尖閣―中国の主張に只の一点も根拠なし 「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

2011年2月10日 木曜日

1971年、中国政府はそれまで実質的に日本領と認めていた(地図・人民日報記事その他で)尖閣諸島に対して、突如領有権を主張し出した。よく知られているように、尖閣周辺海底に膨大な石油・天然ガス埋蔵の可能性があると言う国連極東経済委員会の調査の発表を受けてのことである。ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは昨年の尖閣事件以降の中国の身勝手な振る舞いに対して「ならずもの経済大国」とヘラルド・トリビューン紙で非難した。おいしいものを見た途端に「オレのものだ」と領有宣言をするのは、はまさに「ならずもの」の所業である。さらに図々しくも1992年には領海法を制定して、尖閣を「正式に」領土に組み入れた。

 中国があれほど強硬に主張するのだから、それなりの根拠があるのかもしれないと思う人がいたら、それはとんでもない勘違いである。中国は古い歴史があるのだから、古文書、古地図に何か載っているのではないか、と思うかもしれないが、そんなものは国際法的に何の領有権の根拠になるものではないのである。

 中国政府は、琉球冊封使の記録に、尖閣の図が出ており、記述されているという事を一つの論拠にしている。琉球冊封使の最初の記録は1534年に書かれた陳侃(ちんかん)の『使琉球録』であるが、ここに鈞魚島がでてくる。しかし、これは航海途上の目印的な島として出てくるだけであり、領土とは全く関係がない。そればかりか、明の福建人は航路をよく知らないので、よく知っている琉球人が冊封船の船員の中心となっていたという事がこの本の中に書かれている。つまり、釣魚島を中国人に教えたのは琉球人なのであり、それを記録に書いたから中国の領土だなどという非論理的暴論、というよりも子供並の主張は全く成り立たないのである。

 さらに、航海途上の島の中には当時小琉球と呼ばれた台湾が出てくる。しかし、明の時代には台湾は明の版図には入っていなかったことは云うまでもない。中国人は台湾のことはほとんど知らなかったので、小琉球などと呼び、外夷としていたのである。つまり出ていたからといって領土の根拠には全くならないのである。
 清の時代になり、ようやく台湾を版図に組み入れる。清の時代の最も重要な官選文書に『大清会典』がある。康熙帝の1690年に最初に編纂されたものである。169巻の大部のものである。光緒帝の1899年に出たのが最後の版であるが、ここには台湾省全図・台湾府図・台南府図・台東州府図が掲載されているが。しかしそのいずれにも釣魚島、尖閣諸島はでていない。当然である。住むことはおろか着岸することもできない、航路の標識島を版図と記述するはずもないのである。
 
このように、中国の公文書に尖閣諸島がその版図として記載されたことは皆無なのである。古い記録のある国のことだから何か根拠があるなるだろうと思ったら大間違いである。そんな虚仮脅し的な考えにとらわれてはいけない。中国の領有主張にはこれっぽちの正統性も存在しない、という事をしっかり認識すべきなのである。

コメントは受け付けていません。