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「昭和の大戦と東京裁判の時代」若狭和朋著、ワック、2013年2月発行、¥1,400(+税)
著者は1942年、福岡市生まれの歴史家。九州大学法学部卒業。通産省入省後、身内の不幸に遭い、禅宗の修行僧となる。その後、公立高校の教師を勤め、定年を迎えている。本書は、2007年と2009年に出版された著書の改訂・新版です。
本書の内容は、「東京裁判」とその現代までの影響を中心に書かれたもので、まだあまり日本人に広くは知られていない内容が含まれており、一読の価値があります。以下、それらのいくつかを紹介しておきます。
①東京裁判の判決の後、弁護団がアメリカ連邦最高裁判所へ再審請求を申し立てたとき、再審却下理由としてW.O.ダグラス裁判官が言った言葉。「東京裁判は政治的復讐的軍事行為と言うべきであり、そもそもが司法的な裁判ではないのだから司法的な再審請求は成立しない」(pp.127)。つまり、アメリカ自身が東京裁判は裁判ではなく、リンチ(あるいは戦闘行為)だと言っているのです。昭和27年4月28日の講和条約発効までは、国際法的には戦争状態が継続していたということです。
②「東京裁判」で処刑された(戦死した)東條英機ら7名の遺骨(墓)。処刑された7名の遺骨は太平洋に遺棄されたと言われているが、実際は日本人関係者の献身的な努力で遺骨の一部が奪還されて日本国内の三箇所に分骨され、墓碑が建立されている。静岡県熱海市伊豆山の興亜観音の観音堂、愛知県幡豆郡幡豆町の三ヶ根山山頂(殉国七士墓)、および長野県某所(私有地内)である(pp.111~112)。
③東條英機の遺言。教誨師であった花山信勝がメモしたものの骨子は以下の通り(pp.114~115)。
・敗戦の国内的責任は満足して刑死に就くが、国際的責任は無罪を主張する。たまたま力の前に屈服したものである。
・東亜民族にも生存権はある。今回の戦争でその主張を達したものと思っている。
・米国に対し、赤化(共産化)せしめざることを頼む。今次大戦で米英側は大きな失敗を犯した。1)日本という赤化の防壁を破壊した、2)満州を赤化の根拠地にしてしまった、3)朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。
・日本軍人の一部の誤った行為は衷心謝罪する。しかし、無差別爆撃や原爆投下は米軍側も悔悟あるべきである。
・統帥権独立の思想は間違っていた。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。
註:昭和27年(1952年)に発効されたサンフランシスコ講和条約第11条に則り、全国で戦犯釈放運動が広まって当時の成人のほとんどといってもよいくらいの4000万人(当時の日本の人口は8454万人)もの署名が集り、昭和28年に戦犯の赦免に関する決議が国会で、社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく決議された。
そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放された。
このような赦免運動・決議の結果、すでに処刑されていた【戦犯】は「法務死」とされた。だからこそ戦犯とされていた人々も靖国神社に合祀されたのである。
●1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
●1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
●1953年(昭和28年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
●1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
④日本は大東亜戦争に至るまでの情報・外交戦で破れていた。開戦直前の1941年12月5日、『シカゴ・デイリー・トリビューン』紙が「ルーズベルトの戦争計画が発覚」と一面全紙を使って「ルーズベルトの戦争計画」を報じ、大統領を「ウォー・モンガー」(戦争屋)とののしって一大キャンペーンを張った。アメリカ世論の大多数が戦争反対であった当時、日本はアメリカ国民に直接、ハルノートを公開して訴えるべきであったが、日本の外務省は何もしなかった。石油が全面禁輸になった同年8月の時点でも何もしなかった(pp.133~135)。いわば外務省が日本を戦争に導き、海軍が敗戦を招いたというのが歴史の真実です。
⑤吉田茂の姑息な奸智。開戦の通告が遅れた当時者であるワシントン日本大使館員たちを処罰せず、外務省へ呼び戻して後に外務次官に登用した(pp.51)。
⑥日露戦争以前の満州の主権の大部分はロシアが清国から買収していた。日露戦争後、ロシアは満州から撤退し、暗黙のうちに日本の領土割譲・賠償金支払い要求に答えていたのだが、当時の日本はそれに気づかず、満州を清国へ返還した。当時の清国は露清密約を結んでいた(1896年)のにである(PP.97~98)。これが後の満州事変へとつながっていく要因となったのです。
⑦朝鮮を日本の保護領にすることを日本に要請したのは、ポーツマス講和会議の席でのアメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)であり、同年の第二次日英同盟締結時のイギリス全権であった(pp.28~29)。
⑧張作リン爆殺事件の犯人は関東軍ではないようだ。ソ連が犯人である資料がロシアから続出している。親日的であった張作リンを殺しても、日本には得られる利益がない。犯人とされている河本大作は昭和28年に中共の強制収用所で獄死しており、翌年「俺がやった」という「談話」が公表された(193~194)。
⑨大東亜戦争開戦時の日本の外務大臣、東郷茂徳の旧姓は「朴」である(pp.209)。
⑩小泉首相は、来日したブッシュ米国大統領からの連れ立つての靖国神社参拝の申し出を断っていた。2002年2月に来日したブッシュ大統領の申し出を外務省も官邸も首相自身も断り、明治神宮参拝にすり替えた。しかも小泉首相は車の中で待ち、大統領の単独参拝となった(pp.188)。日本国の首脳部は、アメリカが日本を戦争に引きずり込んだこと、国際法を無視した都市部への無差別爆撃や原爆の投下、多くの戦争犯罪人を仕立て上げてリンチのように虐殺したことなどを正式に日本国に謝罪しない限り、絶対にアメリカを許さないという意思表示だとでもいうのだろうか。それなら日本にもまだ救いがあるが、決してそうではあるまい。戦後の政府指導者は、自民党政権も含めてほとんどが赤(共産主義者)ではなくてもピンク(左翼勢力)だといって過言ではない。何と情けない指導者しか日本にはいないのかとつくづく思う。
著者には、日露戦争の時代を中心とした「日露戦争と世界史に登場した日本」、ワック、¥1,400+税 もある。
「世界がさばく東京裁判」終戦五十周年国民委員会編、佐藤和男監修、加瀬俊一序、ジュピター出版、1996年8月発行、¥1,600(税込み)
本書は終戦五十周年国民委員会(加瀬俊一会長)が東京裁判(極東国際軍事裁判)に対する世界の多くの識者による批判をまとめ、その違法性を広く啓蒙するためにまとめられたものである。終戦五十周年国民委員会の会長である加瀬俊一は日本国の初代国際連合大使であり、監修者の佐藤和男は同委員会の副会長であって、日本を代表する国際法学者(青山学院大学名誉教授、法学博士)である。
いわゆる東京裁判と海外における戦犯裁判なるものは、その内容をいくらか詳細に知る者にとっては、裁判の形を装った戦勝国(特に米英中ソの四カ国)による敗戦国の日本人に対するリンチに他ならないことは明らかであるが、本書では特に東京裁判について世界の多くの識者による批判を参照しながら、あらゆる角度から近代国際法に照らしての東京裁判批判を展開している。目次を示すと、以下のようになる。
[第1章]知られざるアメリカ人による<東京裁判>批判
――なぜ日本だけが戦争責任を追及されるのか
[第2章]戦犯裁判はいかに計画されたか
――国際法違反の占領政策
[第3章]追及されなかった「連合国の戦争責任」
――裁判の名に値しない不公正な法手続
[第4章]蹂躙された国際法
――国際法学者による「極東国際軍事裁判所条例」批判
[第5章]<東京裁判>は平和探求に寄与したか
――残された禍根と教訓
[第6章]戦後政治の原点としての<東京裁判>批判
――独立国家日本の「もう一つの戦後史」
[付録Ⅰ]誤訳としての「侵略」戦争
――アグレッションの訳語には「侵攻」が適当
[付録Ⅱ]日本は東京裁判史観により拘束されない
――サンフランシスコ平和条約十一条の正しい解釈
第二次世界大戦の戦勝国(連合国)、特にアメリカは、日本がポツダム宣言を受諾し、武装解除に応じて、条件付の降伏文書(ミズーリ号上での停戦協定)に署名すると、日本の戦争指導者を片っ端から恣意的に捕まえてきて銃殺したかったものと思われるが、さすがにヨーロッパ社会のはみ出し者がアメリカ大陸へ流れてきてアメリカ先住民(インディアン)を欺いては虐殺して生存領域を拡大していた時代とは異なり、近代国際法によって国土、領海、領空、国家が成立している二十世紀にそこまでの蛮行は憚られたため、国際法に立脚した裁判という形をとって、降伏文書にある日本の降伏条件などは無視して蛮行を実行したのが東京裁判であり、海外での戦犯裁判であった。これが十六世紀なら、日本でも敗戦国の指導層は戦勝国によって斬首、曝し首にされたのであるが、二十世紀においてそれと同等のことを戦勝国(特にアメリカ)が行ったということは、彼ら(米英中ソなど)の残虐性と悪質さ、および教養・文化度の低さを現して余りあるものである。しかもそれを実行するために、日本国と日本軍についてのさまざまな悪質なデマを世界中に流し、日本国内においては厳しい言論統制を布き、さも自分たちに正義があるかのように装ってアジア侵略の意図を巧妙に隠蔽した。異民族との戦争に負けるということはそういうことなのだろうが、ほんとうの正義がどちらにあったか、第二次世界大戦後の世界の歴史を見れば明らかである。こうした近代以前のような国々が現在でも世界に多数存在する以上、日本は自国をより強固にし、十分な防衛力を整備する努力を怠らず、二度と異民族との戦争に負けてはならない。
1928年に日本を含む多国間で署名されたパリ不戦条約が違法としている「war of aggression」は字義通りには「挑発されない攻撃戦争」という意味だが、その定義はなされておらず、特定の戦争が「挑発されない攻撃戦争」か自衛戦争かの判断は戦争当事国の自己解釈にまかされていた(なお、「挑発されない攻撃戦争」を佐藤和男は侵攻戦争と訳している)。それにも関わらず、東京裁判では日本国が侵攻戦争を行ったと何の根拠も示さずに断定している。
国際法では国家には基本権として戦争権(開戦権と交戦権)が認められており、他国に対して戦争宣言(宣戦布告)をすれば一方的に戦争状態を創り出すことができた。したがって一国だけが戦争放棄するなどという状態は理論的には成り立たないのであって、他国から一方的に宣戦布告をされれば、受けて立つ以外に方法はないのである(戦後の国際連合では、侵攻戦争か自衛戦争かの認定は安全保障理事会が行う権限を持っている)(付録Ⅰ、佐藤和男の論説)。
なお、「サンフランシスコ平和条約十一条」は、連合国側の軍事法廷が日本人被告に言い渡した刑(judgements)の執行を日本政府に引き受けさせ、放免・減刑・仮出獄の手続きを定めた点にあり、日本国が東京裁判や海外における戦犯裁判なるものを受け入れたものでないことは、国際法学者の共通の認識である(付録Ⅱ、佐藤和男の論説)。
ルーズベルト、トルーマン、マッカーサー、チャーチル、蒋介石、毛沢東、スターリンや彼らの政策に関わった部下たちなど、ドイツのヒットラーやその部下たち同様、ほんとうの意味での“平和に対する罪”を犯した人類の敵は、無意識のうちに人間は死ねばすべてが消滅してしまうという近視眼的で浅薄な認識に立っていたのであろうが、なんぴとと言えども大宇宙の法則を変えることはできない。これまでの筆者の数々の経験から判断すれば、彼らは現在に至るもなお、身の毛もよだつような応報の世界に閉じ込められて生きている。目に見えないエネルギーの動きはとてもゆっくりではあるが、百年単位で見れば、彼らに率いられて蛮行を支援した当該国家にも確実にその結果は現れてくるものだ。あえて日本人が彼らを呪詛しなくとも、今後の長期間に亘って彼らの国々のさまざまな困難な社会問題は増大こそすれ、決して解消に向うことはあり得ない。
「世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集」吉本貞昭著、ハート出版、2012年7月発行、¥1,680(税込み)
著者は1959年生まれ。中国研究の専門家。同時に、大東亜戦争などの研究者でもある。
本書は大東亜戦争と東京裁判についての著者の解説と、アジア・西欧諸国の指導者や識者の発言集とから成る。
史実とは関係なく自己の主張だけを展開する中国共産党や韓国・朝鮮などの主張はともかく、日本国内でもなぜウソの歴史や反日思想が蔓延してきたかについては、戦後のアメリカ占領軍が数多くの日本人を公職から追放し、共産主義者を始めとする左翼思想家たちを華々しく復活させただけでなく、アメリカによる意図的な日本人洗脳計画があったからだと著者は指摘している。「アメリカは終戦後の昭和二十年十一月三日に、日本が再び連合国の脅威にならないよう、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に対して、日本人洗脳計画を命じた。その計画とは、日本人に「侵略戦争」をやったという贖罪意識を植え付ける「戦争犯罪情報計画」(「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」)と呼ばれるもので、報道と教育を通じてアメリカの都合に良い歴史観を日本人に植え付けることを目的としたものであった」(“はじめに”より)。多くの日本の学者・マスコミ・役人・政治家を始め、反日左翼知識人が蔓延したのはその結果である。皮肉なことに、本来反米である日本の左翼知識人たちは、当のアメリカ自身が量産したということである。
大東亜戦争と東京裁判(という名のリンチ)について一つだけ紹介しておくとすれば、「パリ不戦条約」(昭和三年八月二十七日にパリで調印)が放棄している戦争とは「侵略戦争」であって「自衛戦争」ではなく、国家の発意で行う戦争が「侵略戦争」か「自衛戦争」かの判断は各国の裁量(「自己解釈」)に一任されているということである。当時の国際条約が戦争それ自体を犯罪であると規定しているわけではなく、ましてや国家が行う戦争責任が個人にあるなどという規定はどこにもない。もし大東亜戦争を神が裁いたならば、戦争犯罪国家はアメリカ・イギリス・ソ連・中国などであり、客観的な歴史の経過はそのように推移してきていることが理解できる。大宇宙の法則は因果応報であり、百年単位で見れば、原因が生み出してくる結果はいずれ原因を作った当人(当国)が受ける以外にないことが理解できよう。ダマされていることに気が付かないのは、多くのお人よしの日本人だけである。
内容についてはお読みいただくとして、発言集の中から一つだけ紹介しておく。
「私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた」(ハーバート・フーバー、アメリカ合衆国第三十一代大統領)
第二次世界大戦終了後、朝鮮戦争を起こされて目が覚めたアメリカは、政府を始めとする社会の指導層から共産主義勢力を排斥し、蒋介石への援助も停止して共産主義国・ソ連と対峙し、後には人種差別を禁止する法律(公民権法)まで成立させるのであるが、日本政府だけは今だにアメリカによる戦後の「戦争犯罪情報計画」を墨守しているのは一体、どういう了見なのか。「日本は朝鮮を植民地にした」、「満州事変により中国を侵略した」、「日支事変のとき、南京で三十万人の市民を虐殺した」、「戦時中、多くの朝鮮人を強制連行した」などなど、明らかなウソ話を検定制度による歴史教科書から排除せず、歴史の真実を隠すことに汲々として、何も知らない青少年に史実を教えることを拒否している日本の文部科学省とは一体、どこの国の政府なのか。「百回言ってもウソはウソ」。いずれ、歴史の真実は表に出てくることを、愚かな政治家や役人たちは知るべきである。
「「昭和の大戦」の真実(正)、(続)」黄文雄著、WAC BUNKO、2011年8、9月発行、各¥930、¥940
著者は台湾出身の高名な文明評論家。「彼ら(註:大日本帝国のこと)が戦争に突入した目的は、主として自衛のために迫られてのことだった」-日米戦争(大東亜戦争)後、ソ連と中共政府の支持をバックに北朝鮮が始めた朝鮮戦争を”国連軍”の指揮官として戦ったマッカーサー元帥が、1951年5月3日のアメリカ上院軍事外交合同委員会で行った証言の一部である。これは、東京裁判という名のリンチで大日本帝国を処断したマッカーサー元帥が、実際朝鮮の地で共産主義者の侵略と戦わざるを得なくなった体験を通して、初めて日本の置かれている地政学的条件と、明治維新以降、大日本帝国が自存自衛のために取ってきた行動の真の意味を理解した結果である。米ソ冷戦を背景に、その後、アメリカが対日政策を180度といって良いほど転換したことは周知の通りである。著者は本書で、明治維新以降の日本の歴史を丹念にたどりながら、人類史的な観点から、大日本帝国がいかにアジアの近代化に貢献したか、大東亜戦争がいかに有色人種の解放に貢献したかを史実に基づいて詳細に論じている。「日本の戦争はすべて正当防衛のものだった」、「戦争が不可避だった時代において、(国家の独立を守るため日本は)一か八かの起死回生の戦いを繰り広げたのだった」とし、大東亜戦争についての大方の台湾人の冷徹で客観的な見方「日本が悪かったのではない。強いて日本が悪かったことと言えば、戦争に負けたことだ」を紹介している。(正)「今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである」(タイの首相になったククリット・プラーモート氏の言葉)。(続)
開戦当時、すでに明治維新から70年近くを経過して軍の組織も官僚機構化しており、大東亜戦争においては負けなくても済んだかもしれない戦いを、戦争指導者の数々の致命的な失敗により日本国民に多大の犠牲を出すことになった。この戦争の真の被害者は日本国民であり、加害者はソ連共産主義(コミンテルン)に浸透されて日本に戦争を仕掛けた当時の狡猾で無法なシナ、米英を中心とした残虐な白人国家群、および日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦してきた共産主義独裁国家ソ連だと断言できる。マゾヒズムの日本政府が謝罪すべき相手はシナの共産党独裁政権や韓国・朝鮮政府ではなく、日本国民である。戦後のデタラメな歴史教育により自国の近現代史の真実に無知な日本国民は、明治維新以降の戦争が不可避だった時代において、自国の独立を守るためにいかに父祖の世代が犠牲を払って戦ってきたかを正しく理解するためにも、一読すべき書物です。
「アメリカの鏡・日本」(新版)ヘレン・ミアーズ著、伊藤延司訳、角川学芸出版、2005年6月発行、古書あり
著者は1900年(一説には1898年)生まれの東洋学の研究者。日本占領連合国軍(GHQ)の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日し、戦後の日本の労働基本法の策定に携わった。
本書は1949年、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた書(原著は1948年に出版)。日本に滞在経験のある東洋学の研究者による書とはいえ、戦後3年しか経っていない時点で書かれたにしては著者の歴史を見る眼の確かさを知らされる書物である。日本に対する記述には必ずしも同意できない点も含まれてはいるが、著者がその後の歴史研究の進展によるいくつかの史実を知れば、より完璧なものになっていたことだろうと思う。著者はたんねんに史実をたどりながら、本書で連合軍、特にアメリカの政策の矛盾を赤裸々に指摘して、今後のアメリカが再度、政策を誤ることの危惧を表明している。基本的に、反省を込めてアメリカ人のために書かれた書物である。
同一訳者の抄訳版が2005年6月、角川書店から新書で発行されている。
「東條英機 歴史の証言-東京裁判宣誓供述書を読みとく」渡部昇一著、祥伝社黄金文庫、2010年7月発行、¥840(税込み)
本書は東條英機がいわゆる東京裁判の法廷に提出した宣誓供述書に、著者、渡部昇一上智大学名誉教授が解説を加えたものである。
この宣誓供述書は、東條被告が開廷以来取り続けたメモ・ノートを基に、東條被告の担当であった清瀬一郎博士とアメリカ人弁護士ブルーエットを含めた三人が心血を注いで完成し、1947年12月26日の法廷に提出した正式の法廷記録である。同内容は法廷提出後間もなく出版されたが、占領軍の報道政策により「発禁第一号」に指定され、市場からその姿を消した。その後も占領軍は日本国内に厳しい言論統制を布き、次々と日本人の言論を封じていくが、その手法はまさに共産主義者や独裁者のやり口そのもので、その一事をもってしても、東京裁判が不当なリンチであり(東京裁判にはそもそも管轄権がなかった)、誰が日支事変や大東亜戦争の真の仕掛け人であり、戦争犯罪人であったかということが良く分かる。もし連合国(主としてアメリカ)側に正義があるのであれば、日本国内の言論の自由を保障し、すべての証拠資料を採用して正々堂々と振舞えば良かったはずである。
本宣誓供述書は、当事者として事情を知悉した東條英機が文字通り自己の“いのち”を賭けて供述した内容だけに、日本が大東亜戦争(太平洋戦争)へ追い込まれていった当時の状況が生々しく読む者に迫ってくる。渡部名誉教授の解説も分りやすく、当時の歴史の真実を知るための最重要資料の一つであると言える。
第一次世界大戦(1914~1918年)後の不況に際して、増加する外国製品の輸入を抑えるため1929年(昭和四年)にアメリカの下院に上程されたホーリイ・スムート法に代表される保護主義のため世界の貿易量が激減し、1929年10月24日にはいわゆる「ブラックサーズデー」でアメリカの株式市場が暴落する。これが世界中に大不況を呼び、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソ連などの(工業資源を)”持てる国”がそれぞれに植民地を含む自己の勢力圏を囲い込み、ブロック経済を形成する。それは”持たざる国”は滅びろということを意味するのだが、当時の”持てる国”家群は人類全体を考えるという視点に欠けていた。アメリカから移民を拒否され、商品の購入には高関税をかけられ、窮した日本は天津の日本租界内に逃げ込んできた清国最後の皇帝、溥儀(満洲人)と協力して日本軍(関東軍)が背後についた満洲人の国家、満州国を建国する。満洲の地は歴史上、満洲人(女真族)の故地でシナ(中国)ではないのだが、清国の版図をすべて継承しようとする中華民国が主権を主張して満州国および日本と対立した。シナの反日運動が激化し、やがて共産主義者と結んだ中国国民党が対日戦争を仕掛け、日本政府の政策の不徹底もあって日中戦争はドロ沼化する。”持たざる国”ドイツがヨーロッパで戦争を始め、イギリスにまで空爆攻撃を開始すると、シナの蒋介石政権(国民党)を支援していたアメリカのルーズヴェルト政権はイギリス救援の目的もあり、アメリカ国内の孤立主義を廃して戦争に参加するため、対日戦争を画策する。その結果、くず鉄、石油などの対日輸出を禁止し、日本の資産を凍結した。イギリス・オランダも同様の措置に出て、日本を経済封鎖する。それは宣戦布告を意味する行為なのだが、かくして工業原料や軍需物資の自己調達の必要に迫られた日本にとっての生存の道は、当時、欧米の植民地であった東南アジア資源国への侵攻以外には残されていなかった。これが大東亜戦争に至る経緯であり、日本は自存自衛のために大東亜戦争を戦わざるを得なかったというのが歴史の真実であり、東條英機の主張でもあった。一言でいえば、”持てる国”のブロック経済化と世界的な共産主義者の策動が大東亜戦争を引き起こしたのです。後に共産主義勢力に朝鮮戦争を起こされたマッカーサーも、そのことを認めている。
「日本は近代国家として持っているのは、蚕だけだと言っています。絹産業だけだということです。ほかのものは何も持っていなかった。しかし、必要なものはすべて南方地域にあった。それなのに、われわれは日本に売らないことにした。日本はこのまま行けば、一〇〇〇万人から一二〇〇万人の失業者を生ずることになった。したがって日本が戦争に入ったのは、主として国家安全のためであった」(一九五一年、アメリカ上院軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言。第一章より)
「太平洋に於いて米国が過去百年間に犯した最大の政治的錯誤は、共産主義者が支那で強大な力に成長するのを許してしまったことだ、といふのが私個人の見解である」(同、これはジョージ・ケナンやヘレン・ミアーズ女史の見解でもあった。「共産主義の戦争挑発を隠蔽した東京裁判」小堀桂一郎より)
昭和16年10月17日、天皇の大命を受けて東條内閣が誕生します。近衛内閣の辞職に際して、戦争準備を白紙還元することを条件に東條は組閣を引き受けた。東條は総理大臣、陸軍大臣、内務大臣(内務省は警察・特高を統括)、軍需大臣を兼任したが、海軍は統率外にあり、軍の統帥は参謀総長(陸軍)と軍令部総長(海軍)にあった。東條にはルーズヴェルトやチャーチル、ヒトラー、スターリンのような指導者としての権限はなかった。当時の日本ではすべてが話し合いの制度だったのです。もし東條英機という人物が日本人離れのした怪物であったなら、日米戦争が避けられないと思った時点で、強引にでも陛下の権威を利用して、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長のすべを兼任すべきであった。そうすればすべて自己の責任で大戦争を戦うことができたのです。結局、日本は本当のリーダーがいないまま、大東亜戦争を戦ってしまった。東條という人は、それでも潔く敗戦の責任を認めている。「(註:国民に対する)敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私(註:東條英機)の責任であります。この意味に於ける責任は私は之を受諾するのみならず真心より進んで之を負荷せんことを希望するものであります。」(宣誓供述書末文より)。そういう意味では、東條英機という人はめぐり合わせの悪い人であった。人間個人として見れば、何か目に見えない運命的な力が働いていたとしか考えようがない。
ところで、戦後、なぜ本宣誓供述書が無視され続けてきたかについて、解説者の渡部名誉教授は以下のように述べている。
「東條さんの宣誓供述書が残されたことは、日本人にとって有難いことであった。その後間もなくマッカーサー自身が東條さんの主張(註:大東亜戦争は日本の自衛戦争であったという主張)が正しいことを認めたではないか。ただ大東亜戦争に対する東條・マッカーサーの史観が、日本人の間に普及していないことが残念である。その主たる理由はいまでは明らかだ。占領期間中、二〇万人ともいわれる人たちが公職追放となったからである。この追放令の中心は民生局のケーデス一派だと言われる。彼らはアメリカ民主党の左派であり、中には後にコミンテルン(註:国際共産主義組織)のエージェント(註:手先、スパイ)だったと判明した者もいた。・・・その公職追放令の嵐の中で、うんと得をした者たちがいた。戦前の左翼思想家や在日コリア人などなどである。特に重要な敗戦利得者は、左翼インテリだった。一例をあげれば・・大内兵衛と滝川幸辰である・・・この二人はコミンテルンのシンパ、あるいは同調者として天皇の帝国大学教授としてふさわしくないとされたのである(コミンテルンは天皇制廃止を指令していた)。しかし敗戦により華々しく復活した。・・・戦後のいわゆる岩波・朝日文化は、敗戦利得者の左翼インテリ文化と言える。・・・これは典型的な敗戦利得者で、そのほかの例は数え切れない。この敗戦利得者たちは日本の主要な大学の主要なポストを占め、その弟子たちは、あるいは日本中の大学に教授として散らばり、あるいは大新聞の記者となった。正に癌細胞の転移にも似た様相を呈したのである。こうした敗戦利得者とその弟子たちが、戦前の「日本のよさ」とか「日本の立場や言い分」を肯定することはない。」(“はじめに”より)
「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」町山智浩著、文藝春秋、2008年10月発行、¥1,050(税込み)-文庫版は¥560(税込み)
著者は1962年東京生まれのコラムニスト・映画評論家。早稲田大学法学部卒業。カリフォルニア州バークレー在住。
良かれ悪しかれ、現代の日本と日本人にとってはアメリカとの関係を抜きにしては生存が難しいのが現実であるが、それにしては多くの日本人がアメリカの実像を正確に理解しているとは言いがたい。新聞やTVも日米同盟に遠慮してか、アメリカの暗部を伝えるのに消極的である。もともとヨーロッパ白人社会のはみ出し者や落ちこぼれが流れてきて大恩ある先住民をだましては虐殺を繰り返し、戦争に継ぐ戦争を繰り返して太平洋までをも暴力(武力)で奪い取ってできた国がアメリカ合衆国である。そうした建国の歴史を考えれば、文化度や民度がさして高くないことは容易に想像できるが、第二次世界大戦での敗戦のショックか、現代日本人のアメリカを見る眼は相当に曇っている。アメリカ在住の著者は、2000年代のアメリカの素顔を何とか日本人に伝えようと、本書で奮闘している。
タイトルにある「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」というのは実話である。というよりも、多くのアメリカ人にとってそんなことはどうでも良いことで、特に関心が無いのである。ましてや、世界のことなどまったく関心が無いという人たちがアメリカには山ほど居る。言い換えれば、自分の住んでいる地域だけに関心を向けていれば生きていけるともいえる。アメリカという国は、巨大な田舎者の集団なのだ。
本書は、日本人にアメリカという国の実態を知る上で多くの示唆を与えてくれるものと思う。ぜひ一読をお勧めする。
「日本人が知らなかったアメリカの謎」村尾英俊著、中経出版、2013年1月発行、¥619+税、も、アメリカの実像を知る上で参考になります。この書は主として経済や政治についての実像を追求しています。
「アメリカが畏怖した日本:真実の日米関係史」渡部昇一著、PHP新書、2011年6月発行、¥700(税別)
著者は1930年生まれの高名な上智大学名誉教授。幕末から現在に至るまでの日米関係の実相を本書で解説している(副題が「真実の日米関係史」となっている)。日露戦争直後からなぜアメリカが露骨な反日に傾き、ついには日米戦争を仕掛けるまでに至ったのか、日清戦争直前にアメリカが無法にハワイを併合しようとしたとき、日本が二隻の軍艦をホノルルに派遣して暗黙の抗議を行ったり、日露戦争後に「桂・ハリマン仮協定」(予備覚書)を一方的に断ったのが契機になったというだけでなく、より複雑で多岐にわたる背景が存在していたことを時代を追って解明している。その底流には、アメリカを建国し支配者であり続けてきた白人の独善があり、人種差別の思想があったことを伺わせる。戦争には敗れたとは言え、もし日本があの自衛戦争(大東亜戦争)を戦っていなかったら、アジア・アフリカの開放もアメリカ国内での人種差別の撤廃もはるかに長い時間を要したであろうことは明らかです。人類史的に見れば、日本の戦死者も戦争犠牲者も決して犬死したわけではないことを日本人は理解すべきです。そういう意味で、戦後から現在にまで続く多くの学者・マスコミ・政治家など(著者は敗戦利得者と呼んでいる)が恥ずかしげも無く撒き散らす東京裁判史観(「コミンテルン史観」とも言える)に洗脳されることなく、冷静に真実を見極めることの大切さを教えられる書物です。
ちなみに著者は、サンフランシスコ講和条約11条の内容について、日本は東京裁判そのものを受入れたのではなく、諸判決(judgments)の刑期の変更・赦免には関係国過半数の同意を要するということを受入れただけのことであると本書で指摘している。
「白い人が仕掛けた黒い罠」高山正之著、ワック、2011年8月発行、¥1,400+税
著者は1942年、東京生まれのジャーナリスト。本書で著者は、東南アジアにおける白人による植民地支配の残虐さや、明治以降の日本の歴史の真の姿を追いながら、白人国家の残忍さや現在の中国と韓国・朝鮮のウソ、さらには、国内外の学者・言論人や各国政府のウソをも明らかにしている。「二十世紀はまさに日本の世紀だった。白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。」、「奴隷をもち、残忍な戦争をし、略奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって略奪も強姦もしない、奴隷も(欧米流の搾取・略奪の対象としての)植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見落とすと、近代史は見えてこない。」、「日本対白人国家プラス支那という対立構造ができ、先の戦争が起きた。」と歴史の真実を喝破している。シナの共産党独裁政府や韓国・朝鮮の政府を始め、各国の政府がそれぞれの政治的思惑からいかに歴史を捏造しようとも、長い人類の歴史において、もしアジアに日本という国が存在していなかったら、アジア・アフリカなどの有色人種が白人種の搾取・略奪の奴隷状態から開放されるのに百年以上のより長い時間を要したであろうことを否定することは出来まい。日本は今後も、神道(正直・清浄と誠の道、禊と祓い、共生の思想)と仏教(慈悲と平等の思想、輪廻転生と因果応報の思想、殺生・盗み・邪淫・ウソを最大の罪悪とする)を持たない、残忍で悪意に満ちた国々と共に生きていかなくてはならない。よほど日本人は真実を理解する努力をして対抗していかない限り、他国から食い物にされ続ける危険性があることを理解すべきです。一読に値する書。
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄文雄著、徳間書店、2011年5月発行、¥952+税
著者は台湾出身の高名な文明評論家。縄文時代にまで遡りうる古代から現代にまで続く日本人の特質を、主として16世紀に西欧が日本と接触を始めたころからの訪日外国人による日本および日本人評を分析することにより明らかにしている。文明や国民性の特質は異質の文明や国民との比較によってのみ際立つものであり、外国出身である著者による分析は鋭く、類書とは一線を画している。過去の著名な訪日外国人による記録・見聞録を渉猟し、五つの観点(日本人の不屈の精神、美徳、勤勉、美意識、武士道精神)から日本と日本人とを論じている。本書にも述べられているように、文明や国民性というものは簡単に変化するものではなく、シナの共産党独裁政権や韓国・朝鮮政府のウソで固めた主張(捏造史観)がいかに滑稽なものであるかの傍証にもなっている。大虐殺や略奪を繰り返してきた歴史を持つシナ大陸の政権は「日本軍による南京大虐殺」を発明し、長い献女外交の歴史を持つ韓国・朝鮮は売春が違法でなかった時代の単なる民間の売春グループである慰安婦を騒ぎ立て、戦時中の法律に基づき日本本土で実施された女子勤労動員である女子挺身隊にならって工場や農村で働いた韓国・朝鮮人の「女子挺身隊」までを「性奴隷」と詐称する。お里が知れるというか、捏造するにしても他人のウソ(戦後の反日日本人や国賊的な日本の政治家による捏造)を利用するにしても、自国の歴史や経験、自民族の習性によってしか発想できないというのは、何とも哀れで滑稽な話である。
ちなみに、中国の共産党独裁政権が主張している南京大虐殺に関する内容は中国自身が南京事件(1927年)・済南事件(1928年)・通州事件(1937年)などで日本人居留民(在留邦人)に対して行ったことであり、現在、韓国が主張している従軍慰安婦に関する内容は朝鮮戦争のとき韓国自身と米軍とが行ったことである。中国・韓国の独立記念館のような他国に罪悪を転化する創作は日本人には考えも及ばず、かえって彼らの指導層の狡猾さと残虐性を露にしている典型である。
註:本書の続編として、より個人に光を当てた“「世界から絶賛される日本人」徳間書店、2011年12月発行、¥1,050(税込み)”が出版されている。なお、著者には、“「命がけの夢に生きた日本人」青春出版社、2006年3月発行”という著書もある。
本書と類似の書物に、呉善花著、「なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか」(PHP研究所、2012年7月発行、¥1,680)がある。