3月発行、¥1,575(税込み)
・「中国はいかにチベットを侵略したか」マイケル・ダナム著、山際素男訳、講談社インターナショナル、2006年2月発行、¥1,890(税込み)
・「殺劫(シャ・チェ)チベットの文化大革命」ツェリン・オーセル、ツェリン・ドルジェ、藤野彰、劉燕子共著、集広舎、2009年10月発行、¥4,830(税込み)
・「墓標なき草原-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」(上)(下)(続)、楊海英著、岩波書店、各2009年12月、2011年8月発行、¥3,150、¥3,360(税込み)
・「7.5ウイグル虐殺の真実―ウルムチで起こったことは、日本でも起きる」イリハム・マハムティ著、宝島社新書、2010年1月発行、¥680(税込み)
「悪韓論」室谷克実著、新潮社、2013年4月、各¥720(+税)
著者は1949年、東京都生まれの評論家。慶応義塾大学卒業後、時事通信社のソウル特派員を経験。2010年に出版した著書に、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮社)がある。
世に「嫌韓論」なるものがある。「韓国が嫌い」という意味です。国家も国民も平気でウソをつく韓国は、筆者も嫌いです。中国も似たようなものです。もちろん、どこの国にも善人もいれば悪人もいるし、誠実な人もいれば詐欺師や強盗もいます。ただ、総体としての民族の性格というものは、個人の性格同様、簡単に変わるものではありません。そういう意味で、日本が“誠”の国であり“真”の国であるとするならば、相対的に韓国や中国は“詐”の国であり、“偽”の国だと言えるでしょう。本書も、その「嫌韓論」の類かと思いきや、そうではなく「悪韓論」なのです。それも韓国人自身の資料(国家の公式統計や「権威ある」マスコミ報道)を主な典拠とした分析に基づくものです。著者は、(好悪の感情ではなく)クールに韓国は「悪」だと、韓国人自身の資料をもとに断じているのです。
朝鮮半島で創作された数少ない四字熟語の一つに、<外華内貧>という言葉があるそうです。「中身はボロでも、とりあえず外観を飾り立てたい」というほどの意味です。「ボロは着てても心は錦」の日本人とは真逆です。著者は、この言葉が最も韓国人(朝鮮人)と韓国の性格を表しているという。「外観を飾り立てる」ためには彼らは何でもする。ウソをつくなど朝飯前で、裁判所で宣誓した後でも「息を吐くようにウソをつく」。海外で悪事を働いて捕まると、自分は日本人だと詐称するほど悪質なのだという。近年の韓国ではキリスト教徒の割合が人口の約30%を占め、最大の宗教勢力だという(2005年、統計庁発表)が、しょせん多くは本物のキリスト教徒ではないのであろう。その証拠に、旧約聖書はモーセの十戒でウソを固く戒めているではないか。
朝鮮半島の歴史の中で、日本が統治していた36年間(1910~1945年)だけが、まともな法治国家として飛躍的な発展ができた安定した時代であったといえる。その間に人口はほぼ2倍になり、耕作地は80%近くも増加し、近代的教育制度や鉄道などの社会インフラが整備され、経済規模は6倍近くに増加した。世界の辺境の、未開地域であった朝鮮近代化のために(朝鮮の)予算の三分の二近くを日本政府が負担し、大規模な日本の民間資本が投下されたからである。帝政ロシアの南下侵略政策に対抗するため、当時の日本としては国防上止むを得ない選択であったと思うが、戦後の韓国はそうした歴史的事実を直視せず、オトギ話のような捏造された歴史教育を続けてきている。しかも、あろうことか、その捏造した“歴史”をアジアの歴史に疎い世界中に触れ回っている。日本による韓国併合以前の自分たちの歴史があまりに悲惨なため直視しえず、自分たち自身に捏造した“歴史”を信じ込ませようと躍起になっているように筆者には見える。筆者も日本側の戦後のウソの歴史教育で育った世代だが、一方では当時、朝鮮で教職にあった方の同窓会が日本国内で開かれるたびに、多くの朝鮮人の教え子が師を慕って来日して参加しているという記事をたびたび新聞で目にしたことがある。日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたという教科書の記述はほんとうに事実であったのかと疑った記憶が、今でも鮮明に残っている。
自意識過剰で依存症の韓国・朝鮮は、何かといえば日本が、日本がと言うが、彼らが言うほど現代の日本人の多くは韓国・朝鮮に関心を持ってはいない。ただ、ここ百年ほどで激変した国際情勢の下で、韓国・朝鮮は先祖返りをして元の”李氏朝鮮”に戻ってしまった。民族の性格というものは、中々変わらないものである。隣国である日本人は、自国防衛のためにも韓国・朝鮮(や中国)を正確に理解しておく必要がある。そのためには、本書は一読の価値があると筆者は考える。
「総力特集、韓流はウソだらけ」(正、続)雑誌「歴史通」、ワック出版、2011年11月号、2012年1月号、各¥860(税込み)
雑誌「歴史通」の韓国特集号。韓流ドラマのウソ、ドラマ並みの韓国の歴史の創作(捏造)や大東亜戦争に関わる歴史のウソを明らかにしている。
2011年11月号の冒頭4ページから19ページに掲載されている往時の朝鮮の写真を見れば一目瞭然。もし当時の朝鮮が日本と合邦国家を作らずロシアに支配されていたら、あるいはいまだにソウルの街並みは当時とさほど変わらなかったのではないかと考えてしまう。
日本は南下政策を取るロシアからの自国防衛のため当時の朝鮮との合邦(併合)を選択せざるを得なかったのだが、いわば破産状態にあり経営能力も無い企業を傘下に治め、多額の資金を投入して立派な企業に育てたのは良いが、結局は資金の持ち出しで元も取れず、さらには戦後、歴史的事実を無視したさまざまな言いがかりを日本に押し付けてくる。韓国とは一体、まともな国家だと言えるのか。また、それに応じる日本の政治家ははたして日本人なのか、筆者は大きな疑問を持たざるを得ない。
ニコニコ動画やYouTubeには、「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」や「米軍による韓国兵の取扱マニュアル」など、韓国・朝鮮人の民族性(性癖)を示す資料が掲載されており、戦後の日本の指導層だけが韓国・朝鮮人を正確に理解していなかったのではないかと思われる。
「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」には、以下のように記述されているという。
一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。
一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。
一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。
一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。
一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。
https://www.youtube.com/watch?v=SfEoJ_U_y9s
近代韓国の先駆者、李光洙は、シナの属国となった新羅と李朝の二度の朝鮮統一により、韓民族の民族性が歪められたとして以下の点を指摘しているという(「韓国 堕落の2000年史」、崔基鎬著、祥伝社)。
一、 虚言と偽ヘン行為がはびこることによって、相互間の信頼心が失われた。このために詐欺的な態度がひろまるようになった(註:ヘンは馬ヘンに扁)。
二、空理空論を弄び、美辞麗句を連ねる。頂上の権力者は生殺与奪の権をはじめ、不可能なことがないほど、思うままに権力を振るい、一切の責任を負わない。
三、表裏不同だ。人の面前では諂い、背後では悪様にいう。恥をまったく知らない。
四、卑屈、物事に怖じけ恐れる。他人の思惑ばかりを気にして、決断する能力が低い。
五、反社会的利己心によってのみ動かされ、公益には無関心だが、自己、家族、党派について極端な利己主義を発揮する。
2012年1月号で宮脇淳子氏は、評論家の藤井厳喜氏から聞いた話として、アメリカの学者による日中韓の歴史教科書研究の結論を紹介している。“日本では歴史は「ヒストリー」、シナでは「(政治的)プロパガンダ」、韓国では「ファンタジー」である”と。
「韓国併合100年目の真実 韓国は日本がつくった!」雑誌「歴史通」、ワック出版、2010年7月号、¥860(税込み)
韓国併合に関する雑誌「歴史通」の特集号。
黄文雄氏は「韓国は日本がつくった!」の中で、日清戦争の結果、朝鮮はシナの「千年属国」から解放された(それまでは韓国という独立国があったわけではない)が、「国家倒産の危機に瀕していた」。その大韓帝国を救い、朝鮮の近代化を行った日本の「七恩」について詳しく解説している。事実に基づき、“日本人は韓国人に対して悪いことなどしていない。「いいこともした」ではなくて、「いいことばかりをした」と考えるべき“だと述べている。戦後の日本の対韓国・朝鮮に対する対応をみていると、日本人のお人好しさ加減が浮き彫りにされてくる。日本には今なお、日本は戦前、韓国・朝鮮を過酷な植民地支配して搾取し、多大の迷惑をかけたなどと、事実も知らずに正義漢ぶった発言をする無知で無恥な識者や政治家、文化人などがいるが、正式の国際条約を締結して併合した韓国が併合後わずか十年も経たないうちに水田面積が1.8倍になり、併合後三十年余りで人口が約2倍、併合時には実学を無視した寺子屋(書堂)(生徒数14万人)しかなかった教育制度は昭和19年には5千校以上の近代的な国民学校を創り出し(生徒数約240万人)、世界が不況に苦しんでいる時期であった併合期間の多年にわたってGDP成長率が年平均4%以上、併合前の多額の援助を含め併合期間中の国家予算(歳入)のほぼ三分の二が日本政府の負担であった(「歴史再検証 日韓併合」崔基鎬、祥伝社)。これでどうして日本が韓国を”搾取“したことになるのか、そういう発言をする方にはぜひ教わりたいものである。搾取されたのはむしろ日本の納税者の方である。この百年余り、韓国(朝鮮)は性質の悪い扶養家族のようなもので、日本の政治家や政府は、戦後の韓国・朝鮮は日本にとっての敵国だと考えてより真剣に対応するべきである。
黄氏はその著書「台湾、朝鮮、満州 日本の植民地の真実」(扶桑社)の中(第1章)で、日韓合邦によって解消した李氏朝鮮社会の異常性・後進性について以下の点を列挙している。
・奴隷制度(公私奴婢の階級制度、身分制度)
・「号牌法」(十六歳以上の男子に身分証携帯を義務付ける法律)
・移住禁止令
・女子再婚禁止令
・五家作統法(五戸が相互監視を行うとする法律)
・連座法(一族やその関係者をすべて誅殺する法律)
・全家徒辺法(一族の流刑を定めた法律)
・圧膝法(罪人などに対する非人道的な脚関節攻め)
・周牢(刑罰としての骨の脱臼、屈折、圧断)
・乱杖(刑罰としての鞭打ち)
・両班専横による虚学中心主義と実学蔑視(技術者蔑視)
・支配層(宮中、朝廷)における朋党による内紛の繰り返し
・前王朝時の文化の徹底的な破壊(日本との合邦時にかなり復興された)
・財政制度の紊乱と李朝末期の国家破産状態
現代の韓国・朝鮮人の主張は、この時代に戻りたいと言っているように筆者の目には映る。現に、朝鮮戦争を起こし、日本との合邦国家時代に築き上げた多くの資産を破壊して朝鮮半島を元のゴミ屋敷にした北朝鮮は、相当な面でこの時代に戻っている。
YouTubeなどには19世紀から日韓合邦後の朝鮮を記録した写真がいくつか掲載されているが、これらを見れば一目瞭然である。
https://www.youtube.com/watch?v=wq3PpeMbfrY&feature=related
https://www.youtube.com/watch?v=NorHJJ78QMY&feature=related
https://www.youtube.com/watch?v=4vqA254fDag&feature=fvwrel
https://www.dailymotion.com/video/xs722o_%E5%B4%94%E5%9F%BA%E9%8E%AC-%E3%83%81%E3%82%A7-%E3%82%AD%E3%83%9B-%E6%95%99%E6%8E%88%E3%81%AE%E5%8F%AB%E3%81%B3-%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E3%81%A7%E6%90%BE%E5%8F%96%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A0_people
https://www.youtube.com/watch?v=AZVvrvamb_I
https://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=3744
(註 すべてリンク切れ)
現代の韓国・朝鮮人の大半はハングル文字しか読めないため、李氏朝鮮社会についても日本との合邦時代についても当時の文献が読めず、戦後の支配層が垂れ流すウソ・捏造の「歴史」を自国のほんとうの歴史と考えている節がある。漢字排斥政策により世界から、真実の世界から孤立させられているわけで、現代の韓国・朝鮮は米ソなどの戦勝国が作り出した一種の反日カルト集団といってよい。
若狭和朋氏は、「安重根は「犯人」ではない」の中で、さまざまな資料から伊藤博文暗殺の犯人とされている安重根は真犯人ではないと述べている。ただ、テロリストであることは事実である。
「山本五十六は名将だったか」(茂木弘道と日下公人の対談)では、本来の戦略とは異なる戦い方をして「大東亜戦争」を「太平洋戦争」にしてしまい、国を滅ぼした、山本五十六を始めとする海軍の責任を、茂木弘道氏が詳しく解説している。日本が勝てなかった根底に、日本人の性向と当時の日本の統治システムの欠陥があったことがよく分かる。類似の欠陥は現在の日本にも存在しており、それは一言で言えば、統治システムを含めて危機対応能力に欠けるということである。
「日本帝国の申し子」カーター・J・エッカート著、小谷まさ代訳、草思社、2004年1月発行、¥2,400(+税)
著者はハーバード大学教授、朝鮮史家。訳者は富山県生まれの翻訳家(富山大学文理学部卒業)。
本書は、朝鮮における資本主義の誕生と発展の歴史が日韓併合時にあることを、一つ一つの事実を積み上げていくことで検証したものです。韓国・朝鮮の“歴史家”のように感情論や希望的観測に支配されず、また、知識不足に基づいて書かれた多くの欧米の歴史家の著作物とも異なる。一読に値する書物です。
ただし、分析の本筋とは異なるが、“植民地”朝鮮や、満州国建国、日中戦争、戦時における皇民化運動(内鮮一体化政策)などに対する記述(著者の解釈)にはステレオタイプの記述が散見され、これだけの朝鮮史学者ですら、欧米人の限界が感じられます。そうした解釈を公平に行うためには、広範なアジアの歴史に対する深い理解、一九世紀以来の国際情勢、同時代の米国内や欧米のアジア植民地での状況、日中戦争や太平洋戦争を画策して仕掛けてきたソ連やアメリカの責任など、より広い世界的な視野からの比較検討がなされない限り、軽々に判断するべきではない。朝鮮における資本主義の誕生と発展の歴史が日韓併合時にあることを緻密に検証するために、著者の視野は無意識のうちに現代の視点(本書の原書は1991年出版)から当時の朝鮮の状況を見ることに限定されている。そのような限局された視点でより大きな問題に解釈を下すことは、歴史家としては不遜な態度だと言われても仕方がない。