上海大虐殺を防いだ海軍陸戦隊の敢闘 ― 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

2010年1月1日 金曜日

一、 昭和12年8月13日、上海の非武装地帯に潜入していた中国正規軍は、外国人居住地区の租界に居住する日本人3万人を守る4千の海軍陸戦隊に対して一斉攻撃をかけてきた。航空機も含めた本格的な攻撃であり、しかもこれは一方的な攻撃であったことは、反日的であったニューヨークタイムズですら認めていることである。 (1937・8・31日付ニューヨークタイムズより)
    上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。
二、 4千の陸戦隊に対して、中国正規軍は十倍近い3万、しかもドイツ軍事顧問団に訓練され、ドイツ式装備の精鋭部隊である。常識で考えれば、また中国側の思惑では、中国軍は圧勝したはずである。急遽2千の追加部隊はあったが、それでも戦力差は圧倒的ある。しかし、陸戦隊はここで驚異的な敢闘を行い、中国軍の租界への侵入を阻止したのである。事態の重大性を認めた日本政府は、内地より2個師団の上海派遣を決定したが、その第一陣がようやく上海の呉淞桟橋に上陸したのは8月23日であった。約10日間にわたって十倍近い大軍の攻撃を食い止めた陸戦隊の奮戦はまさに特筆大書すべき殊勲甲の偉業であった。
三、 もし防衛線が突破されていたら何が起こったかを考えると戦慄が走る。7月29日には、北京の東15キロにある通州と言う町で、日本軍が手薄になった隙を突いて中国軍保安隊が400名余りの在住日本人のうち260名を文字通り惨殺の限りを尽くすという事件が起きている。女性はことごとく強姦され、内臓はえぐられ、目はくり抜かれ、というもはばかれるような大虐殺が中国軍によって実際に行われたのである。防衛線が突破されていたなら、上海の3万の日本人民間人がこうむった被害も大同小異であったろう。260名の大虐殺の十倍、或いはそれ以上の悲惨な事件が起こっていた可能性が高いのである。これを防いだ陸戦隊の功績大であることはいくら強調してもしきれない。
四、 上海戦こそは、正確な意味での日中戦争(支那事変)の始まりである。盧溝橋事件は、中国側が仕掛けた挑発であるが、上海の攻撃は正規軍の組織的な本格攻撃である。しかも合法的に駐屯していた日本軍を一方的に攻撃してきたのである。自国の中であってもこれは侵略行為であり、したがって日中戦争は中国の侵略戦争なのである。上海周辺に2万個のトーチカ網を構築し、ドイツ式装備近代軍50万を上海に投入したが、ついに日本軍に破れ南京へ敗走したのである。日本軍も日露戦争の旅順以来という4万余の損害をこうむった。こうして日中戦争は始まり拡大したのであって、何も日本の侵略でも何でもないのである。
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