共著者の一人、加瀬英明は「史実を世界に発信する会」代表。ヘンリー・S・ストークスは1938年英国生まれのジャーナリスト、ニューヨーク・タイムズ東京支局長などを歴任。
本書は2011年12月8日に対米開戦70周年を記念して「史実を世界に発信する会」が憲政記念館大ホールで開催したシンポジゥムで発表された講演内容を敷衍したもので、加瀬英明による第一部とヘンリー・S・ストークスによる第二部から構成されている。第一部のテーマは「アメリカのルーズベルト大統領がアメリカ国民を欺いて日本との戦争へ向わせた」ことであり、第二部のそれは「ペリー提督と黒船の時代にまで遡って日米関係を検証する」ことである。
第一部で著者は、アメリカのルーズベルト政権(その中枢部にはソ連共産党のスパイや共産主義者が数多くいた)がヨーロッパの戦争に参戦するため日本を追い詰め、日本に最初の攻撃をさせるよう巧妙に対日戦争を引き起こした事実を、大東亜戦争の始まる前から彼らが着々と計画し、実行に移していった内容を詳細に追いながら証明している。「日本は日米交渉に当って、アメリカも日本と同じように誠がある国だと思って、相手の真意を疑うことなく、独り芝居を演じた。今日でも、「日中友好」が成り立つと信じて、中国と良好な関係を結べると信じている、お人好しな人々がいる。陸海軍の多くの軍人がドイツの勝利を信じて、ドイツに国家の未来を託した。今日の日本は、日米安保体制のもとで、国の独立をすべてアメリカに預けて、防衛努力を怠っているが、外国に国家の運命を委ねるのは、危険である。アメリカはアジアについて、無知だった。日本は誤解されていた。私たちは日本をめぐる正しい情報を、外国人が理解できる形で、海外に発信しなければならない」(第3章)。「(大東亜戦争当時)アメリカは民主主義国では、断じてなかった。国内で同じアメリカ人である黒人を法的に差別して、辱めていた。日本が先の大戦中にアジアの諸民族を解放したために、その高波がアフリカ大陸をも洗って、アフリカ諸民族もつぎつぎと独立していった。そのために、アメリカは国内で不当な黒人差別を続けることが、できなくなった。黒人が野球のメジャーリーグで、プレイできるようになったのは、戦後になってからのことである。・・・(公民権運動が広がるまでは)白人と黒人が性交渉を持つことや、結婚することが犯罪とされていた。・・・日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、幕末から夢見てきた人種平等の理想の世界を、招き寄せたのだった」(第4章)。今日、黒人の一人がアメリカ合衆国大統領として君臨していられるのは、日本が大東亜戦争でアジア各国をヨーロッパ宗主国の植民地から解放した結果である。
生真面目な日本人が「誠」があると信じて真面目に交渉を続けたアメリカ合衆国という国は、ヨーロッパのあぶれ者連中がアメリカ先住民を欺いては虐殺を繰り返した上にアフリカから拉致してきた黒人奴隷を酷使して出来上がった文化程度の低いならず者による国家で、お互いを傷つけあってきた長い歴史で鍛え上げられた利己主義者の集まりであったことに日本人はあまりにも無頓着であった。しかも当時の大統領が“狂人”で、政府は共産主義者に牛耳られていた。類似のことはシナや西欧諸国にも当てはまり、そうした各国の国民性は現在も続いていることに日本人はもっと留意して自国の強化を図り、より強力な防衛力や防衛体制を整備するべきである。他人任せの平和はいつまでもは続かない。
第二部では、アメリカの黒船によって平和で繁栄していた江戸の町は短期間のうちに一変するほどの変化を遂げていったが、その結果として日本は近代化・工業化に成功し、自ら望んだわけでもない大東亜戦争を戦わざるを得なくなったが、日本の大きな犠牲の上に人種平等の世界が地球上に実現した歴史を実証的に解説している。「ペリーは、日本が立ちあがることになった発端を、つくったのだ。・・・アジア・アフリカに、数多くの独立国が生まれた。・・・日本は二十世紀の人種平等の神話をつくることによって、日本太古の国造りの神話を、二十世紀になって再現してみせた。新しい世界を生むことになった神話を、人類のためにつくりだした。日本こそ、人類の希望だった」(第2章)。
では、そのペリーの黒船とはいったい何だったのか?「一言でいうと、あの徒党はアメリカ海軍の制服に身を包んでいたものの、海賊集団だった。・・・木造船だったこの船が、日本人から「黒船」と呼ばれたのは、船体が黒かったからだ。船体が腐らないように、タールが塗られていた。・・・(ペリーは)新鋭砲を誇示して、強引かつ違法に(江戸湾に)居座った。ペリーは、当時の世界最大の都市で、建物がすべて木製だった江戸に、未曾有の驚異を与えた。一発の炸裂弾が命中すれば、江戸は大火に見舞われて、壊滅する」(第1章)。ペリーの任務は、傲慢な清教徒(アメリカ)によるアジア侵略・交易目的、日本の石炭の獲得、アメリカの基地の確保などであったろうと著者は言う。「アジアは植民地支配の新たな獲物として、燃えあがっていた。西洋人にとってアジアには、中国にも、インドにも、インドネシアにも、国境線がまったく存在しなかった。原住民は、人として扱われなかった。ヨーロッパ各国にとって、早い者勝ちの状況だった。ルールは弱肉強食だった。良心の呵責はなかった。白人優位の世界観が確立していたから、アジア・アフリカを侵略するのは、白人の特権だと信じられた。そのような獲物の世界に、いまだ姿を見せていなかつたのが、日本だった。日本は誇り高い、棘がある地だと見られていた。・・・ペリーは即刻行動しなければ、アジアは他の白人国家によって、すべて植民地とされてしまうと、焦った」(第1章)。「(日本の江戸時代は)庶民の文化によって栄えていた。・・・士農工商の区別はあったが、きわめて平等な社会だった。・・安全で、平和な社会があった。・・・この日本人の平等の精神が、第一次世界大戦後に行われたパリ講和会議において・・人種平等の原則を盛り込む提案を行った」(第2章)。フィリッピン大学歴史学部の教授は、「(大東亜戦争中の)東アジアに対する日本の軍事進出は、いろいろの意味で、アジアに開放をもたらす力を、存分なまでふるった」とその著書で述べている。「日本はそれまでの白人支配者とちがって、アジア諸国民に民族自決の精神を涵養した。・・・日本はアジアの国造りに取り組み、日本軍は現地の青年たちに軍事訓練を施した。・・・日本は第二次大戦で、アジアの国々を侵略したとされている。しかし、どうして侵略をする国が、侵略をされた国の青年に軍事訓練を施し、精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国にわたって作り、近代組織の経営方法を教えるということがあろうか?この事実はとりもなおさず、侵略したのが日本ではなかったことを、証明している。日本がアジアの国々を侵略していた西洋諸国から、アジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を惜しまなかったと見るのが、正しい認識であると思える」、「日本は「自存」のために、大東亜戦争を戦ったのであって、アジアの解放のために戦ったのではなかった。しかし、いったん戦端が開かれると、アジア人のためのアジアを創造する強い情熱に駆られたことも、事実である。これこそ、日本人による大きな国際貢献だった」、「日本は満身創痍となって降伏したが、有色人種の解放という奇蹟を行った」、「ペリーは「パンドラの箱」を、開けたのだった」(第2章)。
ご存知のように、「バンドラの箱」にはあらゆる災厄が詰っていたが、最後に「希望」が入っていたという。大航海時代以降、武力と奸智にものを言わせて有色人種国家群を侵略し、暴虐の限りを尽くしていた傲慢な白人国家群にとって、日本はまさに“災厄”をもたらしたのだが、人類全体にとっては日本は奇蹟のような希望の星となった。そのことを日本人はもっと誇りにして良いのではないか。
第二部の英文は日本文とともに「掲載文献」に掲載されている。
2012年 のアーカイブ
「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」加瀬英明、ヘンリー・S・ストークス共著、祥伝社新書、2012年8月発行、¥819(税込み)
韓国一流紙までが反日原理主義 (西村幸祐)
韓国一流紙までが反日原理主義 (西村幸祐)
Even First-Rate Korean Newspapers Are Plagued with Anti-Japanese Fundamentalism
「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」半藤一利著、文藝春秋、2012年10月発行、¥780+税
著者は1930年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。取締役などを経て作家。
本書は、太平洋戦争(大東亜戦争)における日本軍の失敗から学ぶ教訓を基に、リーダーの条件と日本のリーダーの欠陥とを考察した書である。
著者が本書でリーダーの条件として列挙しているのは以下のものである(文中の表現は少し異なる)。
一、 リーダーの最大の役目は決断すること
しっかりと情報を取り入れて自分でよく考えて判断し、決断を人に任せてはならない。
二、リーダーは部下や関係者に明確な目標を示せ
目標を明確に示さない限り、部下や関係者に一丸となって大きな力を発揮させることはできない。
三、リーダーは自分が中心となり、先頭に立って戦え(焦点に位置せよ)
密教には「九字」と言われる魔除けの作法(呪文)がある。九字とは、「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行」(シナの古典、抱朴子)の九文字のことで、それぞれに秘印が存在するのであるが、意味するところは「戦(兵)に臨んで戦うには、すべての陣列の前を行く」という意味です。神仏ですら必要な場合は先頭に立って戦うということです。ましてや、他人を率いて行こうという人間のリーダーにとっては当然の心掛けではないでしょうか。しかし実際には、大東亜戦争のとき、多くの部下を特攻攻撃に送り出した後、逃げ帰ってきたリーダーがいた。もともと、こういう人をリーダーにしてはいけない。
四、リーダーは情報を確実に把握せよ
言うまでも無く、都合の悪い情報を排除したり、見落としてはならない。出所不明の情報には特に注意が必要である。
五、リーダーは過去の経験や理論に囚われずに変化に対応せよ
時の流れにおいて、まったく同じ事というのは二度と起こらない。過去の経験や理論は参考にはなっても、時代の変化や新しい事態に対応していくには常に新しい発想が必要です。
六、リーダーは部下に最大限の任務を遂行させよ
部下に任務の方向性と目的を明確に示し、理解させ、納得させた上で任務を遂行させよ。
「日露戦争という日本近代史に燦然と輝く栄光を背負って・・・参謀まかせの「太っ腹リーダー像」が生み出された。・・・結果として・・「上が下に依存する」という悪い習慣が通例となる。・・・これでは本当の意思決定者、ないしは決裁者がさっぱりわからなくなる。当然のことのように、机の上だけの秀才参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場をまかりとおり、兵隊さんたちがいかに奮闘努力、獅子奮迅して戦っても、すべては空しくなるばかりなのです」(第五章)。その結果、「決断できない、現場を知らない、責任をとらない」(帯表示)リーダー(指導者)が蔓延し、その傾向は現在にまで至っているというのが著者の分析である。別の表現をすれば、統治システムにおいて指揮命令系統を明確にし、組織内の地位と権限と責任とを明確に一致させ、組織内の人事制度を目的遂行型にして、組織運営を合理的・合目的的にすれば、本来の意味でのリーダーが登用されやすくなるということではないか。
内容はとても面白いが、読み進むうちに暗澹たる気持ちに襲われる書である。限られた範囲では優れたリーダーもいたが、全体としては日本はリーダー不在で大東亜戦争を戦ってしまった。統治システムも含めて、日本が本来の意味でのリーダーを持つのが困難なのは、日本民族自身の性癖にあるように思えてくる。アメリカや中国のような好戦的・侵略的な異民族とは異なり、諸外国(異民族)と隔絶された平和な江戸時代250年を経て、日本民族本来の平和な時代向きの民族性が真のリーダーを持つことを困難にしているように思える。言い換えれば、日本は現場の力によって動いている国であり、危機に直面さえしなければ、ある意味、最も効率的で柔軟な国であるとも言えよう。それは現在の占領憲法を「平和憲法」と強弁する論理にも現れている。もし憲法第九条があらゆる戦争を放棄している(実際はそうではない)のならば、現憲法は「平和憲法」などではなく、近隣諸国に対する「侵略戦争誘発憲法」と呼ぶべきものです。本来の平和憲法ならば、国防のための十分な軍備を備え、国家と自国民保護のためなら戦争も辞さず、近隣諸国に日本侵略の意図を微塵も抱かせないような憲法であるべきでしょう。日本人は一日も速く、あいまいな表現を持つ現憲法第九条を廃棄すべきです。国防条項(第九条)は単に、「日本国は国家防衛のための国防軍を保持する」だけで良いのではないか。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」などというのは言わずもがなで、どうしても憲法に残したいのであれば、憲法前文に入れるべきです。国際政府の存在しない世界は平和な”徳川時代”ではなく、“力の強い者が勝つ”戦国時代なのです。弱者を守る真の意味での国際法など存在しないことは、大東亜戦争の敗戦で良く分かったはずだ。諸外国は平和勢力だなどという認識は、人間の本性と歴史に無知な愚者の認識です。基本的に、自国の平和は自国を強くすることによって自国で守るしかないのです。
「日本を呪縛する「反日」歴史認識の大嘘」黄文雄著、徳間書店、2012年11月発行、¥667+税
著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。
本書は、著者がすでにさまざまな著書で述べている日本の近現代史(明治維新から日韓併合、満州国建国、台湾領有、大東亜戦争まで)の史実をまとめたものである。近年の中国、韓国による反日歴史史観、というよりも、史実を無視したゆすりたかりの「中華史観」と同調して日本を貶め、弱体化させようとしている日本の政治家、官僚、マスコミ、学者、文化人などの欺瞞を排して、日本人に史実を理解し、自国に対する誇りを持ってもらうことを目的として書かれたものである。彼らは「息を吐くように嘘をつく」(朝鮮日報、2010年2月2日)。そのことを弁えた上でうまく利用できないのであれば、かって福沢諭吉が喝破したように、日本は中国・韓国という「アジアの悪友どもとは絶交すべき」である。「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである」(「ブッダのことば」中村元訳、岩波書店)。
目次を紹介しておくと、
序 章 日本人を貶める「反日」歴史認識の嘘
第一章 世界を変えた日本の近現代史
第二章 朝鮮半島を救った日韓合邦
第三章 「王道楽土」を実現した満州国の真実
第四章 日中戦争の真の被害者は日本だった
第五章 台湾に根付いた日本精神
第六章 大東亜戦争が果たした歴史貢献
終 章 歴史捏造への逆襲
「歴史を政治の道具ではなく、良心と良識を持つ者がグローバルな歴史の流れから見たならば、日本が近代世界に果たした歴史貢献はいくら評価してもしすぎることはないほど明々白々である。中韓は、今までの歴史捏造と歪曲を反省する必要があり、逆に日本に謝罪し、感謝しなければならい。・・・日本は開国維新以来、万国対峙の局面、アジアの植民地化の情勢のなかで、ただ一人自存自衛のため、あるいは東アジア防衛のため、孤軍奮闘を繰り返し、超大国が仕掛ける戦争を戦い続けてきたのだ。それを「悪」と見なす東京裁判史観こそ、アジア侵略を行った欧米列強の史観であり、いわば侵略者の侵略正当化史観である。あるいは同じアジアの国家でありながら、アジア解放など一切念頭にも置かず、つねに東アジアの騒乱の元凶であり続け、挙句の果てには欧米侵略者に荷担した中国の歴史観でもある。・・・戦争責任を追及するなら、このようなアジアの(註:というよりは人類の)敵だった国々に対して行うべきなのだ。」(終章)
「日本が悪かったことといえば、こうした国々に敗れ去ったことくらいだ」(同)―これが著者の結論である。
「中国人が死んでも認めない 捏造だらけの中国史」黄文雄著、産経新聞出版、2012年9月発行、¥1,365(税込み)
中華文明の歴史が嘘をつくり、その嘘がまた歴史をつくる無限のループこそが、中国の主張する「中国史の正体」なのである。だから、一つ嘘を認めれば、歴史を誇る「中国」は足下から崩れることになる。中国の歴史とは巨大な嘘なのである。だからこそ、中国人は死んでも真実の歴史を認めない。
著者は1938年、台湾生まれ。1964年来日。著名な評論家。