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戦争を望んでいた中国―だから盧溝橋事件は起った―「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

2009年6月1日 月曜日

一、 「日中戦争は日本の侵略戦争だった」と多くの人は当然のように思い込んでいる。ところが、戦争勃発前の状況はどうであったかというと、中国の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていたのである。このことは北村稔立命館大学教授と南京大学出身の中国人学者林思雲氏共著の『日中戦争―戦争を望んだ中国、望まなかった日本』(PHP)において具体的かつ明快に示されている。
二、 当時の主戦派には、3つのグループがあった。一つは過激な知識人・学生・都市市民である。二つ目は中国共産党であり、三つ目は地方軍閥である。共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。特に共産党は反日を最大の政治的な武器として使っていた。昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発しているのである。
三、 このようにいつどこで日本攻撃事件が起ってもおかしくない状況のもと、昭和12年(1937年)年7月7日に盧溝橋事件が起ったのである。実は共産党にとって当時の状況は深刻なものであった。西安事件により、蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党との協力関係をつくることを約束した。しかし、その後蒋介石は次々に厳しい条件を突きつけ「共産党の運命はふたたび蒋介石の意中にかかることとなり、6月には蒋介石は、再度紅軍の行く手を塞ごうとしていた。共産党は今一度完全降伏に出るか、包囲殲滅を蒙るか、又は北方の砂漠に退却するかを選ぶ事態になったかに見えた。」(エドガー・スノー『中共雑記』 未来社)この窮地で大博打を打って出たのが共産党であった。国民党軍の中に大量にもぐりこませていた共産党員に反日を煽り、それにまぎれて発砲事件を7月7日夜10時40分に起こしたのである。
四、 共産党がこれを起こしたことは今や100%明らかである。発砲事件の翌日8日に、共産党は中央委員会の名で長文の電報を蒋介石をはじめとする全国の有力者、新聞社、団体などに発信している。実は日本軍は、8日午前5時30分に初めて反撃を開始したのである。当時の通信事情からして8日に始めて反撃があったのに8日に長文の公式電報を作成して発信するなどと言うことは絶対的に不可能である。事前に準備していたからこそこれが可能であったしか考えられないのである。
五、 その証拠が存在する。支那派遣軍情報部北平(北京)支部長秋富大佐は「事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。「成功した」と3回連続反復送信していた。」(産経新聞平成6年9月8日夕刊)その時はこれが何を意味するか分からなかったという。今では明らかである。謀略が成功したことを延安に報告していたのだ。早速延安では電文つくりが行われたのだ。戦争を起こした犯人は中国共産党なのである。日本人すべてがこの「事実」を知るべきである。
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