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資料室

「やっかいな隣人 韓国の正体」井沢元彦、呉善花共著、祥伝社、2006年9月発行、¥1,600+税

作家の井沢元彦氏が問題を提起し、韓国出身の呉善花氏がそれに答えるという形で日韓の認識の違いを浮き彫りにした対談書。

改訂版「韓国は日本人がつくった」黄文雄著、WAC BUNKO、2010年8月出版、¥980(税込み)

著者は1938年台湾生まれの高名な評論家。本書で朝鮮合邦時代の「朝鮮総督府の隠された真実」を世に知らしめている。
註:本書は“「韓国は日本人がつくった」黄文雄著、徳間書店、2002年4月出版、¥1,600+税”の改定版である。

「親日派のための弁明」(2)金完燮(キム・ワンソプ)著、星野知美訳、扶桑社文庫、各2006年9月発売、¥840(税込み)


著者は1963年、韓国生まれの作家・評論家。「親日派のための弁明」の続編。
前著では朝鮮(韓国)近代化の全体像について述べられていたが、本書では朝鮮総督府、三一運動、柳寛順、「朝鮮独立軍」の正体、穂積真六郎による産業革命、軍隊慰安婦、大東亜戦争と日本の敗戦というように、いくつかの個別のテーマについて詳述されている。著者が韓国在住の韓国人であるだけに、現在の韓国の状況が各所に詳しく説明されており、さまざまな迫害に遭いながらも歴史の真実を追究しようとする著者の迫力が伝わってくる書である。
「1911年末現在、(朝鮮総督府の)憲兵八千余人、警察六千余人である。・・うち、日本人は六千人しかいなかった・・その上、警察は文官だった(註:当時の朝鮮の人口は約1,300万人)・・・現在、人口一千万人であるソウル一都市の警察兵力は約二万五千人である。・・・当時、・・朝鮮の治安が非常に安定していて、朝鮮人が総督府に友好的であったことがわかる」、「「満州の独立軍」というものが存在したのか・・・彼らは当時、治安不在だった満州地域で組織された朝鮮人馬賊団であり、同胞の財産を奪い、殺人や拉致、強姦、放火など、治安を乱し犯罪を行った、盗賊団のような存在にすぎなかった」、「日本軍による慰安婦強制連行などお話にもならない。・・・女たちを強制的に連れてきて性奴隷とする軍隊ならば、現地で拉致すればよいのであって・・料金を払う必要もなかっただろう・・・日本軍は一八九四年の日清戦争と一八九九年の義和団事件による北京出兵などで、「民衆に被害を与えない歴史上初の軍隊」として世界各国の賞賛を受けている。・・・これまでの戦争では勝利した軍隊が占領地の女性を強姦することが当然と考えられてきた。・・日本の敗戦後に韓国と北朝鮮に進駐したソ連軍と米軍により、数多くの強姦が発生した・・・軍隊慰安婦は大東亜戦争期に、海外に派兵された日本軍の強姦を予防して性病の被害を防止し、軍の士気を高めるために始まった制度である。・・日本軍は海外遠征軍に慰安婦を派遣することで軍人と現地住民に配慮した。これは・・日本の軍隊が侵略軍ではなく解放軍であったという決定的な証拠になるのである。・・(売春が合法であった当時)日本人がいるところにはどこにでも公娼がいたため、海外に派兵された日本軍部隊に遊郭が存在するのは当然のことであった。・・ほとんどの慰安所で慰安婦は、日本女性の方が朝鮮女性に比べて二倍以上も多かった。・・軍隊慰安婦は制度上なんら問題もなく、特に軍部隊ごとに公娼部隊を置くことは現代の国家でもきわめて望ましいアイデアだ」、「日本が一八六八年以降に取得した領土を没収することに連合軍が合意した・・これは、戦後ドイツはもちろん、イタリア、オーストリアなど他の敗戦国が戦争直前である一九三九年の国境線に回帰したことと比較すると、きわめて例外的な措置である・・・敗戦国処理において人種差別の兆しが現れはじめたのである。いくら敗戦国といえども、八十年前の国境線に後退しろという決定は常識外れである」、「韓国は・・教育制度や行政システムなどにおいて、まだ日帝時代の水準を回復していない。・・理由は単純だ。戦後、日本人が帰国したからである。・・彼らは米ソ軍政の決定により、朝鮮にある財産をことごとく没収され、日本への強制引揚を余儀なくされた。・・・その後、海外から帰国した、いわゆる「独立運動家」のルンペン集団が権力上層部を独占することになり、韓国社会の水準は十数年前に後退してしまった」(本文より)
ほとんど言論の自由も無く、まともな法治国家とも言えない韓国でこれだけの発言をする著者は、戦後、祖国が国を挙げて捏造された「歴史」に踊り世界に恥をさらしている中で、何とか歴史の真実を同胞に伝え、後世に残しておくことにより、韓国(朝鮮)人としての理性とプライドを護ろうとしているように筆者には見える。単なる「親日派のための弁明」ではない。時代の制約があったにしろ、日本統治時代の朝鮮は法治国家であったし、少なくとも現在の韓国にある「死者に対する名誉毀損罪」や「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」のような非常識な法律はなかった。いみじくも著者が指摘するように、”「馬鹿たちの行進」はいつまでつづくのか”。過去の朝鮮の真の愛国者は、みな地下で泣いている。
註: 本書は最初、単行本として、2004年11月に扶桑社から出版されている。

「親日派のための弁明」金完燮(キム・ワンソプ)著、荒木 和博・ 荒木 信子共訳、草思社、各2002年7月発売、¥1,500(+税)


著者は1963年、韓国生まれの作家・評論家。本書は、若き著者が韓国人のために韓国語で書き、韓国で出版した著作である(ただし、原著は韓国内で「青少年有害図書指定」を受け、事実上書店で売れなくなってしまった)。元左翼で日本嫌いであった著者は、2年近くを外国(オーストラリア)に滞在し海外旅行ができたことにより、韓国内の一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出すことができたという。その結果、朝鮮の開国期と日本統治(日韓併合)を史実に基づいて評価したのが本書である。「歴史再検証 日韓併合」の著者、崔基鎬氏は成人するまで日本人であったから日本語資料を活用するのに特に不自由はなかったと思うが、本書の著者は日本語が読めないというのだから驚嘆する外はない。
「日本と合併することだけが、朝鮮の文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道であった点については、当時朝鮮の志ある改革勢力のあいだに暗黙の合意があったと思われる。この大韓帝国内部の強力な世論にしたがい、日本が合法的な手続きを経て統治権を接収した」、「みずから韓日保護協約締結を主導し、朝鮮の初代統監となった伊藤博文は、政治的、財政的に日本に負担になる朝鮮合併を望んでいなかった。合併は一進会など朝鮮の革命勢力が要請したことであった。安重根の伊藤統監暗殺により日本の世論は急速に合併に傾いていった」、「日本人は朝鮮と台湾を統治するにあたって、おおむね本土の人間とおなじ待遇を与えた。とくに朝鮮にたいしては、大陸への入口という地政学上の重要性のために、むしろ本土以上の投資をおこない、産業施設を誘致するなど破格のあつかいをしたと考えられる」、「日本の統治により朝鮮は多大な発展をとげた。三〇年余りのあいだに・・人口がニ五〇〇万にふえ、平均寿命は二四歳から四五歳にのび、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した」、「二〇世紀初め、外国の勢力による改革、それも日本統治による徹底した清算がなかったなら、こんにちの朝鮮半島は世界でもっとも遅れた地域のひとつにとどまっていただろう」、「敗戦によって日本帝国は五つの地域に分割・占領された・・・韓国、北朝鮮、台湾、サハリン、日本の五つに分離し、それぞれ占領した・・・これは明らかに強制的な分断といえよう」、「日本が・・アメリカに占領されるという事態がなかったとすれば、朝鮮半島と台湾はまだ日本とひとつの国家を形成していたのである。そうだったなら、日本、韓国、台湾のためにたいへん望ましいことだった。爆撃で日本列島が灰燼に帰することなく、人口二億の日本帝国は日に日に富み栄え、アメリカと対等の国力をもっていただろう。さらに満州国まで合わせたら、三億の人口と広大な領土を支配して、文字どおり大東亜連邦体として存続できたのだ」、「ところが、日本が戦争に敗れ、米軍とソ連軍が進駐してくると世の中が変わりました。総督府時代にはたんなる犯罪者にすぎなかった人びとが、自分は秘密組織で活動していた独立運動家だと名乗り、日本人と親しくしていた人びとが日本に敵対的な態度をとるようになりました」(序文と本文より)。「解放後の腹立たしいこと、醜いざまは一つや二つではないが・・・この開放を盗もうとするやつらの多いことだ。・・・この国の志士・思想家・宗教家・教育者・知識人・文人に、また海外流浪何十年と格好はよいが、その実・・ハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使いをしながら勢力争いをし、重慶・南京ではとうもろこし粥をもらって食いながら地位あらそいをしていた人たちが、なにをあらかじめわかっていたというのか」(訳者解説中の「苦難の韓国民衆史」より)
もし日本が日米戦争を戦わずに済んでいたら、あるいは、戦っていても途中で停戦・和睦がなっていたら、その後のさまざまな悲劇はなかったかもしれない。しかし、戦後60年以上を経過しても国防のための憲法改正すらできない日本国民に、はたして時代の変化に対応して真の立憲君主制度にふさわしい形に明治憲法を改正していくことができただろうか。欧米の植民地であったアジアや有色人種の解放は実現しただろうか。日本国内の民主主義の発展やいくつかの社会改革は実現しただろうか。疑問は尽きないが、恐らくこれは戦後の多くの日本国民がいだいている問い掛けではないか。国際法を無視してアメリカが日本国民に行った大虐殺(都市への無差別爆撃、原爆投下など)やソ連の蛮行などは決して許されるものではないが、当時の日本の制度自体もすでに時代の限界に来ていたのだと思われる。後に明らかになるように、国際共産主義運動の拡大により共産主義勢力に席巻されていた当時のシナとアメリカを中心とした連合国による包囲網を敷かれた日本にとって、日米戦争は避けることのできないものであり、それが戦争指導層の数々の失敗により敗戦に終ったのも、当時の日本の運命であったとしか言いようがない。人類史的に見れば、日米戦争(大東亜戦争)は全人類が一段高い段階に至る為の一過程であったと考えることができる。もし歴史の教訓を今日に活かすとすれば、まず歴史的事実を正面から見つめ、戦後、韓国・朝鮮や中国共産党政府が行っているようなウソ(捏造)の歴史を創作しないことが何よりも重要なことだと思われる。その上で、社会制度を絶えず時代の変化に適応できるよう改善していくことが、現在の日本には求められているのではないか。
「開化期、日本は朝鮮の近代化に協力した。日本が存亡を賭けて戦った日露戦争には朝鮮の開化派の人びとが協力した。日韓併合ののちには多くの人びとが日本のアジア開放の理念に賛同し、大東亜戦争では特攻隊に志願するなど自らの命を捧げた人も少なくなかった。私たちはそれを忘れてはならない」、「韓国の中で日本のことを評価する人は少なくない。そもそも日本が本当に嫌いだったら年間百万人以上の人が日本をおとずれるわけがないのである。韓国の反日はきわめて観念的なもので、誤解を恐れずに言えば実態と乖離したものである。しかし、逆に観念の世界、つまり学者やジャーナリストの世界では観念的であるがゆえに反日は絶対となる」(訳者解説より)。註: 本書は2004年11月、扶桑社から文庫版で出版されている。

「歴史再検証 日韓併合」崔基鎬著、祥伝社黄金文庫、2007年7月発売、¥550(税込み)

著者は1923年生まれの韓国人。東国大学経営大学院教授などを経て、加耶大学客員教授。本書は、1910年の日韓併合によるいわゆる「植民地時代」の史実を、豊富な一次資料を基に描いている。国家の現状を憂えて書かれた、本来が韓国・朝鮮人のための書である。(そのためか、本論とは直接、関係のない、周防の大内氏の遠祖が百済の太子であるなどの、現在では疑問視されている「史実」も一部含まれている)
「一九一〇年八月二十二日、彼(註:李完用)が総理大臣として日韓併合条約に調印したのは、朝鮮の専制王朝が最後まで文明開化を拒み、過度の浪費で、極貧と飢餓に疲弊する民族を放置していることを見るに見かねて、日本の全面的協力を得て民族の再興を期するためであった。彼ばかりではなく日韓保護条約、日韓併合条約に賛成した大臣たちは、民族の繁栄を希求し、滅亡を事前に防ぎたいという念願から、合邦に賛成しているのである。・・・日韓併合の是非は、当時の朝鮮王朝(註:李朝)がどのような体制にあり、庶民の生活、社会の状況がどうなっていたのかを、正しく見つめなければ、何も論じられない」、「李朝五一八年間、政治も経済も国家も、まったく存在しないに等しかった。あったのはごく少数の支配階級と大多数の奴隷(常民・賤民)だけだ」、「李朝は、讒言と嘘で血塗られた残酷史の連続であった。・・・私は李朝五〇〇余年の「朝鮮王朝」と今日の「北朝鮮」は、住民を奴隷にした暴虐集団である点で共通していて、「国家」という概念には当らないと考える」、「試しに今、北朝鮮で日本行きの徴用の募集があると仮定したら、おそらく、金正日を除いた約ニ〇〇〇万人の住民全員が、徴用での出国を希望するであろう(註:ちなみに著者は、一九四〇年に徴用に志願し、北海道の三菱手稲鉱業所で働いた経験を持つ)」、「恥もわきまえず、売官買職を平気で行うのでは、国家とはいえない。・・・李朝は国家三要素(主権・領土・人民)を放棄し、百姓を侮り、蔑ろにした国家犯罪集団にすぎない」、「日韓併合とともに朝鮮の人口は、驚異的に増加した。・・一七七七年、総人口は一八〇四万人、・・一八七七年には、一六八九万人、・・日韓併合時の一九一〇年には、一三一三万人、・・三ニ年後の一九四ニ年の人口はニ五五三万人で、併合時の倍近くになった。このことは、李朝五一八年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明している。(ちなみに、一九四ニ年当時、朝鮮に居た日本人の数は七五万人程度で、主な職業は公務員、商業・輸送業、工業であった-呉善花著、「生活者の日本統治時代」三交社)」、「日本統治により、朝鮮人全体の米消費は一・五倍に増え、農地の質は格段に向上し、耕地面積も・・併合前には、田畑と水田を合わせてニ四六万五千町歩だったのが、八年後の一九一八年には四三四万四千町歩となった」(本文より)、「作家・李光洙は、「民族改造論」において、民族最大の欠点は「ウソつきで人をだますこと」だと述べているが、歴史の歪曲、身勝手な解釈はまさに韓民族の宿アであり、これがもとで幾度実態を見誤り、国を滅ぼしてきたかしれない(註:アは病ダレに阿)」、「北朝鮮は李氏朝鮮のまさにクローンである。・・・仮に今、日本が北朝鮮を併合して統治するとなれば、金一族を除く北朝鮮国民は、随喜の涙を流すに違いない」(まえがきより)
日本が当時、時代の制約の中で朝鮮から満州へと合法的に勢力圏を広げていったのは、資本主義の発展に伴う経済圏の拡大や移民の問題もさることながら、最大の問題は南下政策を取り続ける帝政ロシア(後に共産主義国家のソ連)の脅威に対抗するためであった。共産主義者に同調してアジアにおける防共の砦であった日本潰しに狂奔したアメリカは、後に朝鮮戦争によりこのことを嫌というほど思い知らされることになる。
なお、本文中、著者は、朝鮮総督府が日本本土から公務員を招聘するに際して「出向手当」制度を設け、現地採用朝鮮人公務員との間に俸給額格差が存在したことを差別として「反日」を招いた理由の一つに挙げているが、その内容の当否はともかく、「出向手当」制度そのものは必ずしも差別とは言えない。当時、日本本土から優秀な人材を朝鮮に呼び込もうとすれば、何らかのインセンティブが無ければ人材の確保が困難であったと思われるからである。現在でも国際企業などで、本国から外地へ幹部社員を派遣する際、海外勤務手当のような特別手当を設けているのが一般的である。

「韓国併合への道 完全版」呉善花著、文春新書、2012年7月発行、¥830(税込み)

著者は1956年、韓国・済州島生まれ。「スカートの風」正・続・新(三交社・角川文庫)、「私は、いかにして「日本信徒」となったか」 (ワック、2011年改定新版)など、多数の著書がある。「攘夷の韓国 開国の日本」(文春文庫)で第五回山本七平賞を受賞。本書では日朝修好条約が結ばれた1876年前後から日韓併合(1910年)に至る約35年間の、自力で朝鮮半島の近代化を成し遂げることのできなかった韓国側の問題点を分析している。
本書(完全版)は2000年1月に発行された同書に、併合後の社会・経済・文化の発展と戦後韓国の反日政策の欺瞞について論じた新たな二章(「日本の統治は『悪』だったのか?」と「反日政策と従軍慰安婦」)を加えることにより、完全版にしている。

「日韓がタブーにする半島の歴史」 室谷克実著、新潮新書、2010年4月発行 、¥720+税

著者は、1949年東京都生れ。時事通信社ソウル特派員などを経たジャーナリスト。韓国・朝鮮や古代シナの歴史書などを基に、古代日本は朝鮮半島から稲作などの各種の先進文化を学んできたという俗説の嘘を暴いている。朝鮮半島最古の正史「三国史記」(高麗時代の12世紀半ばに成立)には新羅の基礎を造った王や重臣の多くは倭人と書かれており、古代シナの「隋書」には新羅も百済も倭国には優れた品々が多く文化大国として敬仰していたと明記されている。「新羅の主食は粟だった。新羅の滅亡から、およそ九百年後に“日帝”が凄まじい財力を投入して農業基盤整備事業を推進するまで、半島の庶民は銀シャリ(白米100%の飯)など口にできなかったのだ」(第二章より)。稲作の日本列島への伝播は中国・雲南省から東シナ海を経由して九州へのルートであることはすでに科学的に証明されている。いわゆる邪馬台(ヤマト)国の位置に興味を持った人なら、「三国志」の記述から倭国は日本列島だけでなく朝鮮半島南部の一部を占めていたことも常識でしょう。「韓は帯方郡(ソウルを中心とする地域。当時のシナの勢力圏)の南にあり、東西は海を以って限りとなし、南は倭と接し、四方は各四千里ばかりだ」(三国志・韓伝)(ここにある倭のさらに南に対馬国がある)。
著者は本書で、韓国・朝鮮の捏造史観の源流とでも言うべき歴史についても追求している。著者の言う「超夢想的朝鮮民族絶対主義史観」は真実の韓国・朝鮮の歴史に対する劣等感を克服するための韓国・朝鮮人の夢物語なのだろうが、歴史の真実を直視できない民族に明るい未来はないと言えよう。「愚人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬り割くのである」(サンユッタ・ニカーヤの中村元訳)。
人文系の学者に科学的思考態度が欠如していることは一般的なことかも知れないが、そこに唯物論という近視眼的な悪魔の思想が加わると、目的のためには手段を選ばないという考えになる。「かれは、身で悪行をなして、ことばで悪行をなして、心で悪行をなして、身体が破壊したあとで、死後に、地獄、悪しき処、苦しみの処、堕ちた処に生まれる」(同上)。中国や韓国、日本の愚かな国家的ウソつき指導層に、筆者は憤りを通り越して、むしろ憐みを感じている。

「韓国 堕落の2000年史」崔基鎬著、祥伝社黄金文庫、2006年6月発行、¥571+税


著者は1923年生まれの韓国人。中央大学、東国大学経営大学院教授などを経て、加耶大学客員教授。筆者は著者の古代史に関する朝鮮半島と日本の関係についての理解に全面的な同意はしないが、朝鮮半島の真実の歴史を簡潔に理解するのに適当な書物である。韓国の学者が朝鮮半島史の真実を直視して描いていることに意義がある。同時に、共産主義政権とでもいうべきアメリカのルーズヴェルト・トルーマン政権が、日本を去勢するために押し付けた日本国憲法を天与の聖典視して、国防をアメリカまかせにしている現代の日本人に対する警告の書ともなっている。ソ連が崩壊した後もなお共産主義思想(と戦勝国)が撒き散らした日本を貶めるためのウソ(政治的プロパガンダ)がアジアを始め広く世界に拡がっており、政治的にアジアから共産主義勢力を一掃することこそが、平和な生活を希求するアジア近隣諸国民に対する日本の責務である。国防を外国に依存しても、外国には外国の事情があり、いざとなれば寄合所帯の国連など何の役にも立たない。日本は一日も早く憲法を改正し、自国を護れるだけの正規軍を整備すべきです。国防をシナの王朝に依存し、腐敗を極め、ついには滅亡せざるを得なかった李氏朝鮮の轍を踏んではならない。現代においてこそ、日本には新たな富国強兵政策が必要とされているのである。
「韓民族は、李成桂が李朝を開いた一三九二年以降、一九一〇年まで五一八年間に及んだ暗黒時代を通じて、両班が党派を組んで空理空論を戦わせ、血で血をもって争うのが、政治だと錯覚するようになった。」、「李氏朝鮮は、安定した社会をつくるために必要な継続性がなかった。政治とは党派を組んで、相手を蹴落とすことでしかなかった。・・・このような環境のもとでは、公共精神が育ちようがなかった。法が軽んじられ、勝つことが正義となった。」、「壬辰倭乱は晩年の秀吉が、明を征服しようという誇大妄想的な夢を描いたことから起こった・・・一五九一年六月に、対馬藩主の宗義智がソウルにやってきて、はじめて「仮道入明」を正式に請うた。・・・だが、李朝は明を宗主国として仰いで慕っていたから、もとからこのような要請を受け入れるはずがなかった。・・・戦闘が始まった。日本軍は快速をもって進撃し、釜山浦に上陸した二〇日後に、ソウルを占領した。・・・朝鮮は、正規軍を持っていなかった。つまり、まったく無防備状態にあった。・・・宗主国である明に、急いで救援を請願するだけだった。明に防衛をすべて委ねていて、他力本願の属国根性しか持っていなかったからである。」、「今日の日本が、アメリカ文化を競うようにして模倣して恥じることなく、アメリカに国家の安全と未来をすべて託しているのを見ると、李氏朝鮮の中国に対する事大主義を想起せざるをえない。」、「日本の皇室が神話から生まれ出て、ひたすら神事に没頭する無私な神官の一家であって・・そのような伝統を持つ皇室を戴いてきた日本民族は、幸せである。日本の皇室は明治から昭和二十(一九四五)年まで、西洋を模倣した一時期を除けば、王室よりも修道院に似ていた。日本も・・天皇家がなくなれば、李氏朝鮮と同じようになる可能性が高い。・・・天皇家は日本人にとって、安全弁のようなものだろう。」、「五一八年間続いた李氏朝鮮も、北朝鮮のこれまでの歴史も、中国の悠久の歴史も、残酷きわまる流血の歴史である。百姓を奴隷の境遇に転落させ、文字どおり限りない収奪と、大量の餓死が繰り返された。」、「李朝は倒れるべくして、倒れた。李氏朝鮮は儒教の朱子学を国教として定めながら、美辞麗句を弄ぶ裏で、私利私欲に駆られた党派抗争に耽って、汚れきっていた。おぞましい階級制度によって、民衆をほしいままに苦しめて、収奪した。李氏朝鮮は今日の北朝鮮とまったく変わらず、人民には餓死するか、公開処刑によって死ぬか、強制収容所に入る自由しかなかった。・・・李氏朝鮮は骨の髄まで腐りきっていた。そこで人民の解放は、韓日併合という他力本願のものとならざるをえなかったのである。」(本文より)
ちなみに、高麗王朝を裏切って李氏朝鮮を開いた李成桂は韓族ではなく、女真族(満洲族)との有力な説がある。李氏朝鮮後期の内情を知るうえでは、有名な「朝鮮紀行~英国夫人の見た李朝末期」(イザベラ・バード著、時岡敬子訳、講談社、1998年8月発行、¥1,733[税込み]:1894年~1897年にかけて著者が朝鮮を旅行したときの記録。日清戦争前後の激動の時代です)以外にも、以下の書物がある。
・「朝鮮幽囚記」ヘンドリック・ハメル著、生田滋 訳、平凡社、1969年2月発行、¥2,100(税込み):江戸時代に長崎へ向っていたオランダ商船が東シナ海で遭難、乗組員(三十数名)が朝鮮に幽囚の身となったときの李氏朝鮮を書き残している記録。
・「朝鮮旅行記」ガリーナ・ダヴィドヴナ チャガイ著、井上紘一 訳、平凡社、1992年3月発行、¥2,940(税込み):1880~90年代、複数のロシア人が朝鮮を旅行したときの記録。

「竹島は日韓どちらのものか」下條正男著、文春新書、2004年4月発行、¥680+税

著者は1950年長野県生まれ。15年間にわたる韓国での研究生活を経験。歴史的な数多くの資料を駆使して(現在の)竹島が日韓どちらの領土かを論じている。歴史的には鬱陵島(あるいはその属島)を竹嶋と呼んでいた時期があり、その竹嶋について日韓に過去、領土問題が存在したことを明らかにしている。その当時、現在の竹島は松島と呼ばれており、領土問題などまったく存在しなかった場所である。
現在の竹島が歴史的にも国際法上も日本の領土であることは、You Tubeでも以下のように説明されている。


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