2009年 のアーカイブ

「満州国の遺産」黄文雄著、光文社、2001年7月発行、¥1,300+税

著者は1938年台湾生れの高名な評論家。「「満州」(東北)が古来、中国の「絶対不可分の固有領土」だという主張は、中国政府が二〇世紀に入って初めて主張したものである。」、「史実を見れば、中国と不可分だというより、有史以来満州は中国と万里の長城を境に、相容れない二つの世界であった。・・・文化的・政治的に対立・対峙し続けてきた異なる文化圏であった。」、「満州国を日本の植民地、傀儡国家だと見なすのは、明らかに建国の背景を無視した結果であり、歴史の歪曲である。」、「二〇世紀に入っても、新たに開拓する土地であり、日本の租借地であった関東州と満鉄所属地以外、近代産業らしいものもなかった。」、「しかし、満州国建国後十三年半にして、そこは北東アジアの重工業の中心地となり、自動車や飛行機まで作られる一大近代産業国家にまで成長した。それは人類史上、奇跡としか言いようがない。」、「日本人の開国維新以来のすべての情熱と技術の粋をそそぎ込んだ結晶といってよいし、日本人は誇りに思わなければならない。」、「戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占めた。」、「中華人民共和国を支えてきたのは、満州国の遺産であった。」、「満州国の遺産を食いつぶしたのち始められたのが、新しい路線転換である改革開放路線である。」(“はじめに”より)
本書で著者は丁寧にシナや満州の歴史をたどりながら、満州国の建国に至る経緯、満州国の実情、終焉、残された膨大な遺産について解説している。満州国発展の中心にいた日本の建設的で優しい文化と、戦争のドサクサに紛れて略奪することしか頭にないシナや(旧)ソ連の文化との違いが際立っている。戦後のさまざまに歪曲された“史実”にまどわされることなく、満州国の真実を知る上で有用な書。
註:同じ著者の“「満州国は日本の植民地ではなかった」ワックBUNKO、2005年9月発行、¥930(税込み)”は英訳されている(掲載文献参照)。

「戦争の歴史・日本と中国」黄文雄著、ワック、2007年10月発行、¥1,700+税

著者は1938年台湾生まれの高名な評論家。日本と中国における戦争の歴史を通して、シナ大陸における大虐殺や食人の習性と、日中双方の際立った民族性の相違を浮き彫りにしている。

「私はなぜ「中国」を捨てたのか」石平著、Wac bunko、2009年8月発行、¥886+税

著者は1962年、中国四川省成都生れ。四川大学哲学部講師を経て来日。戦後の共産主義中国に生れ、天安門事件を経験した世代で、本書で日本へ帰化するまでの精神遍歴と、共産主義中国の内実とを伝えている。「中国大虐殺史-なぜ中国人は人殺しが好きなのか」(ビジネス社、2007年11月発行、¥1,575、英訳は掲載文献参照)の著者でもある。

「シナ大陸の真相1931~1938」K・カール・カワカミ著、福井雄三訳、展転社、2001年1月発行、¥2,800(+税)

著者(河上清)は明治6年、米沢生まれ(~昭和24年)。明治34年にアメリカへ渡り、国際問題の評論家としてアングロ・サクソン社会で活躍した。詳細な評伝は「嵐に書く」(古森義久著、毎日新聞社、昭和62年)参照。本書の原著は「Japan in China」というタイトルで、1938年(昭和12年)3月にロンドンのジョン・マレイ社から出版された。本訳書には、著者をブレーンとして迎えていた当時の斉藤博駐米大使の講演録も掲載されている。
本書は、満州事変前夜から日支事変勃発後まで(1931~1938)の支那大陸の状況を描いたものである。当時の支那の混乱した状況や、ソ連の共産主義の浸透、腐敗した支那の実情、国際法や国際条約を無視する支那の政府や軍閥など、経済進出した日本が国民の生命と権利を守るために苦闘させられた状況が細部に亘って詳細に描かれています。現在の日中関係や中国とのビジネスに関心のある方には、是非とも一読していただきたい書物です。時代が変わっても、中国人が変わったわけではありません。日本は中国に生産拠点を持つべきではないと筆者は考えています。以下、印象的な記述をいくつか紹介しておきます。
「1917年のロシア革命以来・・・中国の崩壊と動乱を狙って彼の同志達がこの十七年間何をしてきたか・・・ソ連の提供した資金がいかに多くの中国の政治家や軍国主義者を買収してきたか、いかに中国各地の士官学校に財政援助し各地の軍閥に軍事援助をしてきたか、いかに排外暴動(とりわけ英国と日本に対する)が、直接クレムリンから派遣されている無数の工作員によって中国人の間で扇動されてきたか・・・具体的で明白な証拠に基づいて答える」、「革命政権が成立した初期の段階においてモスクワ政府が「アジア迂回」政策・・を採択した・・・まず最初にアジアの西洋帝国主義を破壊することによって、最終的にヨーロッパの資本主義を打倒できると想定されたのである」(第一章)。
「一九二七年三月・・蒋介石は・・共産党員たちを・・追い出した」、「モスクワは中国の各地で様々の騒乱を休みなく誘発し続けた」、「(一九三六年十二月には西安事件)彼らは自分たちの共産主義をカモフラージュする目的で、「日本打倒」と「日本に対する戦争」を自分たちのスローガンにしていた。・・・張学良はモスクワの道具だった」(第二章)。
「もし蒋介石が明晰な見通しを持っていたならば、共産主義の脅威に対して日中が共同して事に当ろうという日本の度重なる申し入れを彼は受け入れていただろう。・・・彼の視野の狭さ、反日運動に見られる彼の陰にこもった勇気、共産軍を日本に対する盾に利用しようとする彼の隠れた野望、これら全てが回復不能の災厄とも思えるものを彼の身に降りかからせたのである」(第三章)。
「それ(註:共産主義)は何処でも民主主義を破壊し、平和をかき乱す。それは不幸にも隣り合っている国々に独裁と軍国主義を生じさせる。・・・否応なしに自国の防衛を決意せねばならぬからである」(第四章)。
「中国は、幣原男爵が宥和や善隣友好などを口にしているまさにその時に、日本と結んだ条約を全面的に侵害するという手段に訴えてきたのである。次に掲げるのはこの期間に侵害された日中協定の一部のリストである。・・・その全ての結末が一九三一年九月の満洲大事変であり、満州国という新生国家の出現をもたらした」(第五章)。
「「青シャツ隊」は最も冷酷なテロリストのやり方(註:日本人などへの残虐行為)を用いている。・・C・C・部隊(註:作家と弁士が大半)は青シャツ隊と密接につながっている。・・そのほとんど全てが反日宣伝活動の推進に捧げられている。・・・中国は日本と協力する代りに共産主義と手を結んだ」(第六章)。
「(一九三七年七月七日)夜一一時四〇分、これらの日本兵は二九路軍第三七師の中国軍部隊によって銃撃された(註:盧溝橋事件)。・・・九日、中国二九路軍の代表責任者と日本軍の松井大佐との間に休戦協定が結ばれた。・・・中国は戦争を熱望していた」(第七章)。
「いかなる妥協的なやり方もいかなる生ぬるい手段もただ単に中国軍の凶暴さを助長するだけであろう」(第八章)。
「中国人は武力に対しては常に屈するが理屈には決して従わない国民だ」(イギリスのエルギン卿)、「中国政府は武力及びそれを行使しようという意志の存在する場合に限ってのみ正義を認める」(アメリカ高等弁務官、ハンフリー・マーシャル)、「中国人は自分がトップに立って誰か他の者を押さえつけているか、または自分より強い者の前で屈辱を受けて恐れおののいているか、のどちらかでなければ満足出来ない。対等の基盤に立って誰かと公平に公正につき合うことに中国人は決して満足出来ないのだ」(アメリカ人作家、ロドニー・ギルバート)(第九章)。
「日本は進歩的で進取の気性に富んだエネルギッシュな国である。日本国民をその小さな島国に永久に閉じこめておくことは出来ない。・・・この日本の自然な勢いでの拡張運動が生じた場合、西洋列強諸国とりわけアメリカ、イギリス、フランス、この三つの最も富裕な国のとるべき態度は妨害と敵対であってはならず、逆に援助と心からの協力でなければならない。・・・そのような日本の進出は本質的に経済的な性質のものであって、軍事的な侵略を意味するものではないからである。それが軍事的な色合いを帯びてくるのは、そのような日本の進出が塞がれてしまった時だけである。・・・日本を援助する政策は最終的に、日本を妨害する政策よりもはるかに安い出費ですむだろう。それどころか逆にそれは彼らの利益になりさえするかも知れない」(トーマス・エジソン、1922年12月のアメリカのジャーナリストとの対談での発言)(第十章)。
「何世紀にもわたって公然の「搾取」制度が中国に害毒を流し続けてきた。中国の表社会では搾取は様々の形をとって行われているが、最も普通に行われているのは賄賂と、徴収した税金の横領である。・・・日本では公金横領は非常に珍しい例外中の例外である。それに対して中国では公金横領は一つの確立した、そして良く組織された産業にまでなっている」、「真の経済的「門戸開放」とは、立派な政府の下で法と秩序が行き渡っている国においてのみ可能なのである」、「内部分裂と内戦は中国の政治的軍事的状態及びその国民性に固有のものなのである」(第十一章)。
「敵を最も邪悪な姿で表現する写真の偽造は、(第一次)世界大戦中に一大産業となった。・・・中国に関する最も興味深い事柄の一つは、世界的規模の組織を持つある特定の報道会社に南京政府がニュースを提供するそのやり方である。・・・一九二九年ころ・・国民党外務省の宣伝広報局は上記の報道会社と協定を結んだ。・・報酬として、宣伝広報局はこの報道会社に毎年かなりの金額のお金を支払うことになっていた」。「次の戦争では宣伝は、先の(第一次)世界大戦がなし得た最上のやり方よりもつと微妙で巧妙なやり方になるに違いない」(バージニア州リッチモンドのタイムス特電、一九二五年一二月六日付)(第十二章)。

「中国の戦争宣伝の内幕-日中戦争の真実」フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著、田中秀雄訳、芙蓉書房出版、2009年11月発行、¥1,680(税込み)


著者(1890~没年不明)はアメリカ人の新聞記者。少年時代に外人部隊に所属したり、各地を放浪した経験を持つ。訳者は1952年福岡県生まれの日本近現代史研究家(慶應義塾大学文学部卒)。原著名は、“Behind the news in China”。
著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下して朝鮮、そして日本に行ったのである。それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。私は両方を見た。世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」、「我々は日本に関するものよりも、中国に関して見聞きするものを疑いなく事実として認識する傾向がある。実際問題として、この国には中国のプロパガンダが氾濫している。そして日本を弁護するものをほとんど見ないのである。」、「私は誰をもバックにしてはいない。私は自由に率直に語った。我々がずうっと騙されているよりかは、真実を知った方がよいと考えたからである。」と書いている。
さらに、翻訳者は[解説]で、「本書は、ウイリアムズが支那事変の始まる前、そして始まってから中国や満洲、日本で取材し、体験し、見聞したことを基にしたレポートである。・・・彼はカリフォルニア州のロサンゼルスやサンフランシスコで約二十年間、新聞記者として活動していたジャーナリストであった。そうした実績のあるプロの目による中国=極東レポートであるということを念頭に入れて読んで欲しいと思う。」としている。
史実を理解するには、できるだけ先入観を捨ててその時代に身を置いてみることが求められるが、本書は当時を生きたアメリカ人ジャーナリストによるレポートだけに、臨場感に満ちている。
本書が伝えているのは、中国へのソ連共産主義の浸透による支那事変の勃発や、彼らのプロパガンダによる英米世論の反日に対する危惧なのだが、「日本人は宣伝が下手である」(あるいは、宣伝を軽視する)のは昔も今も変わってはいない。本書は、支那事変から大東亜戦争に至る時代の史実を知りたいと考えるすべての日本人に読んでいただきたい書物であるが、内容の詳細に立入る変わりに各章のタイトルを掲載しておく。
第一章 極東の現状、その全体の俯瞰図
第二章 西安事件と頻発する日本人虐殺事件
第三章 第二次上海事変の内幕
第四章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大戦略
第五章 日本のアジアに対する崇高な使命感
第六章 パネー号事件と対米プロパガンダ大作戦
第七章 阿片を蔓延させる日本というプロパガンダ
第八章 中国人と日本人を比較する
第九章 チャイナタウンの暗殺団と中国の軍閥
第十章 反日を煽る偽写真
第十一章 ソ連の中国侵略を阻止しようと戦う日本
第十二章 宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する
第十三章 広東と漢口の陥落、そしてその後の展望

「真実の中国史[1840-1949]」宮脇淳子著、岡田英弘監修、李白社、2011年10月発行、¥1,680(税込み)


著者は1952年、和歌山県生まれ。京都大学文学部卒業、大学講師(学術博士)。監修者は1931年、東京生まれ。東京大学文学部卒業、東京外国語大学名誉教授(著者の夫)。
本書は著者と編集者との質疑応答をもとにまとめられたものを監修者が監修して出来たものである。したがって読みやすいが、根拠の提示などはあまり丁寧になされていない。
「「中国」というのは時代によって意味する大きさ(土地の広さ)が全然違います。その時々の皇帝の血筋、一族もまったく違う。つまり、支配階級の出身が違うのです。実は言葉も違います。北から入って来たり、西から来たりと、その時々に王朝が変わって、まず同じ中国などないのです。治めている土地の大きさも時代によって全然違います。・・人種間の争乱の歴史なのです。」(序章)、「中国の歴史というのは基本的に二つの流れがあります。北族の時代と南族の時代とでも言えばいいのか、中国王朝の四分の三は北から入った人たちの王朝です。有名な王朝は北魏、隋、唐、遼、金、元、清ですが、北方の民は実は全部女が強いのです。」(第一章)、「中華人民共和国が成立する以前には、中国といってもすべて別々の、違った地域の話だということです。・・満洲はもともとは中国ではありません。・・・(現代)中国の言い分は、“歴史”ではなく“政治”なのです。あるいは政治的プロパガンダと言ったほうがいいかもしれません。・・・中国人は、たとえ日本人が因果関係を説明したところで、いまの日本にとって都合がいいからそう言うだけではないかと考える民族です。・・・相手を信じていないからです。・・・彼らにとってみれば過去はなく、いましかありません。・・・歴史自体をまったく信じていないのです。・・・中国では偉い学者の言うこともまったく信じられていません。中国人はもともとお上の言うことは信用しない人たちです。」、「中国は前のことは関係ないということを普通にやっています。清朝のことだから知らない、中華民国のことだから知らないと、国際関係はまったく無視します。」、「日本は(外国との不平等条約を)・・法律にのっとって改正してきました。・・・中国はこうした手続きをいっさいしません・・ひたすら喚くか、焼き討ちするか、暴動を起こして殺すか、というふうに大騒ぎして、嫌いだ、やめると喚くだけです。」(第二章)、「中国は日本人の考える国家とはあまりに違います。・・・王朝が変わっても、中国人はまったく変わりません。全域がぴったりと平均化して何かをしたなどということは、中国の歴史上、一度もないのです。」(第四章)
本書の目次は以下の通りです。
序 章 「真実の中国史」を知る前に
第一章 中国の半植民地化は「アヘン戦争」からではない[1840-1860]
第二章 中国に本当の西洋化など存在しない[1861-1900]
第三章 国とは呼べない中華民国からはじめて国家意識が生まれる[1901-1930]
第四章 歴史上、一度もまとまったことのない中国[1931-1949]
「日本の歴史学界、とくに近現代史の専門家たちの左翼偏向を、私は昔からよく知っていますから、自分でわざわざそういう本を買って読んだりはしません。今回、質問を受けて、一般に流布している歴史書のでたらめさ加減に、あらためて衝撃を受けました。」(おわりに)

「近代中国は日本がつくった」黄文雄著、Wac bunko、2005年7月発売、¥980(税込み)

著者は1938年台湾生れの高名な評論家。

「日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本」北村稔・林思雲共著、PHP研究所、2008年10月発行、中古品あり

著者、北村稔は1948年京都府生まれ。京都大学卒業、大学教授。林思雲は1963年中国南京市生まれ。南京大学卒業後、留学のため来日。九州大学で工学博士号取得後、日本の企業に就職。
本書は、日中戦争中の日本の動向については防衛庁防衛研修所戦史室の戦史叢書「支那事変・陸軍作戦」より、中国側の部分は中国側の研究を資料として書かれている。したがって、著者が資料を慎重に取り扱っていることを考慮に入れても、避諱(ヒキ)(ウソをついてでも、国家や共同体に都合の悪い事実を隠そうとする行為)の文化を持つ中国側の研究資料がどこまで信頼できるかという問題を考えながら読む必要がある。個別の事実としては、日中戦争は中国側が仕掛けてきたものであること(1937年8月の第二次上海事変が戦争の開始)、日中戦争開始前の中国では都市住民が日中戦争を熱望していたこと、日本側が早期終結を目指して何度も和平工作を試みていたこと、戦争開始後もドイツが国民政府へ大規模な武器援助と戦争指導を行い、見返りとして軍備拡張に必要な希少金属(タングステン)の提供を受けていたこと、中国が緒戦で大敗すると、開戦を熱望していた都市住民が兵役をのがれ、日本の存在すら知らない農民が兵士となり悲惨な待遇の中で戦争を戦ったこと、占領した都市住民の食糧確保のために日本軍と傀儡政権が農村から食料を強奪したことが農民層への共産党勢力の拡大につながったこと、日中戦争が大東亜戦争への導火線となったこと、などが論じられている。中でも、当時の中国における徴兵の実態(金銭による徴兵逃れ、地方組織による拉致、人身売買による兵員の補充)を見ると、「シナ人の最大の敵はシナ人(漢民族)である」との言葉も決して大げさではないことが分かる。註:本書の英訳は掲載文献参照。

「日中戦争は侵略ではなかった」黄文雄著、2005年10月発行、¥933+税


著者は1938年、台湾生まれの高名な評論家。
註:本書は“「日中戦争知られざる真実」黄文雄著、光文社、2002年1月発行、¥1,300+税”を改題・改定した新版です。

「今こそ中国人に突きつける 日中戦争 真実の歴史」黄文雄著、徳間書店、2005年6月発行、¥1,500+税

著者は1938年台湾生れの高名な評論家。

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