2010年 のアーカイブ

「日本は世界4位の海洋大国」山田吉彦著、講談社、2010年10月発行、¥838(+税)

著者は1962年、千葉県生れ(大学教授)。多くの日本人には「日本は資源の乏しい小さな島国」という認識が普通だと思われるが、排他的経済水域までの海洋を含めると、日本の領土・領海は広大な面積になり、各種の資源を豊富に有していることを本書は解説している。陸上交通や航空機の発達とともに、海洋に対する日本人一般の認識は嘗てに比べて弱くなっているように見えるが、単に海洋資源だけでなく、大量の物資の輸送や国防上の観点からも海洋の重要性が減少しているわけではないことを、日本人は改めて認識すべきです。

「日本は世界5位の農業大国」淺川芳裕著、講談社、2010年2月発行、¥838+税

著者は1974年、山口県生れ。月刊「農業経営者」副編集長。本書で、政府の農業政策のデタラメを暴いている。戦後、ほとんど一貫して日本国政府の農業政策は必ずしも農民のための政策でなかったことは、筆者のような農村出身者には自明のことだが、その根本には農水省を始め農業関係に寄生する集団の利益擁護の意図が存在していることが良く分かる。日本の官僚制度の悪しき側面が現れている分野の一つである。政策しだいでは日本の農業産業は、十二分に世界に伍していける成長産業であることを著者は強調している。産業構造がどのように変化しようが、食(農)が国家の礎の一つであることに変わりはない。

「「領土問題」の真実」水間政憲著、PHP研究所、2010年12月発行、¥1,600(+税)

著者は1950年、北海道生れ、近現代史研究家・ジャーナリスト。アジア極東経済委員会が尖閣諸島周辺海域に約800兆円に上ると推定される海底油田・天然ガスの埋蔵の可能性を指摘して以降、何の根拠も無く尖閣諸島の領有権を主張してきた中国の共産党独裁政府、日本の敗戦後のドサクサに勝手に李承晩ラインを設定して竹島を韓国領だと強弁してきた韓国政府(後に、竹島周辺海域にはメタンハイドレートが眠っていることが判明)、日本がポツダム宣言を受諾して戦闘行動を中止した後にも戦闘行動を継続し、「北海道・北方領土占領計画書」に沿って日本領土(南樺太・千島列島・北方4島)を侵略・不法占拠しているロシア(旧ソ連)。日本はこのような国々に取り巻かれているのが現実です。著者は多くの一次資料を駆使して、領土問題に関する彼らの捏造を本書で明らかにしている。尖閣諸島も竹島も北方領土(4島)も、日本固有の領土であることは歴史的資料から明らかです。尖閣海域でのアメリカとの石油資源の共同開発を著者は本書で提案している。
加えて著者は、靖國神社参拝問題やシナ大陸の「毒ガス兵器処理問題」にも多くの紙面を割き、偽善を通り越して中国・韓国政府以上に反日的な勢力が日本の新聞・TV、政府・政治家などに巣くっていることを告発している。
アメリカ合衆国は中国(蒋介石一派)と組んで過去に不当にも日本に戦争を仕掛けた張本人であるが、良くも悪くも民主主義の大国である。国民の意識が変われば政策の転換も早い。現在の日本の同盟国としては、前記三国に比べてはるかに相対的にマシな国家だと言える。そのアメリカ国民を動かす情報戦において、戦前、日本は(旧)ソ連と中国(蒋介石一派)に完全に敗れていたのである。その状況は現在も大して改善されていない。

「中国はなぜ尖閣を取りに来るのか」藤岡信勝、加瀬英明編、自由社、2010年12月発行、¥1,575(税込み)

尖閣諸島に関する問題をテーマに、10名の識者が尖閣諸島帰属問題の歴史的事実や中国共産党政府の意図などについて、基礎的知識の解説や対談を通して日本国民に警鐘を鳴らしている。

「ここまで違う 日本と中国―中華思想の誤解が日本を亡ぼす」加瀬英明、石平共著、自由社、2010年7月発行、¥1,575(税込み)

加瀬英明は1936年、東京生れ。石平は1962年、中国四川省生れ。共に評論家。米国の大学教育を受け、外交に造詣の深い加瀬英明と、文化大革命の共産主義独裁中国に育ち、天安門事件を経験した後来日して日本に帰化するに至った石平が、日中両国の違いについて縦横に語りつくした対談書。「相手に悪いと思う日本人」と「相手が悪いと思う中国人」-この言葉がすべてを表現している。
本書は2012年12月に、WAC BUNKOの一冊として「相手が悪いと思う中国人 相手に悪いと思う日本人」のタイトルでワックから出版・再版されている。英訳が本会の「掲載文献」欄に掲載されている。

「徳の国富論―資源小国 日本の力」加瀬英明著、自由社、2009年11月発行、¥1,575(税込み)

著者は1936年、東京生れ(伊能忠敬の玄孫)。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長、外交評論家。1977年より福田、中曽根内閣の首相特別顧問として対米折衝に貢献。「史実を世界に発信する会」代表。本書は、世界史の中でも稀有な例である二百数十年の平和が続いた徳川時代の日本が、世界的にいかに独自な発展を遂げた社会であったかの解説を通して、日本文明と文化の特色を炙り出している。言うまでもなく、徳川時代と現代日本の社会とは地続きである。

「歴史教科書が隠してきたもの」小山常実著、展転社、2009年6月発行、¥1,500+税

著者は1949年、石川県生れ。大学教授。本書で、真実を伝えようとしない戦後の歴史教科書のデタラメさを克明に分析し、国家の安全保障(国防)問題と天皇制に支えられた独立国であり続けた日本国の実態とを意識的に覆い隠していると指摘している。

「「悪魔祓い」の戦後史」稲垣武著、文春文庫、1997年8月発行、¥629+税

著者は1934年、埼玉県生れ。朝日新聞社勤務を経たジャーナリスト。本書で第3回山本七平賞を受賞。戦後のいわゆる「進歩的文化人」の空想的かつ独善的で、事実を無視した発言の数々を徹底的に検証している。そもそも生産の現実も、人間の本性も知らない「文化人」の非現実性や、薄っぺらなイデオロギーに支配され、偏ったイデオロギーの奴隷化した「進歩的文化人」の罪業を詳細に紹介している。こうした「進歩的文化人」の系譜は、その後も中国共産党独裁政権と「日中記者協定」を結び(1972年の国交正常化後は政府間協定へ移行)、自社の経済的利益のためだけに自ら報道・言論の自由を放棄するという、ジャーナリズムとしての自殺行為に等しい協定を通して、「中国共産党独裁政権の舌」と化している大新聞社やTV局(後には日本政府も)などに受け継がれている。「悪魔」は姿を変えてなお健在で、現代の日本からまだ完全には祓われていないのである。

「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著、岩波現代文庫、2008年7月発行、¥1,000+税


著者は1945年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業。国際政治論・外交史専攻の学者(関西学院大学法学部教授)。
昭和天皇とマッカーサーとの会見というと、「自己弁明と自慢、自惚れの渦の中にある、ほんの一握りの事実」(「文芸春秋」1964年6月の「マッカーサー戦記・虚構と真実」より)しか見出せない「マッカーサー回想記」に書かれた、「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」(「マッカーサー大戦回顧録」(下)、津島一夫訳、中公文庫、2003年7月発行より)という昭和天皇の発言(とされている文言)だけが一般には知られているが、実際は昭和天皇と連合国最高司令官との会見は合計18回に及んだ(マッカーサーと11回、後任のリッジウェイと7回)。
本書は、著者が入手できる限りの資料を分析して得た、敗戦処理から戦後の日本(および皇統)の安全保障を担保するため、かって軍の統帥権を持ち大元帥陛下として大日本帝国に君臨した昭和天皇が、なりふり構わぬ「天皇外交」を展開した姿をかなり詳細に描き出している。著者は法学者であるため、新憲法制定後の象徴天皇という立場と「天皇外交」との整合性に触れているが、国家と民族(と皇統)の危急存亡の非常時にあって、天皇という影響力のある立場から、新憲法との整合性よりも国家の安全保障を優先して行動した昭和天皇の考えを、筆者は支持するものである。
むしろ問題は、コミンテルン(国際共産主義組織)の色濃き影響下にあった戦勝国を相手に、昭和天皇が何としても皇統と日本国の安全を守ろうとして努力した当時に決められた制度(日本国憲法など)を、国際環境も日本の状況も変わった後になっても、時代の変化に合わせて変えていくことのできない日本国民にあるのではないか。
一般に平和憲法と言われている、米軍(GHQ)占領時に公布・施行された現日本国憲法(第九条)に書かれていることは、「国際紛争解決の手段としての戦争は永久に放棄し、そのための戦力も持たず、国の交戦権を認めない」ということです。ただし、国際紛争とは何かということについての定義はなされていない。人類史における戦争の歴史から判断して、国際紛争解決の手段としての戦争とは「侵略戦争」だと考えるのが妥当です。つまり、第九条の規定は、日本語として率直に読めば、国家(国民・国土・領海・領空)防衛のための戦争は放棄していない、そのための国防軍の保持や交戦権は禁止していないということで、外国による日本国への侵略に対して戦争したり、そのために他国と同盟して集団的自衛権を行使しても憲法の規定に抵触しない。ただ、同盟する相手国が米国、英国、露国、中国などの場合は、集団的自衛権を行使する際に慎重さが必要です。歴史上、近現代において日本国は侵略戦争をしたことはないが、これらの国々は何度も侵略戦争を繰り返してきた歴史があるからです。また、日本国民救出のために国防軍を当該国へ派遣して、万一、そのために戦争になったとしても憲法の規定に抵触しないことは言うまでもない。ただし、憲法上「国際紛争」というあいまいな表現を使用していることは大きな問題で、国内においても無用の議論を呼び、平和憲法というよりは近隣諸国に対して日本国への侵略を誘発する「侵略戦争誘発憲法」の一面を持っている。現憲法は米軍の占領がいつまで続くか分からない時代の占領憲法で、本来なら日本国が独立した時点で破棄され、新憲法が採択されるべきであったのです。それを政治家の怠慢で、現在までそのままにしてきたのが現実です。一刻も早く、日本はあいまいさのない、現代に合った憲法を持つべきです。

「歴史が面白くなる 東大のディープな日本史」、「同2」相澤理著、中経出版、各2012年5月、12月発行、各¥1,000+税

著者は1973年生れ。東京大学文学部卒業、東進ハイスクール講師。
本書は東京大学の日本史の入学試験問題に解説を加えて一般書にしたものであり、内容は古代から現代にまで亘っている。さすがに「大学の<顔>としての入試問題」だけあって、疑問な箇所を中心に日本史全体を理解し、深く考察する上で有用な書物である。
「東京大学の日本史の入試問題・・は、人名や年号の知識を問う空欄問題・正誤問題などの出題はいっさいなく、論述問題のみで構成されている」、「「東大日本史」の面白さを一言で言えば、自明に思える歴史の見方・考え方に揺さぶりをかけられる、ということにあります」(“はじめに”より)。
「東京大学ほど「優秀な学生を集める」ということに意識的な大学はありません。東京大学の入試問題は、日本史にかぎらず、緻密な思考力を問う良問が選りすぐられています」(“はじめに”より)。「東大入試の本質は<暗記>である(ほかの科目も含めて)・・・「考える前に覚えろよ」という当然のことを、東大の先生方もお考えなのだと入試問題から感じます」(2の“はじめに”より)。「<意味>はあとからわかる。だからこそ、「考える前に覚えろよ」なのです」(2の“おわりに”より)。
ちなみに、現在の東京大学の入学試験は多様化しており、第2次学力試験に日本史を含む社会科が課せられているのは文科系分野だけである(昭和40年ころまでは、文科系、理科系分野ともに五教科・七科目が課せられていたが、現在では文科系には理科が、理科系には社会科が第2次学力試験の入試科目から除かれている。入学試験が高校以下の学生に試験対策の時間を取らせる以上、優秀で多様な学生を集めるのであれば、入試科目はもっと少なくても良いのではないか)。

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