今日から、1403年前になる。推古天皇16(608)年に、聖徳太子が小野妹子を遣隋使として長安の都に派遣して、隋の皇帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」という国書を、献じた。
皇帝の煬帝がこれを見て、終日、機嫌を損ねていたと、『隋書』が記録している。
あの時の日本は、中国を刺激することを、恐れなかった。
日本は毅然とそうすることによって、中国を囲む国々がすべて中華帝国に臣従したのにもかかわらず、唯一つ中国と対等な関係を結ぶ国家となった。日本史における最大の快挙だった。
いったい、日本はいつから中国を刺激することを、恐れるようになったのか。
アメリカや、ドイツや、インドを刺激してはならないと、いわない。中国、ロシア、韓国、北朝鮮についてのみ、いうことだ。きっと、日本国民がこれらの国々が、〃やくざ並みの国〃であることを、知っているからだろう。怯懦な民となって、よいものか。
2010年9月7日に、中国漁船が尖閣諸島周辺の領海を侵犯した。海上保安庁の巡視船「よなくに」「みづき」に二回も体当りして、破損させたために、船長を逮捕、漁船を拿捕して、十四人の船員を参考人として拘留した。
ところが、政府のその後の対応のために、日本の主権と威信を揺るがす重大事件なった。いつの時代にあっても、国威を保つことが必要だ。
中国漁船が海上民兵に所属して、中央の指令によって尖閣周辺の領海を侵犯した疑いが濃かったのに、船員を十分に取り調べることなく、13日に帰国させて、漁船も中国に返還した。
9月の中国漁船による侵犯事件は偶発的なものではなく、中国の中枢が中国の海洋戦略にそって、日本側の対応がどうなるか、験すために試みた、威力偵察だった可能性が高い。
2010年4月から5月にかけて、寧波(ニンポー)基地から東海艦隊の駆逐艦、潜水艦各二隻、フリゲート、支援艦各三隻を含む十隻編成の戦隊が、沖縄本島と宮古島のあいだを通過して、太平洋に進出した。沖ノ鳥島のまわりを巡った後に、引き揚げた。これは中華人民共和国が成立してから、中国海軍による最大で、画期的な機動演習だった。
政府は中国が中国本土にいたフジタ社員四人の身柄を拘束し、レアアースの日本への輸出を止めるなど、露骨な恫喝を加えられると、膝を屈した。那覇地方次席検事が判断したといって、24日に船長の取調べを中断して、釈放を決め、翌日、帰国させた。船長は帰国すると、英雄として歓迎された。
菅政権は、中国に船長以下15人の乗組員と漁船を、朝貢したのだった。
政府の措置は日本を辱(はずか)しめ、聖徳太子が隋に1403年前に、国書を送って以来の日本の独立を損ねるものだった。鳩山・菅両政権は「日出づる国」の気概を、欠いている。
政府は中国に阿(おも)ねて、わが巡視船が撮影したビデオを、秘匿することをはかった。ビデオはようやく11月1日になって、六分あまりに圧縮編集したものが、衆参両院予算委員会に所属する一部の議員に対してのみ、限定して公開された。
だが、国民に対しては公開することを、拒み続けた。
巡視船上から撮影した映像は、ありのままの事実をとらえており、国家の機密を損なうものではまったくなかった。政府は国民に目隠ししようとして、国民の「知る権利」を踏み躙(にじ)った。日本が民主主義国であるか、疑わせるものだった。政府は国民を信頼していなかったのだ。
11月4日に、中国漁船が巡視船に体当たりする44分にわたる犯行の映像が、神戸海上保安部に所属する一色正春海上保安官によって、ユーチューブに投稿されると、全国から膨大なアクセスが、すぐに集中した。
多くの国民が中国漁船による暴挙を知ることができたことを、喝采するのをよそに、政府は映像を流出させた行為が、あたかも凶悪犯罪であるかのようにきめつけて、犯人探しに現(うつつ)を抜かした。なぜ、政府は中国漁船による暴挙を、隠蔽しようとしたのか。
ほどなく、一色主任航海士が名乗りでて、「一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起っている出来事を見てもらい、一人ひとりが考え判断し、そして行動して欲しかった」と、述べた。
映像を流出させたことによって、国民の真実を知る権利を擁護しただけでなく、世界に中国の暴挙を認識させることによって、国益を大きく増進した。
共同通信が11月12日、13日に行った世論調査は、83%の人が映像が表にでたことが「よかった」、映像が「国家の秘密に当たるか」という問いに対して、「当たらない」という回答が、81%にのぼった。
政府は中国漁船の船長を釈放した時にも、腰が据わっていなかった。その後、一色海上保安官を罰することができないでいる。
NHKをはじめ民放テレビがこぞって、一色海上保安官が流出させた映像を、繰り返えし放映した。もし、映像が国益を損ねるものであったとすれば、政府はどうして流出した映像を放映した大手マスコミを、非難しなかったのだろうか。
11月1日にロシアのメドベジェフ大統領がわが北方領土の国後島を訪れて、北方領土がロシアの固有の領土だと主張した。
メドベジェフ大統領がこのように不法に振る舞ったのは、日本が中国にだけ謟うのを見て、中国に対する嫉妬心に駆られたものだった。
もし、日本政府が先の中国漁船による暴挙に対して、毅然たる措置をとっていたとしたら、北方領土に闖入することがなかったはずだった。
11月23日に、北朝鮮が突如、黄海の韓国領の延坪島に砲撃を加えた。菅首相は第一報を知ってから一時間以上にもわたって、「情報収集に全力をあげる」と、無爲に繰り返した。自衛隊、海上保安庁、警察にただちに厳戒態勢に入るように指示したと、いうべきだった。北朝鮮が万一、日本に攻撃を加えてくるとしたら、そのような余裕がなかった。
菅首相は翌日になって、はじめて北朝鮮を非難した。かつて村山富一首相が阪神淡路大震災にあたって、対応が大きく遅れたことを批判されて、「何せ、初めてのことじゃったから」と率直に弁明したのを、思い出させた。
2011年が明ける。中国とロシアの挟み撃ちにあい、日本国民は菅政権の腑甲斐無い対応を目のあたりにして、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復してから、はじめて民族の生存本能に目覚めた。
民主党政権のもとの日本は、危険な幻想に憑かれていた。
一昨年9月に、民主党政権が発足すると、鳩山首相は胡錦涛首席と会談して、得々として、東シナ海を「友愛の海」にしたいと申し入れた。鳩山首相は日本と米中の二国を等距離に置くべきだという、「日米中正三角形」論を唱えた。
これは、幻想というよりも、妄想だった。爲政者は日米関係は〃魂(しこ)の御(み)楯(たて)〃であり、中国は敵性国家であることを、理解しているべきである。日米同盟を輕んじたのは、由々しいことだった。
だが、天は日本を見離さなかった。中国とロシアが狼藉を働いたというのに、菅政権が爲すべきことを知らなかったために、隋眠を貪っていた国民が目を覚した。今年から、国民は幻想を払って、現実と取り組むことになる。いや、強いられることとなろう。