2010年 のアーカイブ

SDHF Newsletter No. 25: 『中国大虐殺史』(石平)(ビジネス社)

 中国人が語る「南京虐殺」には、その数か月前に中国兵が通州において「実際に」日本人
居留民300名近くを戦慄すべき方法で惨殺した、そのやり方がそのままの形で語られてお
ります。すなわち、中国殺戮文化の物語の一つが、南京虐殺物語であるという事です。
 石平氏は、この本で「虐殺」は、中国の歴史において繰り返されてきた、一種の文化であると
いうことを歴史をさかのぼり、詳述しております。しかもその虐殺文化は、共産中国においても
変わることなく繰り返され、特に毛沢東は自己の政権奪取とその維持のために、大々的に
虐殺を実行した事実が述べられております。
 中国政府の「南京虐殺非難」は、日本にはこうした虐殺文化が全く存在しないことに対する
無知に基づき、日本に虐殺の罪をなすりつけることによって、自己の虐殺事実を覆い隠そうと
するものであるという事がこの書によってよくわかってきます。
 このほど全文英訳したものをサイトに載せ、下記の通り海外の識者4千余りに紹介しました。 
                                  発信する会 茂木

Mr. Seki’s this book documents the use of mass slaughter by the Chinese as a normal
method of political and social control. In the past, dynasties have been both
heralded and terminated with massacres of thousands of soldiers and civilians.
The current communist regime in Beijing is unexceptional in this regard. In fact,
based on the historical use of massacres as a means of control, the Tiananmen Square
Incident of 1989, in which hundreds if not thousands of civilians were killed, was
an appalling but nonetheless predictable Chinese response to social unrest.

* Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/71_S2.pdf
* Full document: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/71_S4.pdf
* Author profile: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/71_S3.pdf
Questions are welcome.

Sincerely,

MOTEKI Hiromichi
Deputy Chairman and Secretary General for Kase Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact

『中国大虐殺史』(石平著)ー  「史実を世界に発信する会」   茂木弘道

一、      中国の歴史に造詣の深い石平氏が著した『中国大虐殺史』―何故中国人は人殺しが好きなのか―(ビジネス社刊)は、中国というものを知る上で、貴重な知識を与えてくれる書である。一言でいえば、虐殺は「中国文化」の一部であるということである。秦帝国以来中国の歴史において繰り返されてきた大虐殺がどのようなものであったのか、漢、南北朝、明、清における代表的な虐殺事件が説明されている。さらに問題なのはこの伝統は近代そして現代の共産党政権になっても変わることなく繰り返されているという事である。特に毛沢東は自己の権力奪取とその維持のために、大々的に虐殺を実行してきたことが詳しく述べられている。「天安門虐殺」、チベット虐殺、ウイグル虐殺は例外でも何でもないことを理解すべきである。

二、      一九三七年一二月に日本軍が中国の首都南京を陥落させたときに起こったとされる「南京大虐殺事件」は実は存在していなかった。当時世界で最も権威ある英文中国年鑑『チャイナ・イヤーブック一九三八年版』(上海で英国出版社刊)には、一二月一三日、日本軍南京占領、一二月一七日、日本軍入城としか書かれていない。同年鑑に「南京暴虐事件」として書かれているのは一九二七年三月一三日に北伐中国軍が起こしたものである。なぜ、一九三七年南京占領時にはそんな記述がないのか。虐殺など無かったからである。当時中国政府が日本軍の「南京大虐殺」非難をしていた、と錯覚する人がいるが、中国政府は当時ただの一度もそんなことを言っていない。漢口で外国人記者を集めて、三〇〇回も記者会見を開いて日本非難を行っていたのにも関わらず、ただの一度も南京で日本軍が市民虐殺をしたなどという事を発表していないのである。

三、      このように全く存在しない「南京虐殺」が、中国政府の宣伝にかかると、身の毛のよだつ虐殺物語となる。片っぱしから殺戮し、目をくりぬき、腹をえぐり、陰部をえぐり、などなど、惨い話であるが、しかしこの話どこかで見たような、聞いたような話ではないだろうか。身近な例では、南京陥落の半年前に、北京近くの通州で中国保安隊が日本人居留民三〇〇人近くを実際に惨殺した時の報告書である。そして、この『中国大虐殺史』に出てくる物語、これがそっくり中国製「南京虐殺物語」に出てきていることに気づくのである。日本にはこんな虐殺の歴史、文化はそもそも存在しないのである。

四、      結論:中国製「南京大虐殺物語」は、日本には中国のような虐殺文化が全く存在しないことに対する無知に基づき、日本に虐殺の罪をなすりつけることによって、自己の虐殺事実を覆い隠す目的で語られているものである。

『中国大虐殺史』は全文英訳され、「史実を世界に発信する会」の英文サイトに最近掲載され、世界の人々に発信されている。日本人だけでなく、世界の人々も中国文化を正しく認識しないととんでもない災厄をこうむるからである。

(10.6)

5月の集計

5月に頂いたご支援の集計です。

5/6 T. I様 1,000 寄付
5/6 N .G様 100,000 賛助会員
5/7 M .J様 10,000 個人会員
5/10 I .K様 10,000 個人会員
5/10 T .K様 3,000 寄付
5/17 Y .Y様 10,000 個人会員
5/17 H .G様 10,000 個人会員
5/17 K .I様 5,000 寄付
5/17 H .Y様 3,000 寄付
5/18 S .T様 10,000 個人会員
5/19 I .K様 100,000 賛助会員
5/19 U .M様 50,000 個人会員
5/20 Y .K様 10,000 個人会員
5/20 W .K様 10,000 個人会員
5/20 N .M様 10,000 個人会員
5/21 M .N様 10,000 個人会員
5/24 T .I様 10,000 個人会員
5/24 I .S様 10,000 個人会員
5/24 S .M様 10,000 個人会員
5/25 K .M様 10,000 個人会員
5/25 N .M様 3,000 寄付
5/27 H .S様 10,000 個人会員
合計 405,000円  
誠に有難うございました。

SDHF Newsletter No. 24: 日中戦争―日本は何故、何を目的に、どう戦おうとしていたのか

 日中戦争は、盧溝橋にしても、又上海においても中国側から戦争を仕掛けたものであり、
日本はいやいや戦争に引きこまれたものであることを、No. 23 で証明しました。
 船津和平工作(昭和12年8月)、トラウトマン工作(〃12月)のいずれにおいても、
日本は一片の領土要求も利権要求もしていないことが何よりの証拠です。
 ソ連・英・米などの介入に等しい膨大な軍事支援のために戦いは泥沼化、長期化しました。
よく日本は、何のために戦っているのか分からない戦いを惰性で続けていた、と云った批評
をする人がおりますが、実は決してそのようなものではなく、明快な戦争目的をもち、また
日中共存を目指していたことを示す貴重な資料がありますので、紹介します。
 昭和15年4月29日付で支那派遣軍司令部から出された「派遣軍将兵に告ぐ」と題する
小冊子です。英訳し、サイトに掲載するとともに、4千余の海外VIPの案内しました。
現代語訳が冊子になっております。ご希望の方はお申し込みください。 発信する会 茂木

The Second Sino-Japanese War: How, and with what purpose, did Japan fight?

Moteki Hiromichi’s “China Caused the Second Sino–Japanese War” explains how
the Second Sino–Japanese War was a conflict caused by China, and how Japan was
dragged into a war she had not sought. http://www.sdh-fact.com/CL02_1/69_S4.pdf During the war, Japan never made any territorial demands, nor did she make any
demands on interests in China. This is made clear from the Funatsu Peace Initiative
(Aug. 1937), the Trautmann Peace Initiative (Dec. 1937), etc., wherein no such
demands are made.
Well, then — with what goals and with what manner of policies and spirit did the
Japanese military fight? There is a suitable document to show this. A booklet dated
29 April, 1940, titled “Orders for Officers and Men of the Expeditionary Force,”
issued under the name of Itagaki Seishirô, the China Expeditionary Army’s chief of
staff elaborates these. Valuable material for knowing the nature of the war.

* Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/70_S2.pdf
* Full document: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/70_S4.pdf
Questions are welcome.

Sincerely,

MOTEKI Hiromichi
Deputy Chairman and Secretary General for Kase Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact

NHKスペシャル 「上海・百年の物語」魔都を巡る激動の歴史―ここでも歴史歪曲― 「史実を世界に発信する会」茂木 弘道

一、 上海万博開催日の五月一日を前に四月二五日に放送されたNHKスペシャル「上海・百年の物語」魔都を巡る激動の歴史―戦争・革命 名門一族流転の人生―は、なかなか面白いなと観ていたが、やっぱりと云うか、それですんなりと終わってはくれなかった。どうしても日本侵略を入れないと気が済まないようで、「しかし日本軍の一斉攻撃によって上海は」と云うナレーションとともに爆撃画面が現れ、更に「多くに市民が犠牲になった」と進むのである。さも日本軍が一方的に上海に侵攻したかのような云い方であるが、これは完全な『歴史歪曲』である。
二、 その証明は簡単である。当時のニューヨーク・タイムスを見ればよい。
 上海における軍事衝突を回避する試みによりここで開催された様々の会議に参加した多くの外国政府の代表や外国の正式なオブザーバ   ーたちは皆、以下の点に同意するだろう。日本は敵の挑発の下で最大限の忍耐を示した。日本軍は居留民の生命財産を多少危険にさらしても、増援部隊を上陸後数日の間、兵営の中から一歩も外に出さなかったのである。‐‐‐
上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。
        (一九三七年八月三一日付 ハレット・アーべント記者)

ニューヨーク・タイムスが絶対的に正しいなどということではなく、当時明らかに反日・親中国の立場に立っていたニューヨーク・タイムスすらこのように書かざるを得なかったのが、上海での戦争の状況であったという事である。日本の一斉攻撃ではなく、中国軍の一斉攻撃に日本は居留民保護のために反撃して戦争が拡大した、というべきなのである。
三、 市民に被害が出たのは確かであるが、その最たるものは中国空軍の誤爆による中国市民の大量殺害である。八月一三日、非武装地帯に侵入した中国正規軍三万が日本人居留民を守る海軍陸戦隊四千に対して本格攻撃をかけてきた。一四日にはマルチン爆撃機十数機が旗艦「出雲」を編隊爆撃しようとしたが反撃され、挙句の果てには共同租界・フランス租界の市街地に所かまわず爆弾を投下、そのため一般市民(大部分が中国人)が多数犠牲となった。「大世界」ビルでは千人以上が殺され、カセイホテルでは、二百数十人が死亡した。その中には後のライシャワー駐日大使の兄も含まれていた。市民殺害は、中国軍の仕業であることを正しく伝えるべきである。歴史を歪曲して日本軍に濡れ衣を着せるなどということは、謂わば犯罪行為であるが、公共放送であるはずのNHKのやることか!

(10.5)

4月の集計

4月に頂いたご支援の集計です。
4/1 N .M 様 3,000  寄付
4/1 K .I 様 5,000  寄付
4/2 K .H 様 50,000  寄付
4/7 F .T 様 50,000  寄付
4/8 T .H 様 50,000  寄付
4/9 N .G 様 20,000  寄付
4/9 O .Y 様 10,000  寄付
4/10 H .S 様 10,000  個人会員
4/12 M .K 様 10,000  個人会員
4/12 O .Y 様 10,000  個人会員
4/12 U .T 様 10,000  個人会員
4/12 K .F 様 10,000  個人会員
4/12 N .K 様 10,000  個人会員
4/12 O .K 様 10,000  個人会員
4/12 S .S 様 10,000  個人会員
4/12 K .H 様 10,000  個人会員
4/13 K .K 様 10,000  個人会員
4/13 S .J 様 10,000  個人会員
4/13 K .Y 様 10,000  個人会員
4/13 T .A 様 10,000  個人会員
4/13 I .J 様 10,000  個人会員
4/13 M .T 様 10,000  個人会員
4/14 S .Y 様 50,000  個人会員
4/14 O .K 様 10,000  個人会員
4/14 T .Y 様 10,000  個人会員
4/14 Y .S 様 10,000  個人会員
4/15 N .S 様 10,000  個人会員
4/15 S .M 様 10,000  個人会員
4/15 W .G 様 10,000  個人会員
4/16 O .Y 様 50,000  寄付
4/16 M .M 様 20,000  個人会員
4/16 O .K 様 10,000  個人会員
4/16 N .A 様 10,000  個人会員
4/16 N .S 様 10,000  寄付
4/16 K .I 様 5,000  寄付
4/19 M .K 様 50,000  寄付
4/19 A .K 様 10,000  個人会員
4/19 N .T 様 10,000  個人会員
4/19 U .Y 様 10,000  個人会員
4/19 T .K 様 5,000  寄付
4/20 M .T 様 100,000  寄付
4/21 K .Y 様 100,000  賛助会員
4/21 S .M 様 10,000  寄付
4/21 N .M 様 3,000  寄付
4/23 K .F 様 3,000  寄付
4/26 Y .K 様 5,000  寄付
4/26 O .O 様 5,000  寄付
4/27 A .Y 様 5,000  寄付
4/30 T .I 様 50,000  寄付
合計 919,000円  
誠に有難うございました。

「日米・開戦の悲劇‐誰が第二次大戦を招いたのか」、ハミルトン・フィッシュ著、岡崎久彦訳、PHP研究所、一九八五年&一九九二年(文庫)、¥1,300(税別)

著者は1888年、米国ニューヨークに生まれる。ハーバード大学卒業後、ニューヨーク州議会議員、第一次世界大戦に従軍後、長年、米国下院議員(共和党)を勤めた。アメリカの不干渉主義者の指導的代表。監訳者は、1930年生まれ(大連)の外交官。
本書は、長年に亘ってアメリカ議会の外交委員会に籍を置き、第二次世界大戦時をアメリカ議会の指導者の一人として当時のルーズベルト政権の政策を批判してきた著者による自戒を込めた書である。
著者は、第二次世界大戦はアメリカの共産主義化していたルーズベルト政権が始めたものであり、対日戦争は戦争を欲していたルーズベルト一派が日本を挑発して起こしたものであると断じている。なぜルーズベルト大統領が戦争を望んだかについて、著者は以下のように記している。
①暗黙の約束も含めた対外コミットメントを守るためであり、
②悲劇的な失業状態を回復するためである-六年間の「ニューディール」政策とその失敗の後、アメリカではいまだ一千三百万人が失業状態にあった
③国際主義者として、彼は実際に戦争に介入したいという欲望を持っており、
④戦争を指導した大統領となることで権力欲を満たし、その名を歴史に止めるためであり、
⑤国際連合を結成し、それの実質上の支配者ないしは、スターリンとの共同支配者になろうとしていたからである。(第四章、pp.100~101)
第二次世界大戦は、第一次世界大戦後のベルサイユ条約でポーランドに割譲されたポーランド回廊とダンチヒを平和裡にドイツに返還することを意図的に妨害したルーズベルト大統領一派が起こしたと言っても過言ではない。ルーズベルト大統領はイギリスに圧力をかけ、イギリスがポーランドに対して空手形を切ったため、ポーランドが返還交渉を強硬に拒否し、ヒットラーがポーランドに侵攻して始まったのが欧州戦争であった。ルーズベルト大統領は欧州戦争に参戦すべく、大西洋において盛んにドイツを挑発したが、ドイツが自制して応じなかったため、ドイツと同盟を結んでいた日本を挑発して参戦を果たした。
「私は、合衆国が、ヨーロッパの昔からの怨念のこもった争いや勢力均衡政治にひきずり込まれることに、正面きって反対していたのだった。そして、当時、約九〇%の国民も同意見であったのだ」(第五章、pp.122)。アメリカ議会の不干渉主義者として合衆国の参戦に反対していた著者は、日本軍による真珠湾攻撃を受けて態度を変え、「数時間後、私は大統領の演説を支持するスピーチを、下院からラジオを通じて行った。・・そして日本を打ち負かすために、ルーズベルト政権を支持するようすべての不干渉主義者に対して、結集を呼びかけた」(追記-I、pp.174)。「私は一九四一年十二月八日月曜日に、日本に対する宣戦布告決議のための審議を開催した」(第二章、pp.47)。しかし、当時、著者は「私は日本に対する最後通牒について何も知らなかった・・・すべての議員たちや国民と同じく、私も徹頭徹尾、合衆国大統領に欺かれていた」(追記-I、pp.174)。そして、次のように慙愧の念を表明している。「今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したことを知っており、この演説を恥ずかしく思う」(第二章、pp.47)と。
当時の日本政府(外務省)はなぜ、アメリカ議会(議員)にハル・ノートを公開してルーズベルト大統領一派の横暴を訴えなかったのであろうか。恐らくそれは、今日も日本政府に続いている広報活動、ロビー活動の軽視による理念的不作為が招いたものであろう。情報戦争の軽視こそが、日本人および日本国政府が第二次世界大戦の敗戦から学ぶべき失敗の大きな教訓の一つであるが、残念ながら戦後の日本政府も大して変わってはいない。
大方の日本人にとっては第二次世界大戦とは言っても欧州戦争にはそれほど大きな関心はなく、その事実関係に無知なかたが多いと思うが、本書は欧州戦争がいかに大きく大東亜戦争に関わっていたかの真実を理解する上でも有用な書物です。歴史の真実を知りたいと考えているすべての日本人は一読すべきです。

「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」佐藤優著、小学館、2006年7月発行、¥1,600+税


著者は1960年生まれ。外交官を経て、現在、文筆家。在ロシア連邦日本国大使館に勤務後、外務本省国際情報局分析官としてインテリジェンス業務に従事した経歴を持つ。大川周明は1886年生まれ(~1957年)。満鉄勤務、拓殖大学教授などを経て、五・一五事件などに関与。戦後、東京裁判のA級戦犯容疑者となるが、結局は免訴。日本初の「コーラン」の完全邦訳を刊行した。本書は佐藤優が大川周明の「米英東亜侵略史」を解説した書であるが、本書には同書の全文が掲載されている。
大川周明の「米英東亜侵略史」は、日米戦争開戦後、間もなく、NHKラジオで12日間にわたって放送された内容を翌年1月に書籍として発売したものである。「その内容はきわめて冷静な事実認識・分析で占められている」(第二章より)。特に前半の「米国東亜侵略史」は、ペリー来航以来、日米戦争に至るまでの日米関係を理解する上で有益である。一言で言えば、シナ大陸への進出を目指し、日本を補給基地にしようとしていたアメリカが、日露戦争後の「桂・ハリマン仮協定」(予備覚書)を日本側が一方的に断ったのを契機として、日本がアメリカの東亜進出の障碍であると考え始めたのがその後の反日政策として現れてきたということである。当時の日本は日英軍事同盟を結びロシアと戦ったにも関わらず、幕末以来の経緯もあり、アジア対西欧という見方から抜け出せず、西欧列強間の相違をうまく利用することが出来なかったのではないか。日本の最大の脅威はロシアの南下政策であったはずであり、それに対抗するためには日英同盟だけでなく、具体的にアメリカの力を利用するという視点に欠けていたように思われる。江戸時代を終らせ、明治の開国を迎えたということは、平和な時代から現在にまで続く世界規模の戦国時代に逆戻りしたということなのだが、日本の指導層にその認識がどの程度徹底していたのだろうか。「桂・ハリマン仮協定」(予備覚書)の問題に関しては、大川周明も佐藤優も日本側が一方的に断ったのを当然のこととしているが、筆者は同意できない。やはり明治政府は武の政府で、商の視点を軽視していたように思われる。国際社会には万国公法(国際法)があり、正しい(武の)主張は通るという正義の視点であり、利(商)の視点の蔑視があったのではないか。国際政府の存在しない国際法などというものは弱者を縛るための道具であり、戦国時代にあっては正義ではなく強者が勝つのだということは歴史が証明している。
本書の著者、佐藤優による解説はつまるところ、大川が考えていたと思われる“棲み分け”の思想(共生の思想)を生かして日本の国家体制を強化することが、現代の日本国家と日本人にとって重要であるということに尽きるのだが、解説部分には各所に衒学的な記述が目立ち、大川の「米英東亜侵略史」の部分と比べると、あまり読み易いものではない。

「大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義-」三田村武夫著、自由社、1987年1月復刊、古書有り


初版は1950年春「戦争と共産主義」のタイトルで出版されたが、すぐ占領軍最高司令部(GHQ)民政局の共産主義者により発禁処分にされた書。しかし、そのことが内容の真実性を傍証している。
著者は1899年、岐阜県生まれ。1928年から1935年まで、内務省警保局と拓務省管理局に勤務。1936年から衆議員議員。1943年には言論、出版、集会、結社等臨時取締法違反容疑で警視庁に逮捕されている。
第二次世界大戦に至るまでの期間にシナやアメリカ政府が共産主義者の浸透を受け、ソ連政府の支配下にあったコミンテルンの世界革命戦略に沿って動かされてきた事実は現在では良く知られるようになってきたが、当時の日本でも同様の事態が進展しており、日本が日支事変から大東亜戦争へと引きずり込まれていった事実を、政府機関勤務や国会議員の経験があるとはいえ、一個人が収集できただけの資料に基づき、戦争終結後わずか5年の1950年に出版できた見識には敬意を表する価値がある。ただし、日本側の事情についてだけ書かれた書であり、アメリカ政府もそれ以上に共産主義者による支配を受けており、早くから対日戦争の準備を整え、戦争行為を開始していたことなどについては「ヒス事件」の疑惑以外、この時点での著者は情報を得ていない。
復刊本に「序」文を寄せている岸信介は、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀實であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。・・・支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」と書いている。
内容は本書の以下の目次からおおよそ読み取ることができると思う。
序 説 コムミニストの立場から
第一篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて
一 裏がへした軍閥戦争
二 コミンテルンの究極目的と敗戦革命
三 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想-尾崎秀實の首記より-
第二篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について
一 三・一五事件から満州事変へ
二 満州事変から日華事変へ
第三篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主義者の秘密謀略活動について
一 敗戦革命への謀略配置
二 日華事変より太平洋戦争へ
三 太平洋戦争より敗戦革命へ
資料篇 一 「コミンテルン秘密機関」-尾崎秀實手記抜粋-
二 日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張
三 企画院事件の記録
四 対満政治機構改革問題に関する資料
ソ連政府の支配下にあったコミンテルン(国際共産主義組織)は、1935年になって第七回大会でそれまでの非合法闘争方針を転換し、人民戦線戦術で各国の特殊性を認め、1929年にアメリカで発生し全世界を不況のどん底に叩き込んだ世界大恐慌後の状況に合せて、強大な帝国同士を戦わせ、疲弊させて、敗戦から共産主義革命に至る世界革命の戦術を考え出した。その戦術に沿ってアメリカ政府へもスパイや共産主義者を送り込み、シナ大陸では西安事件で蒋介石を脅迫して対日戦争を画策させ、それらと同調するように日本国内では軍部、政治家、学者、文化人などに影響を与えて軍部独裁、戦時体制へと巧妙に誘導していった。日本でその中心にいたのが尾崎秀實を中心とした隠れ共産主義者たちであった。アジアではまず日本と蒋介石軍を戦わせ、さらに蒋介石を支援していたアメリカと日本を戦わせることにより、世界共産主義革命への道が開けるとの戦術である。こうした戦術の多くが成功裏に進行していったのは、大恐慌によりアメリカでも資本主義への信頼が揺らぎ、日本では陸軍の中心の大部分が貧農や勤労階級の子弟によって構成されていて、社会主義思想への共感が得やすい土壌があったという背景がある。こうした困難を克服していく方法は社会福祉政策と自由貿易であったのだろうが、世界的にまだその機が熟していなかった。先述の岸信介の「序」文の続きには、「共産主義が如何に右翼・軍部を自家薬籠中のものにしたか・・・本来この両者(右翼と左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法->生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している」と書かれている。
共産主義者、尾崎秀實は、当時のいわゆる「天皇制」について次のように書いている。「日本の現支配体制を「天皇制」と規定することは実際と合はないのではないか・・・日本に於ける「天皇制」が歴史的に見て直接民衆の抑圧者でもなかったし、現在に於いて、如何に皇室自身が財産家であるとしても直接搾取者であるとの感じを民衆に与へては居ないと云ふ事実によって明瞭であらうと考へます。・・・その意味では「天皇制」を直接打倒の対象とすることは適当でないと思はれます。問題は日本の真実なる支配階級たる軍部資本家的勢力が天皇の名に於て行動する如き仕組に対してこれにどう対処するかの問題であります。・・・世界的共産主義大同社会が出来た時に於て・・所謂天皇制が制度として否定され解体されることは当然であります。しかしながら日本民族のうちに最も古き家としての天皇家が何等かの形をもって残ることを否定せんとするものではありません」(「コミンテルン秘密機関」尾崎秀實手記抜粋より)。

「Freedom Betrayed: Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath」 By George H. Nash (著) 、Hoover Institution Press Publication [ハードカバー]、2011年11月発行、¥3,837


日本を日米戦争に追い込んだルーズベルト大統領に選挙で敗れたフーバー元大統領の回想録。

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