ペルリ来寇から今日までを論ず  加瀬英明  その3  万世一系の御皇統を崇める

2011年7月7日 木曜日

わが御皇室が姓をお持ちにならないのに対して、中国の王朝は天命を授かって民衆のなかから興って、時の王朝を倒して皇位を纂奪したから、姓がある。だから一族が中心にあって、天下を自分たち一族の私物だとみなした。漢王朝は劉が姓であり、唐王朝の姓は李だった。元王朝を倒して、明朝を開いた朱元璋(しょう)は、貧農の出身だった。二十代で軍に入ってから頭角を現わし、ついには洪武帝元璋となった。

中国では天命によって易姓革命が行なわれるというものの、強者が覇者になるというだけのことだった。皇帝が徳――権力の独占者だった。歴代の王朝は、人民の膏血を絞れるだけ絞って、贅のかぎりを尽した。どの王朝も、天下を私物化した。中国では「君臣」といっても、皇帝とその使用人だけを指していた。民は「生民」とか、「小民」とか、「草民」と呼ばれた。草民は刈れば、また、いくらでも生えてくるという意味だった。

中国では王朝と人民とは、つねに対立関係にあった。人民は王朝を信頼することがなかった。中国でも朝鮮でも、人々は専(もっぱ)ら自分自身と、自分の一族を守ることに努めなければならなかった。今日の中華人民共和国も、易姓革命によって出現した中華王朝であることに、まったく変わりがない。中国にはいまだに公の概念がない。

日本と中国は、対照的であってきた。今上陛下が百二十五代に当たられるが、百二十五人の天皇のなかで、お一人として贅を尽された方は、おいでにならない。つねに質素を旨とされ、「天皇に私(わたくし)なし」といわれるが、国民を想われて、神事に真摯に取り組まれてこられた。有難いことである。もし、万世一系の御皇室がなかったとしたら、日本は中国や、朝鮮と変らないような国となっていたはずである。

天皇と国民はつねに利害を同じくして、苦楽を分かち合い、歴史を通じて、相互の信頼と敬愛によって結ばれてきた。天皇と国民のこのような絆(きずな)が、日本の政治文化と生活文化を律してきた。ここから、和の精神が培われてきた。今日でも、日本では子どもを育てる時に、「みんなと仲よくしなさい」というのに対して、中国では「ひとに騙されないように」という。(これは、あるとき黄文雄先生にたずねたら、そう教えられた。)

私は多少、朝鮮語ができるが、韓国ではいまでも、子どもに「一番(イル)に(トウンイ)なりなさい(・テオラ!)」「負けないで(チジマ!)」と、いい聞かせて育てる。日本は和の社会であってきたから、たとえスポーツ競技でビリになったとしても、最善をつくして頑張ったら、評価されるが、韓国では勝たなければ、軽蔑される。

皇(こう)極(ぎょく)四(六四五年)年に、女帝であられた皇極天皇のもとで、大化改新が断行された。それまで、日本では豪族が日本を分けて支配していたのを、大化改新によって、天皇が全国を直接治めるように改めた。明治の廃藩置県と、同じことを行ったのだった。
皇極天皇は大化改新に当たって、「今始(はじ)めて万国(くにぐに)を治めんとす」「万民宰(おさ)むるは独り制(おさ)むべからず、要(かなら)ず民の翼(たすけ)を須(ま)つ」という、勅(みことのり)を発されている。これは、聖徳太子がその四十一年前に、十七条憲法を制定して、「和ヲ以(もつ)テ貴(とうと)シトナス」と諭されたのと、同じ線上にある。第十七条目は、大切なことはみんなでよく相談して決めなさい、全員で話し合って決定したことは正しいと、定めている。これは、世界最古の民主憲法であって、大いに誇るべきことだ。日本の国号として、大和(やまと)があるが、和によって結ばれてきた。日本は二千年以上にわたって、万世一系の天皇を尊ぶことによって、一つにまとまってきた。

明治維新は日本の内にあった思想から、発した。古代から胍々として伝わってきた尊皇精神によって、成し遂げられた。今年は中国の辛亥革命の百周年に当たるが、孫文の三民主義は西洋から借りてきた物だった。もっとも、辛亥革命の主役は、袁世凱だった。孫文は「近代中国の父」といわれているものの、脇役でしかなかった。辛亥革命は武昌蜂起によってもたらされたが、孫文はそのあいだ、アメリカとヨーロッパに遊んでおり、武昌蜂起の三ヶ月後になって、ようやく帰国している。

孫文が中国人は「一盤散(いちばんさん)砂(しゃ)」――まるで大きな皿に盛った、砂の山のようで、すぐに散り散ってしまうと嘆いたことは、よく知られている。中国が不信のうえに築かれた社会であるのに対して、日本は和によって束ねられてきた。

日本の国歌『君が代』は、古今集からとったものである。「君が代は千代に八千代に
さざれ石の巖(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」という歌詞は、日本の国歌としてもっともふさわしいものだ。細(こまか)い石である「さざれ石」が集まって、一つの「巖(いわお)」となるから、中国と正反対の国柄である。

私は天皇陛下が生き神であられることを、信じている。
ラフカディオ・ハーンーー小泉八雲の作品にし『生神』があるが、徳川期に浜口五兵衛という圧屋がいて、その徳行のために、村民が堂をたてて、生きながら浜口大明神として祭られたという事実にもとずいている。日本では倣(おご)る神が存在せず、神と人のあいだの境界がはっきりとしていない。

私は海外で日本文化について講演することがあるが、日本の神々は山や森にましまして、鎮まっていられるという時に、外国諸語に神が「鎮まっている」という言葉がないので、長く説明しなければならない。ユダヤ・キリスト・イスラム教の唯一神は能動的で、人々の生活の細かいところまで干渉する。

西洋の王や、為政者は、長いあいだその神のように専制者だった。今日の中国も絶対権力を正当化する儒教国家であることに、変わりがない。
天皇陛下は、杜のなかに鎮まっていられる。国民は天皇にご心配をおかけしないように、身を律して生きることを求められている。世界に類(たぐい)ない、君臣一体の国柄である。

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