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尖閣―中国の主張に只の一点も根拠なし 「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

2011年2月10日 木曜日

1971年、中国政府はそれまで実質的に日本領と認めていた(地図・人民日報記事その他で)尖閣諸島に対して、突如領有権を主張し出した。よく知られているように、尖閣周辺海底に膨大な石油・天然ガス埋蔵の可能性があると言う国連極東経済委員会の調査の発表を受けてのことである。ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは昨年の尖閣事件以降の中国の身勝手な振る舞いに対して「ならずもの経済大国」とヘラルド・トリビューン紙で非難した。おいしいものを見た途端に「オレのものだ」と領有宣言をするのは、はまさに「ならずもの」の所業である。さらに図々しくも1992年には領海法を制定して、尖閣を「正式に」領土に組み入れた。

 中国があれほど強硬に主張するのだから、それなりの根拠があるのかもしれないと思う人がいたら、それはとんでもない勘違いである。中国は古い歴史があるのだから、古文書、古地図に何か載っているのではないか、と思うかもしれないが、そんなものは国際法的に何の領有権の根拠になるものではないのである。

 中国政府は、琉球冊封使の記録に、尖閣の図が出ており、記述されているという事を一つの論拠にしている。琉球冊封使の最初の記録は1534年に書かれた陳侃(ちんかん)の『使琉球録』であるが、ここに鈞魚島がでてくる。しかし、これは航海途上の目印的な島として出てくるだけであり、領土とは全く関係がない。そればかりか、明の福建人は航路をよく知らないので、よく知っている琉球人が冊封船の船員の中心となっていたという事がこの本の中に書かれている。つまり、釣魚島を中国人に教えたのは琉球人なのであり、それを記録に書いたから中国の領土だなどという非論理的暴論、というよりも子供並の主張は全く成り立たないのである。

 さらに、航海途上の島の中には当時小琉球と呼ばれた台湾が出てくる。しかし、明の時代には台湾は明の版図には入っていなかったことは云うまでもない。中国人は台湾のことはほとんど知らなかったので、小琉球などと呼び、外夷としていたのである。つまり出ていたからといって領土の根拠には全くならないのである。
 清の時代になり、ようやく台湾を版図に組み入れる。清の時代の最も重要な官選文書に『大清会典』がある。康熙帝の1690年に最初に編纂されたものである。169巻の大部のものである。光緒帝の1899年に出たのが最後の版であるが、ここには台湾省全図・台湾府図・台南府図・台東州府図が掲載されているが。しかしそのいずれにも釣魚島、尖閣諸島はでていない。当然である。住むことはおろか着岸することもできない、航路の標識島を版図と記述するはずもないのである。
 
このように、中国の公文書に尖閣諸島がその版図として記載されたことは皆無なのである。古い記録のある国のことだから何か根拠があるなるだろうと思ったら大間違いである。そんな虚仮脅し的な考えにとらわれてはいけない。中国の領有主張にはこれっぽちの正統性も存在しない、という事をしっかり認識すべきなのである。

ならずもの経済大国   「史実を世界に発信する会」茂木 弘道

2011年1月31日 月曜日

一、 ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンが中国の対日レアアース禁輸措置に関して昨年、ヘラルドトリビューン紙(10月19日付け)に寄稿し、「これはWTO違反であり、世界が合意したルールを守らず人民元を不正にやすく操作する中国は「ならず者経済大国」だ」ときめつけた。もっとも今頃そんなことを言い出すのはちょっと甘いのではないかと言いたくなる。これまで「ならずもの」を放置してきたからである。

二、 その最たるものは、人民元の自己中的な大幅切り下げである。最近人民元を一定の範囲で変動を許し、結果として20%ほど切り上げたのであるが、これはとても国際相場を反映したものではなく、中国政府の不正操作は明らかである。クルーグマンもそれを指摘しているのだろうが、どっこい中国の人民元不当操作は、その程度のものではないのである。次の数字を見てほしい。

                80年=100 90年=100
1980年 1ドル=1.53元     100
1990年 1ドル=5.22元      29     100
1995年 1ドル=8.31元      18      56
現在    1ドル=6.60元      23      79

三、 このように、1980年の頃は、人民元は1ドル1.53元という今からでは考えられない高いレートであった。元は中国人民の勤労によって支えられている世界で最も安定した通貨である、などとほらを吹いていたくらいである。しかし、改革開放・市場自由化政策を進めると人民元の過大評価に直面し、何と71%切り下げて、5.22元としたのである。競争相手である、東南アジア諸国等の低賃金国に対する強烈なパンチとなった。当時は中国自体の生産能力がそれほど大きくなかったので大きな問題とはされなかった。しかし、中国は1995年、さらに一方的に37%の切り下げを行い、8.31元とする。これは東南アジア諸国には大打撃となった。1997年から始まるアジア通貨危機は、ヘッジファンドの通貨操作が悪者として非難されたが、実はより根本的な理由は中国のこの大幅元切り下げにあったのである。

四、 80年代からすると18%という超低レートに強引に切り下げるという自己中的「近隣窮乏化」政策によって、輸出の大発展を遂げ、遂に世界一の外貨保有国家になりあがった。これを「中国モデル」などと得意になっているが、なんのことはない「ならず者モデル」にほかならない。元を以前の1.53に戻せとまでは言えないにしても、1990年切り下げ時の5.22までは戻せ、とくらいいうべきではないのか。20%強切り上げるとそうなる。それすら言ってないのがアメリカである。アメリカも、世界も日本も中国に甘すぎたつけを目下払いつつあるという事である。

「外国人参政権」を当然と考える議員がなぜ多いのか― 「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

2011年1月6日 木曜日

一、      「外国人参政権」は日本国憲法にすら明らかに違反している暴論である。その第一五条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である」と明記されている。地方参政権はこれに当てはまらない、などと解釈される余地もゼロである。にもかかわらず、民主党、社民党、公明党の議員のみならず、自民党にもこれを支持する議員がかなり存在する。不思議なことに、憲法護持派の議員にこの主張をするものが多いということだ。これは一体どういう事なのか。

二、      こんな奇妙奇天烈な考えが広まっていったのには実は「教科書」が果たした役割が大きいのである。小山常実教授の近著『公民教育が抱える大問題』(自由社)にそのからくりが明かにされている。

1)      昭和40年に出版された朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』は事実捏造に満ちたトンデモ本というべき内容のものであるが、左翼の間に広がり、いつの間にか歴史学者の間に定着してしまうようになった。そもそも日本人にも適用された「徴用」を「強制連行」などと称することが基本的に間違っている。

2)      昭和53年以降の歴史教科書には何と70万強制連行説が堂々と記述されるようになったのである。

3)      強制連行説が歴史教科書で広まったのを受けて今度は公民教科書がさらなる歪曲を重ねる。平成五年度版以降の公民教科書は、在日韓国・朝鮮人は強制連行されてきた人たちの子孫であると記述するようになったのである。

4)      公民教科書では人権・差別について強調する傾向が強まっているが、平成九年度以降「平等権」の例として在日韓国・朝鮮人差別の問題を大きく扱うようになり、参政権を与えないのは差別であると位置づけるようになるのである。現在では扶桑社版の公民教科書以外ではこう主張されているのである。

三、      要するに、公民教科書は在日に参政権を与えないのは差別だと説いているのである。従って、教科書の説を鵜呑みにしてよく勉強してきた学校優等生の議員は、外国人参政権を当然のこと、正しいことと考えているわけである。また日本国憲法護持派は「人権」第一派でもあるので、実は憲法大違反という事も忘れて(理解せずに?)外国人参政権に賛成しているというわけである。

四、      教科書は全く間違っている。強制連行など存在しないし、更に徴用で日本に来た朝鮮人で昭和34年時点で残っていた人も245人に過ぎなかった(平成22年衆議院外務委員会で確認されている)。ほとんどの在日は「望んで」日本に稼ぎに来た人たちの子孫なのだ。贖罪意識を植え付ける「強制連行」などという虚言、さらに在日がその子孫だなどとウソを書く教科書を許してはならない。こんなウソにだまされて愚かな主張をしている議員諸君は猛省すべきである。

慰安婦問題の大錯覚  「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

2010年12月18日 土曜日

慰安婦強制連行論の原点 
 そもそも戦前、慰安婦と呼ばれる売春婦がいたことは常識であり、それが問題になるなどという事は誰も考えていなかった。ところが、慰安婦は朝鮮の女性を軍と国家権力によって拉致、強制連行その他の強制によったものである、という荒唐無稽な論を言い出したものたちがいた。その代表が山口県労務報国会下関支部の動員部長をしていたと称する吉田清治である。済州島で慰安婦狩りをしたという生々しい話を『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』など四点の本に書いた。これが朝日新聞などによって大々的に取り上げられ、軍=悪というイメージを持つ人々に広がったのが慰安婦強制連行論の原点である。
済州新聞、郷土史家が全面否定 
戦前の日本は法治国家であり、国も軍も慰安婦強制連行など行えるはずはない。済州島では、吉田の話を聞いて驚き、郷土史家、済州新聞等が徹底的な聞き込み調査を行って調べてみた。工場に働きに出ている女性などが、拉致、連行などされたら部落で大問題、暴動が起こっておかしくはない。勿論そんなことは皆無であった。済州新聞の許栄善記者は虚構と結論をくだした記事を書いた。何故か、韓国ではこの現地情報は取り上げられることがなかった。
慰安所=売春宿、これがすべて 
日本も戦後昭和三三年までは売春は合法であり、従って売春宿は全国に存在した。慰安所とはこの売春宿が戦地に出張開業したものである。勿論軍はこの慰安所の安全確保、又衛生管理を職務として行ったが、営業は当然業者が行った。この戦地の売春宿で働いたのが「慰安婦」であるが、危険なとこへ行くので収入は内地よりかなり高かった。(なお、慰安婦の40%は日本人、韓国人はその半分ほどだった)。だから多くの女性が危険を冒して出かけたのであり、強制の必要性もなければ、軍にそのような権限はなかった。
 米軍の捕虜尋問記録には“「慰安婦」は売春婦或いは職業的なキャンプフォロアーにほかならない。月平均の収入750円”と書かれている。(US Office of War Information)750円とは少ないと思ったら違う。当時日本軍軍曹の月給は30円。軍曹の25倍も稼いでいたのが慰安婦である。これが性奴隷とは!
米軍はベトナムで売春宿をキャンプ内で営業させていた
 大東亜戦争から数十年後、日本でも売春は禁止となったころ、ベトナムで米軍は、現地の売春宿をキャンプ内で営業させて利用していた。日本の慰安所とほぼ同じであるが、この売春宿の管理は旅団長の直接指揮下で行われていたことが、スーザン・ブラウンミラーのベストセラー本「Against Our Will」(P.95)に書かれている。日本軍の事をどうこう言える立場では全くない。
 韓国にいる米軍は、韓国政府が用意した売春施設を利用していたことは「東亜日報」1961年9月14日の記事に詳しく書かれている。
犯罪的な河野談話 
要するに、慰安所はなんら非難される存在ではなく、又慰安婦強制連行などという事は、原理的にも又実際にもありえなかったという事である。
 しかしながら河野官房長官は「日本軍は悪いことをやったに違いない」という愚かな思い込みから何の証拠もないのに、日本が慰安婦強制を行ったかのような謝罪談話を出してしまった。この結果、アメリカ議会で日本は「性奴隷」などという事実無根の非難決議を受ける羽目に陥ったのである。カナダ、オランダ、EU議会もこれに続くありさまである。まさに万死に値する犯罪談話を出したのが河野洋平であった。
 未だに虚構を信じて慰安婦補償を行うべきなどという地方議会決議を行おうとする人たちがいる。岡崎トミ子も同じだ。許しがたいことである。善意のつもりでも無知にすぎない。無知は犯罪と知れ。

中国のイヌ  ―    「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

2010年11月30日 火曜日

一、      尖閣問題に対する菅内閣の対応、中でも仙谷官房長官の言動に対しては国民の憤りが沸騰している。しかしこれを「弱腰」あるいは仙谷流表現の「柳腰」と見るのは、全く見当はずれである。ビデオ公開を執拗に阻止してきたのは、「弱腰」のせいではない。ビデオの内容は日本の国家にとって何ら不利なものを含んでおらず、むしろ日本国家に極めて有利な内容である。したがってこれが日本の「国家機密」であるはずはない。しかし、中国にとっては決定的に不利な内容であり、いわば中国にとっての「国家機密」ともいうべき内容である。となると仙谷は中国の国家機密を守るために極めて「強腰」な態度を取っていたという事になる。中国の為に、すなわち「中国のイヌ」として「強腰」を貫いてきたと知れば、彼の一連の言動は極めて理解しやすいものとなる。

二、      では、仙谷は中国から金をもらっているのか、という人がいるかもしれない。通常は売国奴は敵国から金で買収されていることが多いからである。しかし「イヌ」になるのにもう一つのケースがある。歴史的に恩義をうけた中国に一方的に侵略し被害を与えたのが軍国主義日本であり、日本はその償いを徹底的に行わなければならない、と信じ込んでいる思想的な理由によるものである。さらに「自衛隊暴力装置」発言にみられるように、共産主義思想に深く影響を受けている仙谷にとって、共産中国は今では大変質を遂げているのだが依然として心の中では神聖な存在なのであろう。日本国政府の官房長官であるにもかかわらず、この中国の立場に立って船長を釈放し、ビデオ公開を阻んだことは、客観的に見れば「中国のイヌ」となり売国行為を行ったとしか言えないのであるが、ご本人は信条に従い、「よいこと」を行ったと思っているのであろう。であるからこそあの居丈高な発言と強硬策を続けているのであろう。

三、      げに恐ろしきものは誤った歴史観、思想である。日中戦争は中国が起こした、日本は望まない戦争に引き込まれた、というのが歴史の真相である。それをまとめた小論文を「史実を世界に発信する会」サイトに英訳して掲載しているが、その日本語版冊子を仙谷にも送っておいた。日中本格戦争の開始である上海事変は「一方的に中国が起こし、日本は望まぬ戦争に引き込まれた」と当時どちらかといえば、親中反日的であった「ニューヨーク・タイムス」が報じている。その記事を論文の冒頭に引用しておいた。これを読んでも「おや」とも思わなかったのだろうか。まともに読めば歴史観がガタガタに瓦解するような事実が続出する本冊子を読み続けるような良心はないのであろう。今度はより本格的な日中戦争論『日中戦争―戦争を望んだ中国、望まなかった日本』(北村稔・林思雲著)(PHP)の英訳版を「発信する会」のサイトに近々アップする。幻の虚構の上に組み立てられた日中戦争の歴史観に対する大鉄槌となるであろう。追撃戦を徹底的に行っていくことが大事であると考えている。

(10.11)

「固有の領土」ということ ―    「史実を世界に発信する会」茂木弘道

2010年10月8日 金曜日

尖閣諸島は疑う余地のない日本固有の領土である。しかし、固有の領土であるという事は、古来から日本の領土であった、ということを意味するものではない。尖閣諸島は長い間無主の地であった。人跡未踏、近海での漁業もおこなわれていなかった。航海の標識島として認識されてきたが、ここを領域として管理する国は存在していなかった。琉球の領域でもなかった。

二、明治28年(1895年)明治政府は尖閣諸島が無主の地であることを一〇年近くの調査によって確認したうえで、近代国際法に基づく先占権を行使して日本領土に組み入れた。これに対して当時清国から異議申し立てはなかったし、その後中華民国・中華人民共和国からも異議申し立てはなかった。そればかりか、1970年以前には中華民国・中華人民共和国とも或いは公文書において(遭難漁民救助感謝状)、国家承認の地図において、更には国営人民日報において、明確に日本領と認めた記述をしてきたという事実が存在する。日本の実効支配と相まって、近代国際法から見て、完璧な日本の領有権の根拠となる。これを称して日本の固有領土というのである。

三、明治18年沖縄県知事より内務大臣あてに尖閣諸島が無主の地なので沖縄県への編入を望む旨上申書を提出した。内務大臣は了承したが、外務大臣が慎重に対処すべしと言う考えで後送りされた。大国清国を刺激することを避けたためである。6年後の明治24年に硫黄島に先占権を行使した際にスペインの朝野を刺激したことを考えると、こうした心配もやむを得なかったであろう。ところが現地の実情がそれを許さなくなってきた。近代技術による船舶の機能が向上したために、尖閣近海は漁場となり沖縄からの多くの漁船が出漁するようになった。又古賀辰四郎のように島の開拓願を出すものも出てきた。明治23年には沖縄県知事より水産取り締まりの必要から八重山役所所管に定めたいので島に国標設置を許可してほしい旨内大臣あて上申書が提出された。さらに明治26年に「尖閣列島周辺で、漁業等が盛んとなり、取り締まりを要するので、これら諸島が沖縄県領域であるとの標抗を建設したい」と、内務大臣、外務大臣あての上申書が提出された。

四、これを受けて、明治27年12月、内務、外務両大臣協議の上閣議提出が合意された。翌明治28年1月14日の閣議で正式決定、21日に標抗建設を認める旨沖縄県知事に司令した。これは日清戦争の講和会議開始3月に先立つこと2カ月、下関条約成立の4月17日の3カ月前のことであった。講和会議では尖閣のことが議題となることはなかった。台湾全島とその付属諸島が日本に割譲されたが、付属諸島に尖閣諸島は含まれていなかったからだ。清の公的な地理書には台湾本島の沿岸周辺には大小合わせて76島嶼が存在しているとあり、その76島嶼が明記されている。その中に尖閣はない。このように、無主の地尖閣諸島の領有に関して日本政府は極めて慎重に事実確認の調査を行い、領有したのであった。日清戦争のどさくさにまぎれて領有したなどと言うのは全くの虚説である。

(10.10)

今からでいいから政府は尖閣領有根拠を世界にPRせよ ― 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

2010年9月8日 水曜日

尖閣問題がついに国家的な危機をまねくに至ったのは、日本政府が明々白々たる領有権根拠を断固として主張してこなかったことにある。世界中の人が誰も認めざるを得ない具体的な根拠もある。テイケイ会長の高花豊氏が2年前から主張しているように、中国政府が公式に作成し1960年代末まで使っていた地図、中華民国政府が1965年に作成した地図がそれである。尖閣諸島は明確に日本領と記述されているのである。公式に日本領と認めていたのだ。1968年に国連アジア極東委員会による調査で尖閣諸島周辺に石油・天然ガスが埋蔵されていることが発表されるまでは、日本領と公式に認めていたのを1971年に突如覆し、中国固有の領土であると両国は云いだしたのである。ぬすっと猛々しいとしか言いようのない、恥ずべき主張である。

こんな下劣極まりない主張を恥ずかしげもなく云い続け、更には実力行使に向けた手を次々に打ってきているのが中国である。漁船が全くの民間人であるとは考えられない。既成事実を作り上げようという長期戦略の一環として、8月15日に閣僚の靖国参拝なし、と言う機会を狙って実行した「威力偵察」と見るのが正解だろう。

断固たる主張を中国に対して行う事が第一に必要であることは云うまでもない。同時に領土問題は国際的な認知という事が極めて大きな役割を果たすので、これを世界に対して発信していくことも重要なことである。「史実を世界に発信する会」では昨年高花論文を英訳し、英文サイトに掲載したが、今回の事件に鑑み、これを英文ニュースレターに取り上げて、世界の学者、マスコミなど四千人余にEメール発信した。いつもは反日的で批判的なコメントを送ってくるグレゴリー・クラーク氏も今回は大変有益な情報と礼を言ってきた。これにケチをつけたのでは信用失墜と考えたのだろう。中でも有難い反応を示してくれたのは、マイアミ大のドレイヤー教授である。9月15日付のワシントン・タイムスに掲載されたビル・ガーツ氏の記事を送ってくれた。そこには1969年に中国政府が制作した公式のカラーの地図が載っているのである。高花論文の地図は中国で市販されていたものであるのに対しこちらは機密扱いの地図である。尖閣諸島が日本領と色分けされている地図を示して、中国政府が言っていることは根拠がないではないかと解説している。

今からでも遅くはない。こうした世界中の人が認めざるを得ない分かりやすく確固とした領有根拠を政府は中国に対して示すと同時に、世界に向けて強力にPRしていくべきである。勿論ビデオはこの際公開すべきである。さすがの中国も国際的に恥ずべきことが行えなくなる状況を作り出すべきある。最終的には、自衛隊の部隊を駐屯させることが必須であるが、これをいきなりやるのは得策ではない。日本はいたずらに強硬姿勢を取ったと批判されかねないからである。これではせっかくの駐屯の威力が半減してしまう。まずは宣伝戦を先行させ、「強盗中国」イメージを作りあげた上で部隊駐屯をすべきである。ともかくここで引き下がったら永遠の負けなのだ。

(10.9)

「歴史に対して誠実に向き合う」と言うならお答え願いたい ― 「史実を世界に発信する会」 茂木 弘道

2010年8月15日 日曜日

八月十日、菅首相は日韓併合一〇〇年を迎えて、いわゆる謝罪談話を出した。これは、「歴史に対して誠実に向き合いたい」との思いからだと言う。もし、本気でそう思っているというなら、次の事実を知ってのことなのか、それでもあのようなことがいえるのか、答えていただきたい。首相としてその義務がある。

一)「植民地支配がもたらした多大の損害」と述べているが、日本が韓国を併合した当時、韓国は国家財政が破産状態にあったという事実をご存じか。併合直後の一九一一年の歳入状況は、朝鮮国内の税収1330万円に対して、日本からの支援金が2235万円である。国家財政の三分の二を日本が日本人の税金によって賄っていたのである。この状況は併合後数年間は続き、そして、併合三六年間日本からの補助は継続して支出されていたのである。常識で考えれば、「多大な損害」を受けたのは日本に側ではないかと思うが、これを総理はどう考えているのか。

二)いわば破産状態にある企業を吸収合併によってその社員の生活を救った、に似た日韓併合であったからこそ、併合条約に対して李完用首相内閣は反対一名のみでこれに賛成したのである。当時100万人の会員を誇った韓国最大の民間団体一進会は強力にこれを支持したのである。韓国民の意に反してというのは極めて不正確な言い方と考えるが、どうか。

三)日本から韓国への三六年間の合計支出金額は20億7902万円に上ったと見積もられている。現在の貨幣価値に直せば、60兆円以上となる。この膨大な補助金、投資によって教育、農業、産業等のインフラ形成を行ったのが日本統治であることは厳然たる事実である。これにより、併合時100ほどしかなかった小学校を5000にまで拡大し、ハングルを韓国全域に普及したのである。こういう事実を首相はどう考えているのか。

四)日本統治に対して韓国人の間で様々な思い評価のあることは間違いない。しかし、もし統治が韓国人がよく云うように人類史で類を見ない過酷な支配であったとするならば、徴兵の対象でなかった韓国に志願兵制度が導入された時の志願者の殺到ぶりは、どう解釈できるのか。因みに次の通りである。

 昭和一三年:募集406人、応募:2946人(7、3倍)(一四~一七略)

 昭和一八年: 〃6300人、 〃:303294人(48、1倍)

複雑な思いはあったにせよ、韓国の人々が基本的に日本統治を評価していなかったら、このようなことは起こり得ないと常識では考えられる。少なくとも一方的に謝罪するような統治ではなかったと思うが、菅総理はどう考えるか。

以上、「歴史に誠実に向き合う」というのなら、「誠実な」回答をお願いしたい。

(10.8)

日米戦はアメリカが始めた ― 「史実を世界に発信する会」  茂木 弘道

2010年7月8日 木曜日

一、      日米和平交渉が行われていたさなかの、昭和一六年七月二三日、アメリカ大統領ルーズベルトは、陸海軍長官の連名で提出された中国に長距離爆撃機を供与して日本本土爆撃を行う計画案に、OKのサインをした。一二月八日の真珠湾攻撃の五か月前のことである。これは実質的に対日戦の開始を意味しており、日米戦は明らかにアメリカによって開始されたものなのである。対日石油輸出全面禁止が八月一日に行われたのは、従って、アメリカの対日戦争の一環であったことが分かる。

二、      アメリカがフライングタイガーという義勇軍を中国に派遣して実質的に対日攻撃をしていたことはよく知られている。しかし、これはルーズベルトの承認の下、モーゲンソー財務長官が宋子文中国特使との間で合意したアメリカの国家戦略としての対中軍事援助の一環なのである。この計画の具体案の推進はルーズベルトの特別補佐官ロークリン・カリーが担当し、陸軍、海軍を巻き込んで大きな計画に進めていった。一六年五月一五日、ルーズベルトはカリーに書簡を送り、航空機を含む対中支援計画を進めるよう指示しているのである。

三、      かくしてカリーが立てた戦略は「日本本土の工場群を破壊して、弾薬をはじめとする軍需品と経済機構の維持に要する必需品の生産を損なわしめる」目的で、五〇〇機の作戦機(戦闘機三五〇、爆撃機一五〇)を一〇月三一日までに供給するものである。中国の航空基地から長崎、神戸、大阪、東京などとの距離を示す表、B17、ロッキード・ハドソンの攻撃圏内の目標が示されている。勿論フライングタイガーによる大量のパイロットの派遣も含まれており、実質アメリカによる日本本土攻撃である。なおカリーはVENONA文書によって、コミンテルンのスパイであることが確認されていることも付け加えておこう。

四、      カリーの計画は陸海軍合同委員会に提出され、「合同委員会計画JB-355」として承認された。この計画が、陸海軍長官によってルーズベルトに提出され、七月二三日に承認されたということである。したがって、順調に行けば一〇月か、一一月にはアメリカ人(実質米軍)パイロットなどが乗ったB17による日本本土爆撃が行われるはずであった。実際には、ヨーロッパ戦線が急を告げたために、爆撃機がヨーロッパ向けに回さざるを得なくなり、計画が遅れることになった。中国空軍と称するB17の日本本土爆撃が行われなかったのはそのためである。勿論そんなことをしても、目標に到達する前にほとんど撃墜されていただろうが。

五、      事情で実施が遅れたとはいっても、七月二三日、ルーズベルトが日本本土爆撃計画を承認していたという事実は変わらない。日本攻撃を開始したこの日から五ヵ月後の一二月八日、日本は大反撃の攻撃を真珠湾で行った。明らかな自衛権の行使である。日本が侵略者であるなどというのは真っ赤なウソである。

(10.7)

『中国大虐殺史』(石平著)ー  「史実を世界に発信する会」   茂木弘道

2010年6月1日 火曜日

一、      中国の歴史に造詣の深い石平氏が著した『中国大虐殺史』―何故中国人は人殺しが好きなのか―(ビジネス社刊)は、中国というものを知る上で、貴重な知識を与えてくれる書である。一言でいえば、虐殺は「中国文化」の一部であるということである。秦帝国以来中国の歴史において繰り返されてきた大虐殺がどのようなものであったのか、漢、南北朝、明、清における代表的な虐殺事件が説明されている。さらに問題なのはこの伝統は近代そして現代の共産党政権になっても変わることなく繰り返されているという事である。特に毛沢東は自己の権力奪取とその維持のために、大々的に虐殺を実行してきたことが詳しく述べられている。「天安門虐殺」、チベット虐殺、ウイグル虐殺は例外でも何でもないことを理解すべきである。

二、      一九三七年一二月に日本軍が中国の首都南京を陥落させたときに起こったとされる「南京大虐殺事件」は実は存在していなかった。当時世界で最も権威ある英文中国年鑑『チャイナ・イヤーブック一九三八年版』(上海で英国出版社刊)には、一二月一三日、日本軍南京占領、一二月一七日、日本軍入城としか書かれていない。同年鑑に「南京暴虐事件」として書かれているのは一九二七年三月一三日に北伐中国軍が起こしたものである。なぜ、一九三七年南京占領時にはそんな記述がないのか。虐殺など無かったからである。当時中国政府が日本軍の「南京大虐殺」非難をしていた、と錯覚する人がいるが、中国政府は当時ただの一度もそんなことを言っていない。漢口で外国人記者を集めて、三〇〇回も記者会見を開いて日本非難を行っていたのにも関わらず、ただの一度も南京で日本軍が市民虐殺をしたなどという事を発表していないのである。

三、      このように全く存在しない「南京虐殺」が、中国政府の宣伝にかかると、身の毛のよだつ虐殺物語となる。片っぱしから殺戮し、目をくりぬき、腹をえぐり、陰部をえぐり、などなど、惨い話であるが、しかしこの話どこかで見たような、聞いたような話ではないだろうか。身近な例では、南京陥落の半年前に、北京近くの通州で中国保安隊が日本人居留民三〇〇人近くを実際に惨殺した時の報告書である。そして、この『中国大虐殺史』に出てくる物語、これがそっくり中国製「南京虐殺物語」に出てきていることに気づくのである。日本にはこんな虐殺の歴史、文化はそもそも存在しないのである。

四、      結論:中国製「南京大虐殺物語」は、日本には中国のような虐殺文化が全く存在しないことに対する無知に基づき、日本に虐殺の罪をなすりつけることによって、自己の虐殺事実を覆い隠す目的で語られているものである。

『中国大虐殺史』は全文英訳され、「史実を世界に発信する会」の英文サイトに最近掲載され、世界の人々に発信されている。日本人だけでなく、世界の人々も中国文化を正しく認識しないととんでもない災厄をこうむるからである。

(10.6)

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