2013年 のアーカイブ

SDHF Newsletter No.62J スルヤ・ボース講演

スルヤ・クマール・ボース氏の講演
(大東亜会議70周年記念大会)

 11月6日、東京憲政記念館において大東亜会議70周年記念大会が開催されました。70年前の大東亜会議で、感動的なスピーチをした、インド仮政府のチャンドラ・ボース首班の親族(兄の孫)である、スルヤ・ボース氏が、基調講演を行いました。
 素晴らしい内容でした。ビルマのバー・モウ首相が会議で「インドの独立なくしてアジアの独立なし」と述べたこと、そしてこれに答えて、チャンドラ・ボースが「本会議は解放された諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義及び互助の原則に基づき、世界のこの地域に新秩序を創建しようとする会議です。」と述べたことを紹介しつつ、いかにこの会議がアジアの人々にとって画期的な意義のある会であったのか、またそれは世界にとって大きな意味のある会議であったのか、ということを述べています。
 大東亜会議が、日本の傀儡政権を集めた会議だなどと偉そうに言う人は、このボース氏の講演に耳を傾け、さらに会議の参加者の烈々たる主張に一度は耳を傾けてほしいものです。あなたこそが欧米の傀儡かもしれません。アジア人を馬鹿にしてはいけません。
英文を下記の通り英語版サイトに掲載し、NewsletterNo.62で海外に広く発信しました。
日本語訳はこちら:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Bose.pdf

  平成25年11月30日 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道拝

Surya Kumar Bose’s Address at 70th Anniversary of
Greater Asia Conference
Mr. Surya Bose, grand children of brother of Netaji Subhas Chandra Bose made a speech at a conference memorizing 70th Anniversary of Greater East Asia Conference which was held on 5th and 6th of November, 1943.
The modern media claims that Japan’s war against Europeans and Americans 70 years ago was merely an extension of the global “aggressive war” that was World War II. However, a closer look at the Greater East Asia War will demonstrate that it was in fact an Asian struggle against Western colonialism. A show of Asian unity was the Tokyo Greater East Asia Conference.
The aim of the Conference was to declare a new order in East Asia, an order that was free of Western colonialism and to start a new era with Asians in full control of their own destiny. Given her historical and cultural significance, India was seen as pivotal to Asian freedom. Indeed, Prime Minister of Burma Dr. Baw Maw, who spoke at the Conference, emphatically stated: “Asia… cannot be truly free unless India is also free”.
*Full text: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/103_S4.pdf
*Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/103_S2.pdf
*Author profile: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/103_S3.pdf

Questions are welcome.

Sincerely,

MOTEKI Hiromichi, Secretary General
for KASE Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact

スルヤ・クマール・ボース氏の講演(25-11-6 憲政記念会館)

スルヤ・クマール・ボース氏の講演(25-11-6 憲政記念会館)

Mr. Surya Bose’s Address at 70th Anniversary Conference in Tokyo

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11月の集計

11月に頂いたご支援の集計です

11/4,M.S,様 10,000 個人会員
11/5,K.N,様 10,000 寄付
11/5,D.S,様 10,000 寄付
11/5,S.T,様 10,000 寄付
11/6,J.T,様 10,000 個人会員
11/6,A.K,様 10,000 個人会員
11/8,F.K,様 10,000 個人会員
11/11,T.S,様 10,000 寄付
11/11,E.K,様 10,000 個人会員
11/12,N.S,様 10,000 個人会員
11/12,S.D,様 10,000 寄付
11/13,M.I,様 10,000 個人会員
11/14,Y.M,様 10,000 個人会員
11/14,H.K,様 2,000 寄付
11/14,O.K,様 10,000 個人会員
11/15,K.I,様 5,000 寄付
11/28,S.K,様 12,000 寄付
11/29,Y.J,様 100,000 寄付

合計   259,000円
誠に有難うございました。

SDHF Newsletter No.61 戦後日本を支えた大東亜戦争の遺産(江崎道朗)

戦後日本を支えた大東亜戦争の遺産(江崎道朗)

 今から70年前の昭和18年11月5日、6日に国会議事堂で世界史上初の有色人種による人種平等サミットが開かれました。参加国は、日本のほか中華民国(南京政権)、タイ国、満洲国、フィリピン、ビルマ、インド(仮政府)
です。インドネシアはまだ独立への体制が整わず、参加できませんでした。(日本政府は翌19年の9月にインドネシア独立を決定しています。)
 この会議を傀儡政権を集めたものと切り捨てる人がいますが、各国代表の堂々たる、そして熱烈なアジア独立を訴える演説を一度でも読んだことがあるのでしょうか。読みもせず、そんなことを言っているのは、精神的に欧米の「傀儡」もしくは、既成観念の奴隷になっているということを知っていただきたいものです。
 さて、江崎さんのこの論文は、大東亜戦争はアジアの独立をもたらしたことは言うまでもなく、日本は戦後その恩恵をアジア色から受けているのだ、ということも述べています。
 何よりの皮肉は、日本を侵略国家であると断罪した「東京裁判」が行われている正にその時に、日本が解放したアジアを軍事侵略していたということです。
オランダはイギリスのバックアップにより、インドネシアに再襲来し、日本が育てたペタを中核とする独立軍と何と3年半も戦い、多くの犠牲者を出したのですが、その時東京裁判ではオランダ・イギリスを含む連合軍が、何と日本を「侵略者」として裁いていたのでした。
 この江崎論文は、最初『別冊正論』第10号に「東京裁判克服もうひとつの意義」と題して掲載されたものですが、『コミンテルンとルーズベルトの時限爆弾』(展転社)に掲記タイトルで収録されたものです。
    http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Legacies.pdf
英訳版を下記の通り英語版サイトに掲載し、NewsletterNo.61で海外に広く発信しました。
  平成25年11月1日 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道拝

Legacy of the Greater East Asia War that Supports Postwar Japan
by EZAKI Michio, political analyst
November 1st, 2013

Mr. EZAKI Michio, writes that turmoil and conflict in Asia did not end with the Greater East Asia War in August 1945. Japan forcibly ended foreign colonialism in Asia and Asians declared independence, yet Europeans and Americans rush in to fill the void at the end of the War. As an ironic twist, Mr. Ezaki points out that while Europe and America were reasserting their supremacy over their former colonies, with countless Asian lives being lost in the process, Japan was accused of being an “aggressor” and tried for “crimes against peace” at the Tokyo Trials.
For those who have forgotten, Mr. Ezaki reiterates how the indigenous Asian peoples rejoiced upon the arrival of the Japanese and the departure of the Americans and Europeans. For example, leaders of post-war India and Indonesia have expressed their appreciation of the Japanese in training and arming their people. Furthermore, Mr. Ezaki describes how, after the end of the Greater East Asia War, the Allies waged their own “aggressive war” against Asia. The murderous attempts by the Dutch to reclaim Indonesia as its colony, what they called “police actions,” were merely a different shade of “aggressive war”. After three and a half years of conflict, between an ill-equipped Indonesia militia against modern European military machines (of the British as well as the Dutch), hundreds of thousands of Indonesian lives were lost. As if the lives lost and property destroyed were not enough, the Dutch audaciously sued the Indonesians for damages as the price for independence. It was not until 2005 that the Dutch finally recognized Indonesia’s 1945 Declaration of Independence.

*Summary:  http://www.sdh-fact.com/CL02_1/102_S2.pdf
*Full text:  http://www.sdh-fact.com/CL02_1/102_S4.pdf
*Author profile:  http://www.sdh-fact.com/CL02_1/102_S3.pdf

Sincerely,

MOTEKI Hiromichi, Secretary General
for KASE Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact

10月の集計

10月に頂いたご支援の集計です

10/1,T. Y,様, 10,000 個人会員
10/7,T. Y,様, 10,000 個人会員
10/7,S. T,様, 15,000 個人会員+寄付
10/8,K. F,様, 10,000 個人会員
10/8,D. K,様, 10,000 寄付
10/9,H. K,様, 2,000 寄付
10/9,S. M,様, 10,000 個人会員
10/9,I. T,様, 3,000 寄付
10/10,S. M,様, 20,000 寄付
10/10,K. T,様, 10,000 個人会員
10/10,Y. M,様, 10,000 寄付
10/10,F. K,様, 10,000 個人会員
10/10,S. N,様, 10,000 個人会員
10/10,T. S,様, 10,000 個人会員
10/10,M. N,様, 10,000 個人会員
10/10,U. T,様, 10,000 寄付
10/11,N. T,様, 10,000 寄付
10/11,T. Y,様, 5,000 寄付
10/11,I. S,様, 10,000 寄付
10/11,F. M,様, 50,000 寄付
10/11,N. T,様, 20,000 寄付
10/11,I. N,様, 20,000 個人会員
10/11,M. S,様, 10,000 寄付
10/11,M. F,様, 10,000 個人会員
10/11,S. N,様, 10,000 個人会員
10/15,T. S,様, 10,000 個人会員
10/15,S. K,様, 10,000 個人会員
10/15,K. S,様, 20,000 個人会員
10/15,N. M,様, 10,000 個人会員
10/15,N. S,様, 10,000 寄付
10/15,M. T,様, 100,000 寄付
10/15,H. Y,様, 10,000 個人会員
10/15,I. T,様, 10,000 個人会員
10/15,S. F,様, 10,000 個人会員
10/16,K. S,様, 10,000 個人会員
10/16,F. D,様, 2,000 寄付
10/16,M. S,様, 10,000 個人会員
10/16,K. I,様, 5,000 寄付
10/17,N. J,様, 10,000 個人会員
10/17,U. K,様, 50,000 寄付
10/17,U. T,様, 10,000 個人会員
10/17,T. O,様, 10,000 個人会員
10/17,Y. S,様, 10,000 個人会員
10/18,K. Y,様, 300,000 法人会員
10/18,K. H,様, 10,000 寄付
10/18,S. T,様, 10,000 寄付
10/18,N. J,様, 10,000 個人会員
10/18, I, K 様, 10,000 個人会員
10/18,S. A,様, 10,000 個人会員
10/18,T. H,様, 2,000 寄付
10/19,N. Y,様, 3,000 寄付
10/21,S. T,様, 5,000 寄付
10/21,I. H,様, 30,000 個人会員
10/21,K. T,様, 10,000 個人会員
10/21,O. S,様, 10,000 寄付
10/22,O. T,様, 40,000 個人会員+寄付金
10/22,I. K,様, 20,000 寄付
10/22,I. Y,様, 10,000 個人会員
10/23,K. T,様, 10,000 寄付
10/23,I. K,様, 5,000 寄付
10/24,K. K,様, 10,000 個人会員
10/24,A. T,様, 3,000 寄付
10/24,U. Y,様, 10,000 個人会員
10/28,S. T,様, 10,000 寄付
10/31,K. F,様, 10,000 個人会員

合計  1,150,000円
誠に有難うございました。

戦後日本を支えた大東亜戦争の遺産 (江崎道朗)

戦後日本を支えた大東亜戦争の遺産 (江崎道朗)

Legacies of the Greater East Asia War

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9月の集計

9月に頂いたご支援の集計です

9/2,U .Y,様 10,000 個人会員
9/2,M .S,様 10,000 個人会員
9/2,N .K,様 10,000 個人会員
9/4,H .T,様 50,000 個人会員
9/6,I .S,様 10,000 個人会員
9/9,Y .H,様 10,000 個人会員
9/9,N .K,様 10,000 個人会員
9/9,H .M,様 10,000 個人会員
9/9,H .T,様 5,000 寄付
9/10,K .A,様 30,000 個人会員
9/10,K .T,様 20,000 個人会員
9/10,H .T,様 10,000 個人会員
9/10,I .T,様 10,000 個人会員
9/11,H .K,様 2,000 寄付
9/11,Y .S,様 3,000 個人会員
9/12,Y .S,様 10,000 個人会員
9/12,M .M,様 10,000 個人会員
9/12,U .K,様 10,000 個人会員
9/13,N .Y,様 10,000 個人会員
9/17,T .S,様 50,000 寄付
9/17,Y .N,様 10,000 個人会員
9/17,K .I,様 5,000 寄付
9/18,S .T,様 10,000 寄付
9/18,M .G,様 10,000 個人会員
9/19,H .K,様 300,000 法人会員
9/20,H .T,様 10,000 個人会員
9/20,H .Y,様 10,000 個人会員
9/20,M .M,様 10,000 個人会員
9/30,O .A,様 10,000 個人会員
9/30,W .K,様 10,000 個人会員
9/30,S .J,様 10,000 寄付

合計  685,000円
誠に有難うございました。

「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」水間政憲著、PHP研究所、2012年7月発行、¥1,500(税別)

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著者は1950年、北海道生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科中退、近代史研究家。
本書は、日本の領土(尖閣諸島、竹島)、中国におけるいわゆる「南京大虐殺問題」、慰安婦問題に焦点を絞って、Visibleな(目に見える)各種一次資料を提示しながらその真実を紹介し、中国(&台湾)や韓国(朝鮮)の主張のウソを暴いている。
尖閣諸島: 本会の「掲載文献」にも紹介されているが、中国が1960年に出版した地図と台湾が1965年に発行した地図において、尖閣諸島は日本の領土と明記されている。1920年に中華民国が出した日本人宛の感謝状にも「日本帝国沖縄県八重山郡、尖閣列島内の和洋島(魚釣島の別称)」と記されている。
1968年、アジア極東経済委員会が尖閣諸島周辺海域にペルシァ湾級の石油・天然ガスが埋蔵されている可能性を指摘してから中国は領有権の主張を始めた。台湾が領有権を主張し始めたのは、日米沖縄返還交渉の過程で佐藤栄作首相(当時)が米国側から申入れのあった同海域での石油資源共同開発を断った愚策にその原因がある。その後、米国石油メジャーが台湾政府を説得して同海域の採掘権を取得した。日露戦争後の桂・ハリマン仮協定の日本側からの一方的破棄の愚策を髣髴とさせる話ですが、アメリカも自己の経済的利益のためなら何でもする信用できない国であることがよく分かる。
竹島: 竹島は、日本が国際法の「無主地先占」の原則にしたがって、1905年1月28日に閣議決定を行い、島根県に編入した。第二次日韓協約(1905年11月17日)により日本が韓国(朝鮮)の外交権をほぼ接収し、保護国としたときよりも10ヶ月近く前のことである。韓国が1899年に発行していた教科書「大韓地誌」には、大韓国の位置として、北緯33度15分から42度25分、東経124度30分から130度35分の間、支那の東北部と日本海、黄海渤海の間にある突出した半島国であると記されている。竹島の位置は、北緯37度15分、東経131度52分であり、明らかに韓国領であったことはない。1951年署名(1952年発効)のサンフランシスコ講和条約でも竹島の帰属は国際的に日本領と確定している。講和条約の署名直前の韓国側からの問合せに対して、アメリカ側の責任者であったディーン・ラスク国務次官補は、1951年8月9日付けの文書による回答で、竹島の韓国への帰属を明確に否定しています。韓国は講和条約発効直前に李承晩ラインを勝手に制定し、竹島領有を一方的に主張して武力占拠しているだけです。当然、世界各国の地図でも竹島は日本領となっています。江戸時代に朝鮮と日本の間で領土争いがあったのは欝陵島と附属の干山(竹嶋)で、これは当時の日本側が妥協したようです。ただし、その欝陵島ですら「大韓地誌」では当時の朝鮮「江原道」の地域外となっています。
南京問題: 1936年12月に発生した西安事件で共産側に捕まった蒋介石は、それまでの態度を変え、共産主義勢力の思惑のまま共同で日本側を挑発し(1937年7月の盧溝橋事件、郎坊事件、広安門事件、通州事件)、同年8月13日には一方的に上海事変を起こして、武力により有無を言わせず日本側を戦争(支那事変)に引きずり込んだ。戦争に引きずり込まれた日本はその後、連戦連勝。同年12月13日には当時の首都南京が陥落。松井石根大将(上海派遣軍総司令官)は12月17日に南京入城を果たした。中国をこよなく愛した松井大将は、南京城攻略に当って国際法学者の助言を受け、事前に「南京城攻略要領」を発令して、日本軍による掠奪、放火、不法行為、外国権益の侵犯、無用の破壊などの無きよう慎重を期した。一方、蒋介石軍は陥落直前、卑劣にも毒ガスで逆襲し(毒ガスの研究・開発・備蓄はジュネーブ議定書でも禁止されていない)、いよいよとなると蒋介石夫妻や唐生智司令官、多くの支那側の司令官などは敗残兵を城内に残したまま逃亡した。残された支那の敗残兵は、掠奪、強姦、放火や破壊などを引き起こした。日本軍(皇軍)の軍紀は厳格を極め、12月17日には20万人であった南京城内の人口は、1ヵ月後の翌1938年1月17日には25万人と増加している。支那の良民は蒋介石軍ではなく日本軍を信頼していた証拠である。本書にはこうした事実がひと目でわかる一次資料が数多く掲載されている。中国が得意とするFake写真(偽造写真)でなく、本物の写真はすべての事実を伝えて余りある。いわゆる「南京大虐殺」は中国側の捏造(政治宣伝)であり、それが中共により現在も主張されているのは、政治的な日本攻撃材料として使えると彼らが考えているからである。そうした捏造により、聖将、松井石根大将は東京裁判で死刑となった。当時の中国とアメリカの罪はとてつもなく重いと言わざるを得ない。
慰安婦問題: この問題は本会の「掲載文献」にも何度も取り上げられているので詳述は避けるが、昭和8年の朝鮮半島の道議会議員の八割強が朝鮮人であり、市町村レベルの選挙も大体同比率であった。さらに、知事、判事、検事、警察署長、警察官、教員、総督府の役人など、あらゆるところで多くの朝鮮人が働いており、日本の官憲による組織的な慰安婦の強制連行などできるわけがない。違法な婦女子の誘拐は悪徳朝鮮人によるものであり、官憲(警察)はそうした犯罪を必死に取り締まっていた。韓国は現在も売春婦輸出大国であり、韓国内の性犯罪も日本の数倍に上っている。いわゆる「慰安婦の強制連行問題」というのは、日本人共産主義者、吉田清治が捏造し、朝日新聞が意図的にウソ報道をして拡散したものです。それを左翼反日日本人が国連に持ち込み、無知な西欧社会など、国際的にウソを広めたのが実態です。韓国・朝鮮と中共が、それを反日活動に利用しているのです。
中国は宣伝歴史認識、韓国・朝鮮は願望歴史認識。彼らの主張は歴史的事実に基づいたものではなく、歴史とは関係のない利己的な政治的主張です。中国も韓国・朝鮮も、初めから国際法や国際間の条約、契約などを遵守する気はなく、現在もなお、近代国家ではありません。というよりも、近代国家を経営していくだけの能力に欠けていると言うのが正確なところでしょう。ということは、彼らに通じるのは力の論理だけで、日本人の優しさや思いやり、人間の誠意や物事の道理、法や約束(契約)の大切さ、虚偽や詐術の犯罪性などといった普遍的な人類の価値は、彼らの指導層には理解できないのです。こういう隣国を抱えている日本は、早急に国防軍を整備し、平成の富国強兵を図って、自国で自国を防衛できるだけの力を蓄える必要があります。日本は中国や韓国・朝鮮と距離を置く前提で国家経営を考えるべきです。現在の日本が頼みとしているアメリカも、国民の文化的なレベルや民度においては中国や韓国・朝鮮に同調する土壌があり、容易に彼らのウソにだまされる無知なところがあります。日本の国防をアメリカに委ねて安心していると、いずれ取り返しのつかないことになってしまいます。日本人は今こそ、自立する覚悟を持つべきときに来ているのです。
なお、同著者による下記の類書も、当時の実像を知る上で有益です。

・「朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実」、水間政憲著、徳間書店、2010年7月発行、¥1,680(税込み)

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・「ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実」、水間政憲著、PHP研究所、2013年2月発行、¥1,575(税込み)

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・「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」、水間政憲著、PHP研究所、2013年5月発行、¥1,575(税込み)

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戦前および戦時中のことは、当時の新聞記事や雑誌の記事、報道写真などを見れば一目瞭然のはずなのに、なぜこうした書籍が最近まで出版されなかったのか、筆者は不思議に思っています。

「「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945」ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー共著、塩谷紘訳、草思社、2013年8月発行、¥2,730(税込み)

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米国の研究者が日本の統治政策をヨーロッパ列強の植民地政策と比較し可能なかぎり客観的に検証。それが穏健、公平で日朝の相互発展をめざすものだったと評価し、民族主義に偏した史観に修正を迫る。

「THE NEW KOREA –朝鮮が劇的に豊かになった時代」アレン・アイルランド著、桜の花出版編集部編集、桜の花出版、2013年8月発行、¥2,940(税込み)

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植民地研究の第一人者の日韓併合分析。20世紀初頭の朝鮮半島の真実が語られている。 本書冒頭で、北東アジアにおける朝鮮の地政学的重要性について、「近東におけるトルコ、大英帝国におけるエジプト、あるいは米国におけるパナマ運 河地域が重要なのと同じである」と、現代に通じる重要な考察を行なっている。

≪帯の言葉より≫
日韓併合前の朝鮮では日本と全く異なり女性は奴隷同然で何の権利も与えられていなかった。結婚すれば家屋内奴隷として扱われ、それは余りに過酷 だった。

それ以下だったのは、奴婢(ノビ)・白丁(ペクチョン)と言われた本物の奴隷たちである。1871~2年の大飢饉では、人口の半分を占めた奴婢ら の多くが、餓死したが朝鮮を支配していた両班(ヤンバン)たちは、清にも日本にも食糧支援を求めず、奴婢たちの死に行くのを全く歯牙にもかけな かった。この様な非人道的制度を一気に改善し、想像を絶した朝鮮の近代化を行なったのが、日韓合邦の歴史的事実である。

その真の姿は、巨額の予算を当時、首都京城(ソウル)を東京よりも近代化させてしまった日本人の器の大きさで証明されている。インフラ面だけでな く、衛生面での改善も著しく、感染病の多くが激減した事など枚挙に暇がない。他の一切の西欧列強が成し得なかった信じ難いこの偉業を日本人は誇る べきであり、当時朝鮮人と台湾人の大半が喜んでいたことであった。しかし、朝鮮では全権力を奪われた両班たちが第二次世界大戦後この事実を覆い隠 し、虚偽の歴史を捏造し、再びと権力の座に就いて、言論弾圧と私刑(リンチ)とによって真実の声を封殺し、現在の韓国に到らしている。

蒙古襲来時に蒙古の手先となって日本人を虐殺したように、19世紀末当時は、ロシアの手先となって、日本を侵略することが目に見えていた当時の朝 鮮に対して取った大日本帝国の日韓併合政策は、結果として韓国に決定的な文明の開化を齎したのである。この客観的事実を、当時最も著名な植民地研 究家のアレン・アイルランドが克明に分析し日本の統治を西欧列強のいかなる政策よりも優れているとして高い評価を与えていることは刮目に価する。

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